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DAY331 子どもとNZ 2024 小学校最後の日

(2024年の一年間、高校生の娘と小学生の息子、そして母である私の3人で「ニュージーランド暮らし」を決行します。このチャレンジの準備から現地での暮らし、帰国までの事実、そして気持ちをココに記録しておこうと思います。)

Year 4(日本の小学3年生)のまるっと1年間、ニュージーランドの小学生を思い切り楽しみました。

最初は英語も話せず、友達もいない、と学校に行けない日もありました。

突然の環境の変化と知らない人、知らないことばかり。小さな体の大きな心いっぱいに不安を抱えているようでした。

それが少しずつ、こんなスタイルの授業、こんなふうに遊んで、こんなふうにモーニングティを楽しんで、ランチの後にはまた遊んで。と繰り返すたびに、どんどん自信をたくわえていきました。

裸足で外を走り回り、友達との時間が増えるごとに、どんどん学校が大好きになっていきました。

熱を出しても「学校に行きたい」というほど。

体験できたこと

行事がたくさんありました。
親ももちろん参観可能で、たいてい行事のあとは(どんなに早くても)そのまま連れて帰ることができました。

Meet the Teacher Picnic
Wheels Week
Swimming Sports Day
Science Day
Sports Camp
School Cross Country
Pink Shirt Day
Pizza Lunch Day
Agricultural Day
Wig Wednesday
Spring Fair
School Camp
Christmas picnic
Disco party
その他いろいろ。

日本の学校とニュージーランドの学校の違い

(息子が通った小学校の場合)

・午前中にモーニングティというおやつタイムがあること
・上靴という存在はなく、中も外も裸足(の子どもが多い)
・ピアスも髪の毛の染め色も、フード付きトレーナーも、サンダルもクロックスも飾りも帽子も、とにかく服装や身につけるものは自由
・毎日読書のススメはあったけれど、基本的に宿題はない
・年に3回、2週間のホリデー+一ヶ月半の夏休み
・いくつかのアプリを使いこなし、連絡や先生との面談予約なども全てオンライン
・配られる用紙はなし
・教科書がない
・給食がない
・いろいろなスポーツを楽しめる
・一人一人の机と椅子がない
・床に座るか、ソファや自由な配置の椅子がある
・学年やクラスごとの授業ではなく、3・4年生、4・5年生がそれぞれの習熟度に合わせたグループに分かれて、そこに先生がつく(息子の場合、算数は5年生とやるけど、リーディングは3年生と一緒など)

他にもたくさんあるのだけど、思い出したらまた追加しようと思います。

自由と責任

そういえば、何度か行事でお金を持たせてね(1ドルや2ドルのゴールドコイン)という場面がありましたが、日本ならかなり気を使う(というか、学校によっては禁止?)ところですが、子どもたちにきちんと責任の機会を与えているなぁと感じました。

行事中にPTAが運営するブースでアイスやベイキングを子どもたちが自由に買えるのですが、お金を持ってきた子は買えるけれど、持ってきていない子は買えない、少ない子は少ししか買えない。そこで、どうしても足りないけど欲しいという子も出てきます。

全てボランティアや寄付で成り立っているので、しっかりその金額でなくてもよいような気がするし、可哀想だから少しならおまけしちゃいそうになるのですが、「足りないから買えないよ」「欲しかったら親からもらってきてね」とビシッと答えていました。

そうしないとその子は次回からも「足りなくても買える」と思ってしまうからね、とPTA友達が言っていました。
もちろんその通り。

そして、お金の管理も本人まかせ。私がコインを出すと、それをジップロックに入れて名前を書いてリュックのポケットに入れておき、息子はそれを無くさないようにしなくてはいけません。当たり前の話ですが、親が心配して先回りをすることが少ないなと感じました。

金額も本人(家庭)まかせ。「ケンカになる」とか「誰かと合わせる」という考えはないようです。自分で親と話し合い、使いたい分、寄付したい分を持っていきます。

もちろん教室の中では先生たちが十分に注意している(?)としても、万が一無くしたら、それも本人の責任。

お楽しみイベント

先日、クリスマスピクニックが学校の芝生フィールドでありました。
夕方5時頃から続々とファミリーが学校に戻ってきます。
みんなそれぞれピザや飲み物を持ち込んで、ピクニックシートに座りこみのんびり。
ここでもPTAのソーセージやホットドッグ、アイスやジュースの販売あり。

サンタも来ていましたよ。
子どもたちが行列になっていたので、てっきり写真を撮りたいのだとばかり思っていたら、スマホを持った親の姿がない。
隣に座ってサンタとお話しする順番待ちでした!
親はピクニックシートで横になって、おしゃべりに夢中。

