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お花畑の葛藤

長い間あたためているビジネスアイデアがありました。

市の経営相談室に行くと、言われました。

「あなたはお花畑型ですね。」

どうやら、起業する女性たちにはがあるらしい。

離婚して子ども有りで生活費がかかっている・・・などの逃げ切り型と、

夫の安定的な収入があって働く必要がないのに、ふわふわした妄想を計画性もなくカタチにしたいようなお花畑型

あなたはズバリ、お花畑型ですね。

あまりに的を射ていて、笑うしかありませんでした。

「もちろん、成功しやすいのは、前者です。」

17年間の手芸店経営という経験を大きな声で言えないことも、ずっとやりたいと思っているのに実行に移せないアイデアも、全てお見通し。

「あなたには、切羽詰まった理由がないのです。幸せだから。」

用意した具体的な説明も、まとめた資料も、何も見せずに終わりました。
的確で鋭い刀さばきにより、一瞬で木っ端微塵。完全にHPはゼロとなりました。

それでもあまりに爽快な型宣告だったので、帰りの電車の窓には、笑いを抑えられない変な人が映っていたのを覚えています。

しばらく続いた爽快感は徐々に消え、ジワジワと傷口が痛みだしました。

どうして傷つくか。
それは、言われたことが図星だから。

視野を広げる体験

さて、あれから3年。

最近はMBTIという性格診断が流行っていますが(ちなみにわたしはINFPらしい)、昭和の香りが漂う「お花畑型」以外に、お気楽でいいよねキャラを表す型表現にいまだ出会ったことがありません。

今わたしは、子どもたちとニュージーランドにいます。

贅沢極まりない、1年限定の親子留学。
あいかわらず、幸せです。

どうしてココまで来たのかと一言で言えば、視野を広げる体験がしたい、させたいため。

右も左も分からずに、新しい場所で新しい暮らしを立ち上げることは、わたしにとっては最高にエキサイティング。

子どもたちも異文化の洗礼を受け、良くも悪くもさまざまな体験を通し、視野をとことん広げている毎日です。

教会に通ってみたり、家族でローカルな英語クラスに通ってみたり。
最初のうちはなるべく外に出て観光を。最近はもっと近場にたくさんある森林浴を。

今はワクワク体験ですが、かつてはこれが、唯一の逃げ道でした。

思春期の頃、同じように思春期の兄たちがケンカをしていました。親とのぶつかり合いも日常茶飯事で、家の中は荒れていました。鋭い目つき、ひどい言葉、重苦しい空気。暗く激しい感情のぶつかり合いが恐くて悲しくて、いつも部屋に閉じこもっていました。

そんなわたしを助けてくれたのは、スイスの旅行ガイドブックと歴史の教科書。インターネットのない時代、美しい景色や古代遺跡の写真が、世界の果てまで連れて行ってくれたのです。毎日何時間でも、椅子に座ったまま(勉強をしているふりをして)ずっと旅をしていました。

この家からどうやって飛び出すか。一人暮らしは許されない。
19歳の時に読んだ【20歳のパリ】(1994 著者:坪野 絵林 理論社)。これでフランスに憧れ留学した20歳。一人暮らしはダメで、留学はOKというちょっと不思議な父なのでした。

失恋をした時は、家の中に閉じこもっていないで、コツコツと新しい体験を積み重ねることで、忘れたい思い出がどんどん過去に遠ざかっていくことを知りました。時間が辛さを和らげてくれる、なんて今思えば若い小娘が何も知らずにジタバタしていただけだけど。

結婚後、何年も不妊治療という底なしの沼にいたことがあります。そんな孤独からときどき助け出してくれたのは、【ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙】
(1995 著者:ヨースタイン・ゴルデル NHK出版)。哲学と絡みあった物語は途方もなく壮大で、そんな本を読んでいる時だけは現実を忘れることができました。

哲学や物語、古い歴史などの広い世界観に触れることで、自らのちっぽけな世界に気づく。大なり小なり心が苦しい状況からどうやって逃げられるか、そればかり考えていました。

これらの経験が今のわたしを作り上げました。だから、本を読んだり新しい体験をしたいという「視野を広げよう」とする行動は、わたしにとって逃げなんだ。自分の弱い心を守るための行動なんだと思っていました。

質問に答えられない

しかし、今は幸せなお花畑にいるはずのわたしが、なぜいまだにこうして視野を広げようと新しい体験を求めているのか?

