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人生の最後に

 それは、平成20年12月1日月曜日の早朝7時前の事だった。私は、この時の事を鮮明に覚えている。いや、忘れられないというほうが正確かもしれない。

 その日、私は早出で出勤しいつもと変わらず情報収集を行った後、先輩職員と共に朝食の為、東棟から離床介助を行いに行った。いつものようにA氏から起きていただく、「おはようございます、朝ごはんにいきましょう」と声掛けを行った。声掛けをした際、A氏は開眼、開口していた。A氏は反応されない。私は「あれ?もう起きとるんかな?聞こえんかったんかな?」と思ったが、表情や様子がいつもと違うことにすぐに気が付いた。

 普段のA氏は声掛けに穏やかに「はい!」と言われたり、「なんや!?」と怒気を含んだ声で言われることが多かった。再度私は、A氏に声掛けを行ったが、やはり返事は反ってこなかった。私は心配になり、A氏の口元に耳をかざしてみたが呼吸をしていなかった。

 私はすぐに看護師にA氏が呼吸をしていないことを報告した。看護師が確認したところ、A氏はすでに心肺停止状態であった。私と先輩職員の2人は、看護師の指導の下、すぐに心臓マッサージを開始した。

 季節は冬だというのに私は額に汗してもしもしカメよ、カメさんよの要領で無我夢中で心臓マッサージを行った。心臓マッサージ中、私はA氏に「Aさん、起きてよ!ご飯行こう!いつまで寝とるんよ!早よ起きよう!」や「もうすぐ、大みそかやで!お正月やで!みんなで年越そうよ!お正月迎えようようよ!」と必死に声を掛け続けた。先輩職員も同様の声を掛け、A氏の肩を揺らすなどし、A氏の反応を待った。

 状況から見て当時、未熟であった私でもA氏が息を吹き返すことが困難であることは理解できた。だが、もしかしたらA氏が息を吹き返し「痛いやろ!何するんや!」と言うような気がしていた。わずかな希望を持ち、諦めずに懸命に心臓マッサージを続けた。

 しかし、A氏は私たちに二度と声を発する事は無かった。高齢者になると、誰しもが多かれ少なかれ、病気を持っている事は理解していたが、昨日まで変わらない様子であった人がという思いが私の胸に去来した。

 そして、私は涙が出てきた。私の隣で普段から笑顔の絶えなかった先輩職員も涙を流していた。「最期が俺でごめんな」と言い泣いていた。
 
 私は、今でも時折、この事を思い出す時がある。あの時のA氏の表情が鮮明に蘇ってくる。もしかすると、人生の最後に私たちを選んでくれたのではないかと考えた時、私たちは、少しでもA氏の為に役に立つ事ができたのはないかと思う。
 
老人保健施設 清華苑養力センター
松田祐樹

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