日本の学校ではもちろんあまりこういう行事はないと思いますが、決定的に違うと感じたのは「司会進行がない」ということです。

ピクニックするよ
みんなおいで
サンタも来るよ
楽しんでね

おしまいです。
開会の言葉も来賓挨拶も催しの順番も何もありません。
機会と場所を与えるのみで、そこに来たい人がフラッときて楽しんで帰る。

こないだのアスレチックデー(運動会みたいなもの)では、やり投げみたいなもの、高跳びや走り幅跳び、50m走など色々な競技を校庭のあちこちでやって回るのですが、当日の朝まで息子は何をするのか知りませんでした。(つまり、きちんとした練習がない)
親に見せる組体操や演技がない。

娘の高校で年度末の表彰式がありましたが、それも進行について事前に知らされることは一切なく、当日に名前を呼ばれたら前に出て握手しておしまい。

そう考えると、日本は「練習」とか「下準備」にかける時間がかなり多いなと気づきました。様々な儀式での「お辞儀の仕方」「歌の練習」「並び順」「出てくるタイミング」など細かく練習した記憶がありますが、もちろん本番に向けてしっかり皆が動けることは素晴らしいことかもしれないけれど、あれは何のためだったか?親に良いところを見せるため?

もちろん成功のために練習を重ねることは大切なことだけど、学校行事の中でこうした儀式的な場面が繰り返されるたびに、完璧な状態を目指し、逆に失敗が許されない雰囲気を作り出してしまうのかなぁと思いました。

ニュージーランドのリラックスムードは、日本人にとったらもしかして教育としては物足りないと思う部分もあるかもしれないけれど、地道な練習が嫌いな自由人である息子にとっては最高の環境でした。

しかし唯一、開始のチャイムがひどいです。ジリリリリ!!!と、何のセンスもない、ギョッとする音です。日本のチャイムは優しくて美しい。

どちらにしても、良いところ悪いところはありますね。私たちにとって幸運だったのは、日本のやり方以外にも、こうしたやり方を小さい頃から普通に受け入れている環境の存在を知れたこと。自分たちの常識が世界の常識ではない、と知れたことです。

年度末は長いホリデーに向けてさらにお楽しみばかり。
このクリスマスピクニックに続いて、ディスコパーティも開催されました。

夜6時ー8:30。子どもを学校のホールにポイしてまた迎えにくればいい。という。
しかもまたPTAがピザやジュースを用意するのでコイン持たせてね、と。
中は大音量の音楽に鮮やかな光線。イメージ通りの「ディスコパーティ」でした。子どもたちはアロハシャツやワンピース。メイクをしている子も。
おしゃれをしてジュース片手に踊ったり歌ったり。学年ごとに少しずつ時間帯をずらして、今年卒業の子達は9:30まで飲み食いダンス。もちろん、先生たちも楽しんでいました。

学校から「帰りたくない!」という息子を、無理やり連れて帰るという場面が今年、何回あっただろう。

友達

日本の学校のクラスでは比較的人気者のようでしたが、息子は実は、あまり友達がいませんでした。もちろんクラスメートに「友達」と呼べる子は数人いたけど、休み時間に遊ぶだけの仲で、お互いの家を行き来したり、一緒に公園に行ったりスポーツしたりする友達はいませんでした。特定の名前も話題に上がりませんでした。

それが今、親友と呼べる友人が数人できました。

朝の始業前からサッカーボールを追いかけまわし、一日中じゃれあって遊び、同じフットサルチームに所属し、家に帰ればMessenger Kids(オンライン)でおしゃべりしながらFCモバイルというサッカーゲームを一緒にやっているのは、Kiwiのダニエル。

何度もママの家に泊まりに行かせてもらい、(離婚されているので)友達がお泊まりできるのはかなりレア(ダニエル談)だというパパの家にも招待してもらい一度お泊まりさせてもらいました。

ママの家では早く寝かされて(部屋では遊んでいたけど)ママとお姉ちゃんが映画を見ていたらしい。
パパの家では夜にゲームセンターに連れて行ってもらい、12時近くまで一緒にYoutubeを見ていたBoys(パパも一緒に)という。

この違いに大笑いしてしまったけれど、もちろんパパは普段からいつもそうではなく、子どもが絶対喜ぶスペシャルな時間を作ってくれたのだと思います。(と信じたい、笑)

とってもお世話になったので、先日今度は我が家がダニエルを遊園地に連れて行きました。
息子たちは車の中でズーーーーーーーーーっとサッカーの話。お互いの好きなプレーヤーや、お互いの得意な技、それを全て分かった上で、世界のどこのチームの何というプレーヤーか(自分も含めて)を当てっこするゲームを永遠としていました。

途中、学校で習ったマオリの歌をどちらかが歌い出せば、一緒にハモって歌い始め、いつの間にかまたおしゃべりに夢中。

遊園地で散々遊んだ後、帰りの車の中でお互い疲れてしまい、少しケンカに。それでも到着する頃はまた一緒に歌を歌っていました。

そんな彼と、もうすぐお別れです。

他にも、お隣さんのコロンビア人のデイビッド。家の前の駐車場で、どちらかがボールを蹴り出せば、必ずどちらかも出てきて一緒に練習。
夕飯前でも、夕飯後でも、シャワーの後でも、寝る直前でも、最近は9時過ぎまで明るいので、ボールの音が聞こえたら、飛び出して行きます。