そんなどうでもいいことに疑問を感じたのは、質問魔である息子のおかげです。

息子はわたしに似たのか、とにかく好奇心の塊。
「おかーさんは、何色が好き?」
「一番恥ずかしかったことは何?」
「一番得意だったスポーツは?」
「怖いけど頑張ってやったことは?」

簡単に答えられるものから、答えるまでに数日かかるものまで、我が家が誇るバラエティ豊かな発想力の持ち主。

ある日、息子にこう聞かれました。
「おかーさんは、何をしている時が一番楽しい?

すぐに答えられなかったのです。それがなぜか、ショックでした。
かろうじてなんとか口に出したのは、「読書・・・かな」。

「一緒にサッカーやっている時だよ」とか「一緒に映画見ている時だよ」と、息子との時間だと即答出来なかった事実に罪悪感もあります。

しかしそれよりも、わたしにとって、一番何が楽しいのか。それがはっきりと分かっていない事実に腹が立ちました。

さまざまな幸運のタイミングと夫や両親の協力のおかげで今このニュージーランドにいるというのに。わたしは心から楽しんでいないのか?

不安や自信喪失の克服を専門とする臨床カウンセラーのJulia Kristinaさんが、Podcast(THE LAVENDAIRE Lifestyle)の対談の中でおっしゃっていました。

Start to get curious.

興味を持つことから始めよう。
そんなこと言ったって、興味なんて感覚的なことだし・・・やろうと思ってできることじゃないでしょ。と思っていましたが、まるで分かっていませんでした。

I would say start to get curious.
If you are stuck in patterns of people-pleasing, of over-functioning, of doing things out of a lot of obligation, of struggling with a lot of guilt, get curious.
What’s coming up for me right now? Why? Why is this happening? What are my thoughts about this?

(興味を持ってみよう。
もし、いつも人のために頑張りすぎたり、やらなきゃいけないことばかりしていたり、罪悪感を感じたりするなら、もうちょっと自分の気持ちに関心を持ってみよう。
今、自分に何が起こっているんだろう? どうしてそう思うんだろう? それについてどう感じるんだろう?)

自分自身の気持ちに「なぜ」を繰り返すこと。
それがGet Curiousの意味。

あるときFacebookを開くと、とてもかわいい女の子の笑顔が目に飛び込んできました。友人のお子さんで、とても美しく成長し、小さい頃からの夢を叶えてニューヨークのデザイン学校に飛び立つという投稿。

まず感じたのは、なんとなく後ろめたい「いいなぁ。」という気持ち。これがどこから来るのか最初は分かりませんでした。その日一日、その子の笑顔が忘れられない。素晴らしいことなのに、素直に祝福出来ない自分にイライラしていたのです。

娘と比べているのか?
娘にその学校に行ってほしいと思っているのか?
その学校がうらやましいのか?
自分の気持ちになぜ?を繰り返しました。

夕方になって、ようやく分かりました。
娘とは全く関係がない。Facebookのかわいいあの子になんの罪もない。

自分が行きたかったんだ

あんなふうに若さいっぱい溢れた笑顔で。あの子のように努力をして。わたしには努力が足りなかった。もっと若い頃に頑張ればよかった。あの子のように志を持って、挑戦したかった。
その気持ちの正体が分かったら、スッと心が軽くなりました。人間って本当に自分勝手な感情の生き物。Yちゃん、おめでとう!

うらやましいのに、それを口に出したくないほどの不快感がある時、それは結局、自分が最も欲しいもので、達成できていないもの。わたしにとっては彼女の若さと努力と挑戦する勇気でした。

うらやましくて仕方がない、大好きな友人がいます。
彼女は家族で海外に移住し、ミュージシャンとして忙しそうに飛び回っています。最初は彼女の「海外暮らし」や「いつでも素敵なスタイル」とか「家族仲良し」なところがうらやましいんだと思っていました。

暮らしに慣れるには苦労も努力もあっただろうに。SNSからはキラキラしか見えて来ません。

今なら分かります。わたしが最も欲しいもの。
それは彼女が自分の好きなことで輝いていることです。

誰もが認める素晴らしい楽器の演奏は、きっと1日も欠かさないで練習している証拠でしょう。子育てもしながら、慣れない土地で。そしてその努力でさえ、心から楽しんで(いるよね?)いるということ。
それがうらやましい。それがまだ達成していない、わたしにとっての課題なのです。

