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民研歳時記<第5回>『遠野物語』ガタリ

 明治41年11月4日は、『遠野物語』の語り部、佐々木喜善が、はじめて柳田國男の家にやってきた日です。

 今回は、柳田の代表作『遠野物語』についてお話ししたいと思います。
 民俗学に興味を持ったのは『遠野物語』を読んだことがきっかけという方も多いので、今回の内容は既に知っているという方もいると思いますが、まだ読んでいない人にぜひ読んでいただくため、基本的な話から進めていきたいと思います。また、『遠野物語』のようなお話を研究してみたい人向けに、民俗学のこの分野の研究を簡単に紹介します。

『遠野物語』を読んでみよう

 第1回で簡単に触れたように、柳田の代表作『遠野物語』は、柳田自身の創作ではなく、岩手県遠野出身の佐々木が、祖母などから聞いた話を柳田に語り、それをもとに、柳田が執筆した文学作品です。
 『遠野物語』は、収録されたお話自体は昔話や世間話のようなわかりやすい内容なので、中学・高校生でも楽しめますが、歴史的仮名遣いや古い表現が使われており、また柳田独特の文学的な言いまわしがあるため、少し読みづらいと感じる方もいるかもしれません。
 そういった方には、現代語に翻訳した『全訳 遠野物語』(石井徹訳註・石井正己監修、無明舎出版、2012)や、漫画『水木しげるの遠野物語』(小学館、2010)といった本もあります。
 とはいえ、柳田の文章は文学的にも評価が高く、ぜひ、原文で味わっていただくことをお勧めしたいと思います。
 文庫版も各出版社から出されておりますし、佐々木の話をさらに追加した「遠野物語拾遺」と一冊になった本なども出ています。
 図書館や本屋さんに行くのも手間だし、お金を出して買ってみるほどでもないかなという人、『遠野物語』は「青空文庫」でも読めますし、『遠野物語』初版本のデジタル画像は「国会図書館デジタルコレクション」(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/767944)で、全ページで閲覧することができますよ。

『遠野物語』ってどんな本?

 『遠野物語』には、119の話が収録されています。川童(河童)や天狗、里の神、家の神、山の神、神隠し、マヨヒガ等々の不思議な話が中心で、佐々木の当時の日記には、「柳田さんの処に行った。お化けの話をして帰つて…」と書かれています。
 『遠野物語』を書いた時点では、柳田はまだ「民俗学」をやろうとは考えておらず、面白いお化けの話を知っている青年がいると紹介されて、佐々木に会っています。
 柳田は、明治36年に田山花袋と共同の名前で、『近世奇談全集』という不思議な話を掲載した書籍を集めた本を出しています。『遠野物語』も、これと同じ文学活動の一環ではありましたが、その刊行には別の意図もありました。

 『遠野物語』の執筆当時、柳田は法制局の官僚でした。柳田の興味は、農林政策などにあり、地方に暮らす人々の生活の向上に、日々腐心していました。
 官僚柳田は、地方の生活を向上させるには、それぞれの地域の特徴や、そこに暮らす人々の考え方を知る必要があると、考えるようになっていきます。
 そんな折、明治41年5月24日から8月22日にわたる九州・四国視察の出張で立ち寄った宮崎県の山村、椎葉村で、猪狩りの作法を大事に守り伝えている人々に出会います。
 急激な近代化の進む中、日本の南の端の九州の山の中に、近代化とは相容れない生活の実態があることに心を打たれた柳田は、これを都会に住む人々にも気づかせなければいけないと考え、『後狩詞記』(のちのかりことばのき)という本にまとめて出版しました。
 この際、柳田が考えたのは、南の端だけではなく、北の端でも同じようなものはないかということでした。

 佐々木の語る不思議な話には、ただの怪談話と異なる特徴があることに柳田は気づきます。それは、佐々木の話は、どれも、遠い昔やどこか遠い国の出来事ではなく、今現実に、遠野という町の中で語られ、噂されているような話であるということでした。
 同じ町に住み、顔も名前も知っているような人たちの間で、誰々の家にいついつ起こった話だとか、どこの誰それが体験した話だとか、不思議な話が、現実に起こったこと、起こったらしいこととして語られていることに、柳田は惹かれました。
 不思議な話を真っ向から否定するのではなく、そういう話もあるものかと信じ、生活の中に取り入れている遠野の人々の生き方やその話こそ、『後狩詞記』と対になる北の端の真の生活でした。
 柳田は『遠野物語』の序文の中で、次のようにも述べています。「要するにこの書は現在の事実なり。単にこれのみをもってするも立派なる存在理由ありと信ず。」「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。」
 平地人を戦慄せしめよとは、少し強く感じる言いまわしですが、近代化の波にのまれて、都市に住む人々が忘れてしまった生き方や考え方をもう一度思い出させようというのが、この本に込められた期待でした。

どんな話が書かれているの?

