「原発PR標語」考案者 111回目の双葉町里帰り・前編(牧内昇平)
(2021年11月号)
〈原子力明るい未来のエネルギー〉。双葉町の小学6年生だった大沼勇治さん(45)が考えた原発PR標語だ。町から表彰され、巨大な看板になった。それから20年後、原発は暴走し、町の姿は変わり果てた。「『明るい未来』なんてなかった。待っていたのは『破滅の未来』だった」。深い悔恨を抱く大沼さんと共に、双葉町を歩いた。
大沼勇治さん、45歳。双葉町で育った。原発事故が起きた時、妻のせりなさんは第一子の妊娠7カ月だった。妻子の健康を案じ、親戚の住む愛知県に避