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(浅井茂利著作集)不思議な財政論議

株式会社労働開発研究会『労働と経済』
NO.1617(2017年8月25日)掲載
金属労協政策企画局長 浅井茂利

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 2017年の「骨太方針(経済財政運営と改革の基本方針2017)」では、「財政健全化目標」に関し、2015年策定の「経済・財政再生計画」において、
*2020年度PB(プライマリー・バランス = 基礎的財政収支)黒字化を実現することとし、そのため、PB赤字の対GDP比を縮小していく。また、債務残高の対GDP比を中長期的に着実に引き下げていく。
としていたのを、
*PBを2020年度までに黒字化し、同時に債務残高対GDP比の安定的な引下げを目指す。
に変更されたことが、話題となりました。2020年度PB黒字化のめどが立たない中で、名目GDPが成長すれば、債務残高を拡大できるようにするための見直し、という批判が高まったのです。
 確かに2020年度の時点で、PB黒字化は達成できなかったが、債務残高対GDP比は低下している、という状態になっている可能性は十分あります。その場合、目標がPB黒字化だけであれば達成率はゼロということになりますが、PB黒字化と債務残高対GDP比の引き下げというふたつの目標があれば、ふたつのうちひとつは達成した、ということになるかもしれません。
 しかしながらだからといって、政府のご都合主義で目標を変えた、けしからん、と批判するのは、やや近視眼的に思えますし、とりわけPBを絶対視するような見方は、非常に危険です。
 金属労協では、政策・制度要求において、「早急に政府債務残高の対GDP比を確実に縮小させる、数値目標を伴った歳出改革計画を策定し、その法的実効性を確保すること」を掲げ、PBよりも債務残高対GDP比を重視した財政健全化を主張してきました。今回の政府の目標変更が、ご都合主義なのかどうかは、判断する材料を持ちませんが、この変更をよい方向への政策転換の端緒としていくことが重要だと思います。

PBは一里塚にすぎない

 PBは、政府や地方自治体の「税収・税外収入」と、「公債(国債・地方債)の元本返済や利子の支払いにあてられる費用を除く歳出」との収支を表し、「その時点で必要とされる政策的経費を、その時点の税収等でどれだけ賄えているかを示す財政指標」です。
 このため、たとえばPBが均衡している状態が続くと、「利子の支払い」の分だけ、確実に債務残高は増えていきます。また、債務残高対GDP比との関係では、
債務残高対GDP比 = 債務残高 ÷ 名目GDP
利子の支払い = 債務残高 × 金利
ですから、公債の金利が名目GDP成長率よりも低い場合、PBが均衡していれば、債務残高対GDP比も低下していきますが、金利が成長率よりも高くなると、PBが均衡しているだけでは、債務残高対GDP比は拡大していくことになるわけです。
 現在は、長期金利は名目GDP成長率よりも低いですが、財政審(財政制度等審議会)の「建議」(2017年5月)によれば、「金利とは、中期的に見れば実質成長率、期待インフレ率及びリスク・プレミアムの和に近い値になると考えるのが妥当である」ということなので、金利は、名目GDP成長率を上回っているのが通常であり、PBがようやく黒字になった程度では、債務残高対GDP比は上昇を続けることになります。
 このため「建議」では、
*債務残高対GDP比を安定的に引き下げていくためには、「PBを十分に黒字化することが必要である」
*「PB黒字化」はあくまで通過点、「一里塚」に過ぎない。
と指摘しています。

PBを金科玉条にしてはならない

 経済同友会が7月13~14日に開催した「2017年度夏季セミナー」では、「持続可能な社会の構築に向けて」と題する「軽井沢アピール2017」が発表されましたが、この中では、骨太方針に関し、「財政規律の弛緩を招きかねない公的債務残高対GDP比というストック指標が導入された」ことを批判し、「国の将来を見据え、プライマリー・バランスの黒字化に向けた現実的かつ具体的な目標を示す」ことを求めています。
 しかしながら、債務残高対GDP比は、今回新たに「導入された」わけではありません。先述のとおり、2015年の「経済・財政再生計画」でも、すでに言及されています。「PBの黒字化に向けた現実的かつ具体的な目標」を示せというのも、この要求自体、具体的とは言えません。
 PB黒字化は、あくまでその年々の財政が健全であるかを示す指標であって、長期戦となる財政健全化の取り組みにおいて、最初の一里塚に過ぎないのに、これを金科玉条としてしまっていることによる誤解ではないかと思います。
 新聞報道によれば、債務残高対GDP比に関して参加者から、
*GDPが増えれば借金を増やして良いという言い訳に使われる恐ろしい指標。
*悪用すれば、財政支出でGDPを上げることもできる。本末転倒だ。
との批判があったとのことです。あくまで新聞報道なので、発言を正確に伝えているかどうかはわかりませんが、少なくとも発言者名が公表されており、発言者の所属企業から、訂正のプレスリリースは出ていないようなので、まったく間違っているわけではないと思います。
 しかしながら、前者の発言について言えば、新しい財政健全化目標は、債務残高対GDP比を現行水準で維持してよい、と言っているわけではありません。あくまで「安定的な引下げ」を掲げているのですから、「恐ろしい指標」は言い過ぎのような気がします。
 また後者の発言は、財政支出でGDPが拡大できる、という発想自体が、古いのではないでしょうか。「建議」では、「公的債務がGDPの90%を超えると経済成長が1%低下する」という分析を紹介していますが、日本の債務残高はGDPの190%に達しており、まさに経済成長を阻害する状況に陥ってしまっている、ここをどうするかということなのではないかと思います。