 難しい話はこの辺でやめにして、ここで少しだけ『遠野物語』を味わってもらおうと思います。
 収録された一番短い話は、四八番のもので、

 仙人峠にもあまた猿をりて行人に戯れ石を打ち付けなどす。

以上です。
 この話は猿の経立(ふつたち、猿が年を取って妖怪となったもの)の話をいくつか取り上げた中に収められています。
 映画「もののけ姫」の一シーンを思い浮かべた人もいるのではないでしょうか。山道を歩いていると、猿が石を投げつけてくる。そんな話が実際にあるのかないのか、友達と意見を言い合ったら楽しいかもしれませんね。
 あるようでないような、こんな話が119話書かれているのが『遠野物語』です。

 東日本大震災の際、たびたび取り上げられた九九番の話には、学者の孫で土淵村の助役の弟にあたる人が、明治の三陸大津波で妻を亡くした一年後の霧の夜、亡くなった妻に出会いますが、妻はあの世で生前好き合っていた隣村の男と夫婦になっていたということが書かれています。
 この話は、「魂の行方」のタイトルでまとめられていて、亡くなった人の死後の幸せや生活を想像することで、心を慰めようという人々の思いが伝わってきます。
 東北地方には、冥婚(めいこん)と呼ばれ、若くして亡くなった人を死後結婚させることで冥福を祈る習俗が広く分布しています。
 供養絵額、ムカサリ絵馬などと呼ばれる、死後の結婚を示す華やかな婚礼の風景を描いた絵額を作成したり、花嫁人形を亡くなった人に供えるといったことが現在でも行われています。

 また、六三番、六四番の「マヨヒガ」と題された話は、山に迷い込んだ人が、山中で見知らぬ屋敷を見つけますが、立派なたたずまいに反して人が一人もいません。怖くなって逃げ帰ると、その家から流れてきた不思議なお椀を拾うことになり、お椀のおかげで家が栄えたというものです。
 この話は「隠れ里」や「鶯の浄土」などと呼ばれる昔話に酷似しており、昔話の一つとも捉えられますが、栄えた家は今の三浦家だと断定していて、「むかしむかしあるところに」とはなっていません。
 これが『遠野物語』の特徴でもあります。

話の研究

 またちょっと難しい話に戻りますが、『遠野物語』のような不思議な話を研究するのも、民俗学の一分野です。
 不思議なものだけでなく、笑い話やうわさ話等、様々な話を研究する分野は、「口承文芸」研究と呼ばれます。(「口承文芸」研究は、お話に限らず、謡や、ことわざ、おまじないなど、口頭で伝えられてきた文芸全般を対象としています。)
 民俗学での話の研究は、主に、伝説、昔話、世間話に分けられて扱われてきました。
 伝説は、なにか特定のものの由来や起原を語るようないいつたえのことです。
 昔話は、「昔あるところに」と、時間や場所を特定しないで語られる物語で、語る際に一定の形式、かたりくちがあるとされています。
 世間話は、伝説にも昔話にも当てはまらない、うわさ話や茶飲み話などになりますが、研究対象としての世間話は、同じような話が度々語られたり、話としての一定の様式を持っているものになります。
 このほかにも、神話・説話・民話・民譚・民間説話・童話・寓話・御伽話・ハナシ・カタリモノ・現代民話・現代伝説・都市伝説etc.様々な話を表わす言葉が存在しますが、それぞれの言葉に細かい意味が含まれています。
 それぞれがどう違うのかをここで適当に紹介すると、口承文芸研究の専門家に突っ込まれそうなので、口承文芸に興味のある方は、柳田國男の『口承文芸史考』(『柳田國男全集』16巻(ちくま文庫版全集8巻)、『定本柳田國男集』6巻)や、専門の研究書、大学の授業で学んでいただければと思います。

 『遠野物語』は、これらが未分化の時代に作られたので、伝説も昔話も世間話も含まれていますが、どちらかというと世間話の要素が強いといえます。
 世間話は、話の現代性が重視され、常に新しい形に内容を変化させていくことから、現代の世相を切り取るには恰好の材料とされます。
 話の広まる理由や、どんな話が受け入れられるのかを分析することで、それを求めて受容する社会を理解しようとする研究などが行われています。
 都市伝説やネットロアなど、最近の学生に人気の研究テーマでもあります。
 かくいう私も、卒業論文では怪談話をテーマに選んで、1,000話ほどの現代怪談を整理して傾向を分析することを試みました。結論には、現代の怪談は、怪異の理由を説明せずに終わるものも多く、通り魔的に怪異に出会うものが顕著にみられることから、ある程度自身の生活をコントロールできるようになった現代人にとっての不安や恐怖の中に、抗えない運命的な不幸に対する恐怖が根強くあるからではないかというようなことを書いた気がします。
 伝説や昔話、世間話の研究は、その背後に、それらを語る人や聞く人がいるということが大事になります。民俗学は、人々の生活や文化を探究する学問ですから、その研究材料としてこれらのお話を用いることができるのです。

 

現在、岩波書店で、遠野物語の草稿(完成品が出来上がる前の何度か推敲した原稿)三部作の出版準備が行われているそうです。遠野物語がどのように成立していったのか、見比べてみるのも楽しいかもしれませんね。

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 現在成城大学民俗学研究所では、本文でも述べた『後狩詞記』にまつわる九州出張の旅先などから家族に送られた、明治41年当時の柳田國男自筆絵はがきを取り扱った特別展を開催中です。(令和3年12月22日まで)
 観覧無料ぜひお越しください。
 https://www.seijo.ac.jp/events/jtmo4200000116cl.html

 また、12月11日(土)13:30から公開講演会を開催いたします。
 こちらも、お誘いあわせのうえご来場ください。
 神野善治氏(武蔵野美術大学名誉教授)
 「モノ語り・コト始め~民具の読み方を探る~」
 聴講無料・下記サイトよりお申込ください。
 https://www.seijo.ac.jp/events/jtmo420000011er5.html

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