この二つのことで共通しているわたしに足りないものを発見しました。それは、「地道な努力」。

なぜ?を繰り返すことに慣れたら、感情をコントールできる上に、自分にとって本当に必要なものも見えてくるかもしれない。

ちょうどその時読んでいた本の中で、偶然にも同じ質問に巡り合いました。前田裕二さんの【メモの魔力】(2018 幻冬舎)です。

あなたは今、何をしているときが一番楽しいですか?
あなたは今、何を目標に生きていますか?
このように、人生のモチベーションの根幹に関わることを質問されたとき、パッと即答できる状態のことを、2017年に出した拙著タイトルにかけて、「人生の勝算がある」、と僕は表現しています。

メモの魔力 著者:前田裕二 

パッと即答できないわたしは、勝算のない状態。それはまずい。

「なぜ、今でも視野を広げる行動をとるのか。」

この(はっきり言ってどうでもいいのは百も承知)テーマで、何階層にもなぜ?を繰り返し、見つけた答えは、山口周さんの【世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?】(2017 光文社新書)という本で語られた「美意識」を無意識に求めていたから、という結果に辿り着きました。

美意識を鍛えるとは

視野を広げる意味で、よく読む本がビジネス書や自己啓発書です。
その中でもダントツお気に入りなのが、山口周さんの書籍たち。

わたしがここでまとめると、安っぽくてなんの価値も感じない言葉に変身してしまうのが悲しいですが、これまで関わってきた、アートや対話型絵画鑑賞に加えて、「哲学に親しむ」とか「文学を読む」など、好きな分野が網羅されていることにワクワク感が止まらないのです。(ほら、安っぽい)

面白法人カヤックさんでの対談記事で、【世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?】を読んだ人の反応が、大きく3つに分かれた件について。

:はい。ひとつめは「同じことを考えていたのを言葉にしてくれた」というもので、アーティストやデザイナーの方からいわれることが多いです。ふたつめは「モヤモヤしていたけど方向性が見えた」というもので、経営者からよくいわれます。みっつめは「よくわかりませんでした」というもので、コンサルタントと丸の内系のサラリーマンが多いですね(笑)

面白法人カヤック

勝手に太字にしましたが、なるでわたしはアーティストである、と認めてもらったような嬉しい気持ちになりました。
ちなみに夫は、丸の内系サラリーマン。

そんな山口周さんがおっしゃる「美意識」という言葉にこの数年憧れ続けてきたのです。それは、世間が認める名作の良さが理解できるような感性、ではなく、自分がワクワクするものを見つける、誰かではなく自分が美しいと思うものを見つけるということ。

これからは論理的な正解ではなく、豊かであるとか、美しいということが価値を生んでいく。それを判断するには心を動かすことが必要になる。つまり、心を柔らかくしていくことが必要。

もっと世界の豊かさ、美しさをみてみたいという単なる自分の欲求に「はいどうぞ。行ってらっしゃい!」と公式ハンコを押してもらえた気分になります。

一人暮らしを許してもらえなかった若かりし自分の野望を満たすためにワクワクを求めて、そしてニュージーランドの雄大な景色で心が洗われる日々に憧れて、今ここに辿り着いたのでした。

美意識を鍛えるという行動様式は、こんなことして過ごせたら最高だなぁ。とふんわり思っていた世界が言語化されたものでした。これが究極のお気楽キャラへまっしぐら。

そもそもビジネス書で書かれている内容は、すでにビジネス畑の中で生きている戦闘能力の高い人々に向けて新たなスキルやマインドセットを提供するものであって、お花畑で一つ一つのお花についてじっくり考えては、お庭を歩き回っているような人向けではない。

自分にマッチする綺麗な部分のみ抜き取り、実行に移してしまう行動力は、このお花畑型の特徴かもしれない。

ただそんな概念のほんの一部でも吸収して、もう少し現実的な世界へ脱出するための戦闘スキルもしくは魔術を手に入れられないものだろうか。と、畑違いのビジネス書を読み漁る日々は続いていくのです。