財政健全化の基本は債務残高対GDP比の引き下げ

 今回の新しい「財政健全化目標」の変更を素直に読めば、
<PB黒字化>
(旧) 2020年度
(新) 2020年度(変わらず)
<債務残高対GDP比引き下げ>
(旧) 中長期的に
(新) 2020年度PB黒字化と同時に
ということですから、PB黒字化は変わらず、債務残高対GDP比引き下げは前倒しされたことになるので、目標は緩和されたというよりも、むしろ強化されたと言ってもおかしくありません。
 ただし、内閣府の「中長期の経済財政に関する試算」(2017年7月)を見ると、PB黒字化は「経済再生ケース」の場合でも2025年度となっているのに対し、債務残高対GDP比は、2016年度をピークに、低下を続ける見通しとなっていますので、やさしい目標を掲げた、という批判はできるかもしれません。
 しかしながら、たとえそうであったとしても、財政健全化の基本は、やはり債務残高対GDP比の引き下げであると思います。稼ぎが多ければ借金の許容度も大きくなるというのは、国でも、企業でも、家計でも同じだからです。
 また、2017年5月に行われたG7タオルミーナ・サミットの「首脳コミュニケ」でも、「我々は、包摂性を高め、公的債務残高対GDP比を持続可能な道筋に乗せることを確保しながら、財政政策が成長と雇用創出を強化するため機動的に用いられるべきであることに同意する」と記載されています。PBへの言及はありません。OECDのとりまとめている「主要統計」でも、債務残高対GDP比は入っていますが、PBは入っていません。PBが債務残高対GDP比よりも優先する指標であるとは思えません。

債務残高対GDP比に関する数値目標の確立を

 先述のように、2017年7月の内閣府の試算では、2019年度以降の名目GDP成長率3%台後半を想定した「経済再生ケース」の場合ですら、PB黒字化は2025年度とされており、目標である2020年度黒字化は達成されないことになっています。財務省の説明によると、歳出改革の効果を織り込んでいないから、ということですが、政府では、歳出改革の具体的な工程表をまとめているわけですから、まずは、歳出改革を反映させた試算を国民に示すべきであると思います。
 また債務残高対GDP比は、「経済再生ケース」では、2016年度がピークですが、2019年度以降の名目成長率を1%台においた「ベースラインケース」では、逆に2020年度を底として、上昇していくことになっています。「ベースラインケース」はやや悲観的すぎると思いますが、それでも引き下げができて当然ではないことがわかります。
 実際、1年前の2016年7月の試算では、2016年度の債務残高対GDP比は、2015年度に比べて横ばいが見込まれていました。ところが今回の試算では、2015年度の187.5%から192.2%へ、4.7ポイントも悪化してしまっています。2016年度については、第2次補正予算に盛り込まれた「未来への投資を実現する経済対策」4兆5,221億円が影響しているものと思われます。(ちなみに、2016年度の数値を1年前の試算と比べると、大幅に低下していますが、これはGDP統計の見直しによるものです)
 繰り返しになりますが、従来の財政健全化目標は、「2020年度PB黒字化を実現することとし、そのため、PB赤字の対GDP比を縮小していく。また、債務残高の対GDP比を中長期的に着実に引き下げていく」ということでした。ですから本来は、すでに「PB赤字の対GDP比を縮小」していなくてはいけないはずですが、あくまで「2020年度PB黒字化」のための縮小ですから、途中経過にすぎない、とも言えます。実際、PB赤字の対GDP比は、先の理由により、2015年度2.9%から2016年度に3.6%に悪化してしまいました。「2020年度PB黒字化」のみが一人歩きをし、2020年度までは大盤振る舞い、という状況になっていないでしょうか。一時的な大盤振る舞いも、長期的な債務残高の拡大につながるわけですし、一時的な支出では済まない場合も出てくるだろうと思います。また、超少子高齢化への対応や教育投資など、本当に国が行うべき必要な支出を増やすことができなくなってしまいかねません。PB黒字化偏重の弊害が、ここでも表れているように思われます。
 今回の新しい目標は、PB黒字化と債務残高対GDP比引き下げとを同時・並行に掲げていますので、債務残高対GDP比引き下げを先送りすることはできません。2017年度の債務残高対GDP比は、2016年度に比べ1.3ポイント低下の190.9%が見込まれています。補正予算次第でどうなるかわからないわけですが、新しい財政健全化目標で、歯止めをかけていく必要があります。
 いずれにしても、わが国の債務残高対GDP比の水準は、OECD諸国中最悪で、しかも飛び抜けて悪いという状況にあります。「安定的な引下げ」を図るだけでなく、何らかの数値目標と達成時期を掲げて取り組んでいく必要があります。数値目標については、先ほどの90%というのも、ひとつの目安となりますし、達成時期に関しては、超少子高齢化の状況、すなわち総人口に占める生産年齢人口の比率などを勘案しながら、設定していくべきではないかと思います。

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