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野口悠紀雄の情報整理法の第一回をオンライン聴講してみて感じたこと。

今日もNサロンの講義。ああ勉強してるって素敵。日本語で聴けるって素敵。もちろん、私は、今回もオンライン聴講。オンライン聴講便利ですよ。今日はマレーシア国立銀行のギャラリーで散々遊んだ後、子供にご飯を食べさせた後にじっくりメモを取りながら聴講しました。子育て中でも、インフル回復中でも学べるって素敵やんって思います。

今回は野口悠紀雄先生の「情報整理法」。実は「超」独白法を読もうと思っていたのでその前にこの講義を聞くのはとても面白そうだなと思いました。

事前に読んでくださいとのnoteはこちら。読みながら聴講できるのがオンライン聴講のいいところでもあります!

■野口先生はこんまりの敵なのかどうなのか

いきなり「整理法とはどうやったら整理しなくていいかってこと。だって整理っていらないことだから」と華麗なカウンターパンチ。こんまりの敵やん、どう攻めるのかワクワクしながら聞いてみると

「情報は分類できない」

だから

1つのスペースに時間軸で並べて自然に分類されるのが一番効率的

というお話なり、なるほどなと思いました。

■名刺の役割について改めて考える

そしてきわめつけが名刺のお話。

私は東南アジア、日本両方で名刺を頂くことがとても多いのですが「そういえば名刺分類したことなんてないし、そこで何か探したことなんてないよな確かに」って改めて思いました。
今、自分が使うのはFacebookとInstagram。特にInstagramは東南アジアのアート界では必須。
こちらを定期的に更新しておくと「あのギャラリーに行ったのならここはどう」とか情報が向こうからやってきます。

後、先生のお話には出てきませんでしたが東南アジアではWhatsAppグループのやり取りもすごく盛んです。
東南アジアのアート関係者と交流するようになって私自身「携帯番号を教えることの重要性」の概念が変わりました・
日本だとプライバシーとか色々考えますがこちらはマジでそういうのないですね。携帯電話番号は、郵便番号くらい軽く教えます。あ、郵便番号って別に教えないか。。。

■本の存在って素敵やん

そして、後半、印象に残ったのは書籍のお話。
本というのは情報がまとまった形になってるのでとても重要な情報源というお話があり、そうだよなあと深く頷きました。
そして本ってその場に存在する背景があるじゃないですか。それも情報だよなって個人的に思うんですよね。

私は父を数年前に亡くしているのですが、今一時帰国で実家に帰るときは父の書斎が作業場になります。書斎にはまだ父の本棚が残っているのですが今でも時々その本棚から本を手に取ります。情報としてはもちろん最新とは程遠いんですが、でも「その情報がそこにある経緯」を含めて考えるとそれはとても重要な情報だと思うんですよね。

私もマレーシアの家に本棚がありますが、「自分が明日急死したとき家族が自分を想ってくれるような本を集めるぞ」と思いながら本を選んでいます。そして自分でも「自分が死んだ時に「この本がこの本棚にあるってイケてる!」って思えるかどうか」と思いながら日々自分の書籍をチェックしています。

「本」という形になってることで情報が宝箱のようにパッケージされてると思うのです。
野口先生が大学の書庫についてのお話をされてる時に「自分の宝物について話すような柔らかい笑顔」をされてるのがとても印象的でした。

■講義形式ならマジでオンライン参加心地よい

2つの講義にオンラインで参加してみたのですが、正直想像以上に心地よいです。

・家で自分の観れる時間に始められる
・途中で止められるので自分の用事や考えることができる
・ボリュームが調整できるので聞こえない、聞きそびれたがない

講義形式なら全然満足のいく参加できるじゃん!って思いました。
テキスト形式ならオンライン参加も可能なのかなって最初思ってましたがでもそうなると自分の観れる時間に参加できるメリットが半減してしまいます。特に私の場合は時差もあるので。。

次回も楽しみです。