視点を上げる意識

ビジネス界隈では抽象度を上げるとか、解像度を上げるとか、とにかく視界をクリアにすることが重要と言われています。

苫米地英人さんの【「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!】(2014 コグニティブリサーチラボ株式会社)では、「感情に支配されている人は、抽象度の低い人」という言葉に耳が痛くなりました。

前述した前田裕二さんの【メモの魔力】(2018 幻冬舎)でも書かれているのはメモの書き方よりも、「抽象度のレイヤーを上げるためには」「思考を深める=抽象化」など、抽象化思考のメリットが大部分です。ただ、わたしにとって一番インパクトが特大だったのは、抽象化の訓練によって、言語化スキルもアップするということ。

いつも言語化できないふわふわの自分が嫌です。意見もあるし考えもある。だけどそれらをすべて感覚で言葉にしてしまうクセ、そろそろ直したい。これが「お花畑型」のもう一つの特徴であり、息子の質問に即答できない要因の一つでもあると思います。

抽象度を上げるとは、視点を高くして、ものごとを俯瞰して見る。そこから見ることでより本質をつかもうという概念かなと理解しています。

この視点を上げるという考え方に出会い、目の前がパッと明るくなったような衝撃を受けました。年々視界はめっきり狭くなり、老眼が手放せないお年頃ではありますが。

馬田隆明さんの【解像度を上げる】(2022 英治出版株式会社)では、解像度が低いときの症状が当てはまりすぎて本を閉じたくなりました。

「具体性がなく、ふわっとしている。」

これまで何度指摘されたか。

こうしてものの見方、考え方を知ることが楽しいです。

きっと前にもこの考え方に出会っていたに違いないのですが、今、ピンと来た理由は、おそらくこれらを理解するのに十分な視野を、広げてきたからだと思います。


わたしは横に横に広げるばかりで、上を見ていなかったのです。
視点を上げてみたら、見えてきたものは、すでに持っているものばかり。

新しいことにすぐに手を出し、家事の合間に隠れて読書をする時間があり、移動を好む好奇心旺盛な人種であり、この地球上ではかなり恵まれた環境のお花畑に住む、ある種の平和ボケした人間。

ずっと忘れていたのに、3年前に聞いた「お花畑型」をこうして思い出し、わたしの抽象度(視点)を空高く上げてくれたのでした。

初めて聞いた当時は、自分の視野の狭さ(甘さ)を思い知り、現にこうしてニュージーランドまで、新しい何か、新しい体験を求めてやってきたのです。

これまでは、それが不快感や窮屈さから逃げるためでした。

しかし高いところから俯瞰してみれば、単に好奇心旺盛な一人の人間が、自由に想像の世界や現実の世界を探索している。

すでに自由なのに、それを奪われるのを恐れて、目の前のモノゴトを見ようとせず、地道な努力を怠っている。ちっぽけだけど大切な自分。それに気づくことができたのでした。

何をしている時が一番楽しい?

今なら、息子の質問に即答できます。

「何かに挑戦しているときだよ」

逃げると挑戦。漢字が似ていますね。
逃げてもいい。それは新しい世界に飛び込む勇気でもあるから、と誰かが言っていましたね。

本を読んで新しい視点に出会ったり、これまで知らなかった分野の勉強を始めたり、初めての街を探検したり、想像したこともない世界観に触れるとき。
つまり、心でも体でも、冒険の旅に出ているときが一番楽しい。

だからわたしは、部屋の模様替えが好きなんだ。だからわたしは時々無性に移動したくなるんだ。だからわたしは、束縛されるのが嫌いなんだ。だからわたしは一人で空想する時間が必要なんだ。

だからわたしは、きちんとした職について仕事をこなすことが出来ず、いつまでも甘いと言われるんだ。

お花畑型を証明することができました。

今ようやく、わたしという人生50年の全体像を俯瞰できたところです。
まだまだ学びたいこと、見てみたいもの、体験したいことがあり過ぎる。

経営相談室の人に言われたお花畑発言。あのとき傷ついた自分はもういません。そして、そんなお花畑のことなんて早く忘れて、自分らしい道を見つけなくちゃ。
とは思いません。

この世にどれだけいるか分かりませんが、わたしのようなお花畑型の人たちの希望の星となれるよう、今度こそしっかり妄想を言語化し、地道な努力を怠らず、カタチにしよう。

こうなったら抽象度をもっと上げて、天空のお花畑を目指してやる、という冒険心に火がついたのでした。

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