得意な分野で力を発揮して支えあうこと
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得意な分野で力を発揮して支えあうこと

seiko

この時期になると、娘の学校では体育の授業で毎日のように、3キロ走らされます。

毎回ゴールが最後か最後から二番目の娘は、雨降らないかな、雪降るかな。体育がなくなってほしい。と、毎日お祈りをしています。雨が降っても体育は延長になるだけで、ノルマがなくなることはないのに。

その昔私も、決まってこういう寒い時期に学校の外周を走ったのを思い出します。娘とは違い運動は大好きでしたが、娘のように真面目ではなく、先生に見えないところに隠れて1周なかったことにするような悪い子でした。

体育行事 全員参加にしなくても」というタイトルで先日の新聞に書かれていた内容がすごく身に染みました。その記事は「私は運動が苦手です。」から始まり、体育祭などの学校行事が苦痛だったこと、ドッジボールなどの競技でボールへの恐怖心を抱かせてしまうこと、そして「苦手な人に対する非難にもつながりかねません」と書かれていました。

地域や社会で行われているスポーツイベントで活躍しているのは選手だけではありません。大会の運営スタッフ、世間へ伝える報道など、様々な人たちの協力で成り立っています。だから、選手だけでなくサポートなどそれぞれが活躍できる形式で参加できる仕組みがあった方が良いと思います。

朝日新聞 2022年1月20 日朝刊

もちろん運動が体に良いことはよくわかりますし、授業の中で体を動かさないといけないのは十分に理解できますが、体育の授業が「それぞれの得意」を活かす場にもしなったら・・・と考えるとなんだかワクワクしてしまいます。

きっと教科ごとにそれぞれの生徒の得意不得意があって、それらを総合的に学校生活の中でバランス良く発揮できたら良いのだろうけど。

この記事について娘に話すと、「じゃあ、もし将来私が学校を作ることになったら、そういうやり方にするよ。」とサラッと言われました。運動は得意ではなくても、瞬時にそういう想像ができる娘を誇らしく思います。

記事の最後には、

コロナの影響で様々な学校行事が中止・縮小されている今だからこそ、これまでの学校行事のあり方を見直してはどうでしょう。

朝日新聞 2022年1月20 日朝刊

とありました。まさに、今までの普通が普通ではなくなっている近頃、子供たちの心をもっと尊重した授業のやり方がもしかしたら広まるかも。と期待してしまいます。そんな期待ができるほど、ここのところの世の中の変化は凄まじいですね。

今までと違う。前例がない。前年の繰り返しではない。それはものすごく馬力のいることだと思いますが、コロナで失った多くの命や、かけがえのない思い出になるはずだったたくさんの結婚式や修学旅行やお葬式など、その機会を奪われた代償として、行事も意識も良い方向に大きく変えて行けたらいいのにな。
・・・と、学校関係者でも政治家でもない私がいうのは簡単です。

新聞に投稿した若い人の意見に共感して、ここにこうして書くことで一人でもまた共感してもらえたら、少しずつ世の中は変わって行くはず。


この文章を書いてからもうすぐ2ヶ月が経とうとしている。まさか戦争が始まるなんて。時間は戻せない。

普段SNSはあまり見たり発信したりしていない。正確にいうと、「見る」ことはなるべくやめるようにしていて、「発信する」ことはなるべくやりたいと思っている。書きたいと思っていてもなかなか出来ないのは、他のことを優先させてしまっているからだけど、ふとした瞬間にスイッチが入る。

今回は新聞の紙面に日に日に増えてきていた「東日本大震災」という文字。私が今こうして幸せに暮らしている時間は本当にかけがえのないものなんだとあらためて思うと同時に、「そうだ、人生の記録、インスタ、インスタ」とついつい発信したのが、結婚記念日に娘からもらった花束の写真だった。

何も考えずにアップしたが、その日一日後悔することになるとは思いもしなかった。なぜなら、知人友人がくれた言葉が「おめでとう!」で溢れていたから。その言葉はとても嬉しく、素直にありがたいし久しぶりの投稿でほんの数文字のコミュニケーションが心地良くもあった。

だけど、それと同時にその日が3月11日であったことに気づいてしまったのだ。おめでたい日ではない。黙祷する人々の写真を見て、心が痛んだ。だけど、また違うことにも気づいた。

私の結婚記念日は3月9日だったけれど、3月11日が誕生日の人もいる。「おめでとうの日」だ。そして新聞では毎日のようにウクライナの悲惨な状況が報道されている。

誰かが辛いとき、誰かは幸せで、誰かが誕生日のお祝いをしている時、誰かが亡くなった人にお祈りを捧げている。

それぞれの人生を、それぞれの感情のまま生きているのだから、他人の心を気にして生きる必要はない。

こういう「気にしてしまう心が行き過ぎること」でそれを他人にも求めてしまうのではないだろうか。私が辛いのだからあの子も辛くあるべき。私が我慢しているのだから、あなたも我慢するべき。


人々がシンプルにそれぞれの「得意分野を生かす」生き方がもっと自然にできるような世界になったら、もっと楽になるのに。きっと大昔は皆がそうやって生きてきたと思いますが、世の中複雑になりすぎたために、様々な困難が降り掛かってくるのかな。

周りを気にせずにシンプルに自分の役割、得意分野を全うできる世の中なら、苦しい状況の誰かを、余裕のある誰かが支えていける社会になって行くのかなと思いました。

人間はお互い支えあってしか生きていけないのだから、その本質を学ぶためにも、やはり「体育行事 全員参加にしなくても」の記事に賛成します。

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