そこに最近加わったご近所に住むデイビッドの学校友達、ケビン。
いつもこの3人で遊ぶようになりました。年齢は一つ、二つ息子より大きく、頭ひとつ分くらい背も高い彼らですが、息子が一番えらそうにしゃべっています(笑)。
何度もドアをノックして「Kenny!」と誘ってくれたり、暑い時にお互いペットボトルの水を頭に掛け合ったり、キッチンの窓から見えるそんな光景がもう終わってしまうなんて。と本当に悲しい。

最後は最悪で最高だったブラックス。
学校のすぐ近くに住む子で、息子とはいつもケンカばかりでした。実は、「学校が大好きなのに、唯一ブラックスだけは嫌だ」と泣いて帰ってきたこともあります。
苦手だとずっと言っていたけど、気づけば何も言わなくなっていました。

それが先日のクリスマスピクニックの日、見てしまったのです。
ピクニックシートの上に座り込んで、娘とのんびりおしゃべりしながら、遠くで友達とサッカーをしたり木登りをしたりしている息子を眺めていました。

すると、突然、ある男の子が息子にタックルをしました。完全に不意打ちで倒れ込んだ息子。私はびっくりして声も出ませんでした。様子を伺っていると、立ち上がった息子は何と、その子に駆け寄り突き飛ばして馬乗りになり、取っ組み合いの殴り合い。

え・・・っと。

母親としてこういうときどうすべきか、全く頭が回りませんでしたが、止めに行くのは何か違う、と感じました。
男の子同士。芝生の上で裸足。まぁ、大怪我はないだろう、と判断しました。
お互いが悪いに決まってる。

たくさんのファミリーや先生がくつろぐ場所からは離れていたけれど、他の数人の子供たちが集まっている様子からも、何かケンカっぽいことをしていることは遠目にもわかる。
きっと誰か気づいた先生もいたと思う。
それでも、誰も「せんせー!ケンカしてまーす」みたいな報告をしない。

放っておこう。

と、私は目線を少しずつずらして、我が子の奮闘を無視することに決めました。

数分後、ケロッとした顔で「のど乾いたー!」と戻ってきた息子に、「どこか怪我した?」と聞いたら、「別に、なーんも」とのこと。
足にあざはいくつかありましたが、さすが芝生。あんなに倒れたり四つん這いになって取っ組み合いしていたのに、かすり傷ひとつない。

でも、目尻にほんの少し涙がありました。

痛いのか、悔しいのか、悲しいのか、きっと全てかもしれないけど、またフラフラっとボールを蹴りながら木登りをしたり他の友達と遊んだり。

このピクニックが終わる頃、息子を探してフィールドを歩いていたら、あのブラックスと大笑いしながら一緒にサッカーをしている息子を発見。

溢れても有り余るエネルギーを持つ息子を、これだけ体当たりで受け止めてくれる友達に巡り会えたこと、それを吸収してくれるふかふかの大地と、誰も彼をベイビー扱いしたり過干渉しない環境。

息子の個性にあまりにピッタリハマりすぎて、こんな良い経験の後にこんな辛い別れの思いをさせなきゃならないことが、果たして良かったのか悪かったのか判断もできないくらい、いま私の頭の中は混乱しています。

学校最後の日

先生は泣いていました。またいつでも戻っておいでと言ってくれました。
息子の成長を間近で見てくれた先生、ジョーは男の子3人を育てたママでもあります。ユーモアがあって、時には厳しく、でも愛情たっぷり。息子にとっては最高の先生です。

恐いと言いながらも、先生を見る尊敬の眼差しが私には痛いほど理解できます。
本当に小さな頃から素晴らしい先生に恵まれた息子。その幸運はNZでも健在でした。

今日で最後となる息子のために、クラス全員で力強いハカを披露してくれました。毎日毎日大声で歌い踊り、誰よりも大好きだったのに、まさか自分がそれを眺め、見送られる側になるなんて。
泣きながら叫び、ハカを演じるクラスメイトたちを、柔らかい笑顔で見つめる息子。どんな気持ちだっただろう。

こうして息子のニュージーランド、小学校留学の一年が終わりました。
人間が持つ喜怒哀楽をマックスまで使い果たし、楽しみ尽くした一年でした。


最後に書き忘れていたことをひとつ。息子の英語力は「伸びた」どころか「飛び跳ねました」

70%くらい聞き取れるけど、話せない状態から
→ ほぼすべて自分に話しかけられることは理解でき、スピーキングはネイティブ友達と対等に話せて、発音は良すぎて私が聞き取れないくらい。寝言はすべて英語で、家族との会話も英語混じりで通じないこともしばしば。
Bro, Mate, Dudeなど連発で、もう、

あなた、いったい誰?

という、おかしな状態に仕上がりました。

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seiko
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