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中学校の伝統行事「山の学校」で北アルプスに挑戦

成城学園の伝統行事「山の学校」は、中学2年生が槍ヶ岳、白馬岳・唐松岳への登山に挑戦します。
コロナ禍により2020年、2021年と2年連続で中止、2022年は感染対策を考慮して、一部ルートを変更して実施しました。
3000メートル級の北アルプス、最長4泊5日という大人でも厳しい登山ルートを経験する「山の学校」の狙いとは何でしょうか。
広報誌『sful-成城だより』第7号(2016年夏号)では「14歳、山の夏」と題し、「山の学校」を特集しました。2016年取材当時のエピソードを交えながら、これまでの歴史を辿ってみました。

どことなく牧歌的な印象を与える「山の学校」は、約60年も続く伝統行事。「山の学校」では、それぞれの体力に応じて、槍ヶ岳の縦走、白馬岳、唐松岳の登山を経験します。コースによっては最長4泊5日にわたる行程です。「自然と親しむ教育」を標榜する成城学園ですが、中学2年生が3000メートル級の北アルプスに挑むとなると驚く人も多いのではないでしょうか。

「山の学校」の歴史と創立者の想い

一見、無謀とも思えるこの伝統行事を今でも行っている理由、また長年、大きな事故もなく続けてこられたのはなぜでしょうか。「学校登山」の歴史を振り返ってみます。

明治時代、北アルプスのある地元では、学校登山が取り入れられるようになり、大正5、6年頃には全国的にも隆盛でした。
また、成城学園創立者・澤柳政太郎は松本出身であり、当時の教員の発言に「澤柳先生は山が好きだった」とあるように、創立当時から登山に積極的だったようです。
東京市牛込区(当時)に開校された成城中学校では、1918(大正7)年に、3週間の林間学校を中房温泉で、その後、槍ヶ岳、常念岳、燕岳、烏帽子岳の縦走を実施しました。成城第二中学校が砧村に移転した1925(大正14)年、山岳部の3年生が槍ヶ岳に登ったという記録が残されています。

昭和初期、当時のスキー山岳部が中心となって、白馬岳、槍ヶ岳、穂高岳(剣岳)の登山を経験するという行事がありました。中学2、3年生を対象に一般募集したところ、3分の1以上の生徒が参加したそうです。1935(昭和10)年には太極荘が建設され、成城の登山文化は、より盛り上がるようになりました。

ですが、1950(昭和25)年頃になると状況が変わってきたそうです。
クラスごとの行事が盛んになり、一般募集をしても参加者が集まらなくなってきました。一方で、クラス行事だけではなく、もっと学校としての行事を充実すべきという意見が大きくなってきました。
そこで、社会的な環境も整い、多人数で参加できるようになったこと、登山を経験してきた教員らの熱意、太極荘の関係者の協力などにより、1955(昭和30)年、中学2年生全員参加の「山の学校」が始まったのです。

「山の学校」、消滅の危機

歴史を積み重ねてきた「山の学校」ですが、約50年経った頃、危機が訪れます。
2008年の中高一貫カリキュラムの導入が検討され始めた際、「山の学校」の継続についても検討の議題に挙げられました。天候の変化やサポート体制など新たな課題も見られ、「山の学校」を不安視する雰囲気が強まっていました。
「山の学校」を守ったのは、保護者でした。卒業生でもある保護者を中心に、「山の学校」で得た自信と経験を子どもにも経験してほしいという声が多く届いたそうです。

本格的な登山では、持ち物や装備も重要です。装備は必要最小限に留め、できる限り荷物を軽くするよう指導されます。本番と同じ格好、同じ装備で登校する「前日登校」で、スマートフォンやドライヤーなど不要なものを持ち込まないか、服装や靴は登山に適しているか、を厳しくチェックされます。

総勢240人の生徒と関係者が無事に登山を終えられるように、現地のガイドさんとも毎回綿密に打ち合わせをしています。興味深いのが、成城学園には登山経験が豊富な教員が揃っていることです。大学時代に山岳部のキャプテンだった者、ヒマラヤのマナスル遠征隊に参加経験のある者もいいたそうです。
「山の学校」で山の魅力を知り、登山が趣味となった卒業生がボランティアでサポートしてくれることもあるそうです。卒業生でもある保護者が、中学2年生になったお子さんと一緒に「山の学校」に参加して、とても感動したという話も聞きました。これも「山の学校」を長く続けられたからこそでしょう。

そして重要なのが、槍ヶ岳、白馬岳、唐松岳のどのコースを登るかです。
もちろん生徒の希望も確認しますが、それだけで決まるわけではありません。
普段の授業や部活動の様子、1年生の時に行うマラソン大会、そして2年生の5月の遠足「大山登山」を経て、最終的に教員が判断します。というのも、長時間の登山には、体力だけではなく集中力が持続できるか、規律正しい行動がとれるかも重要だからです。
例えば、槍ヶ岳班の登山2日目は、燕岳から槍ヶ岳という10時間近い行程です。体力的に厳しいだけでなく、滑落したら大きな怪我になる可能性もある。また、足元の石を転がしたら、下にいる登山者がどうなるか。ちょっとした行為が、大きな事故を引き起こすことにもなります。事前の研修で、そうした注意を学んでおき、同行する教員やガイドさんの話をしっかりと聞き、指示があったときにすぐに対応できるかどうかも判断基準となります。

「あのご来光は一生の思い出」

登山の道のりも大変ですが、山小屋では何より水は貴重なものです。お風呂も毎日入れないなど、思うように水が使えない不便さを感じることも多々あります。
それでも、休憩の時にスイカやソフトクリームを楽しんだり、山小屋での食事を味わったりと、生徒たちは山ならではの時間を楽しんでいる様子もうかがえます。ちなみに、山小屋の夕食は定番のカレーやオムレツ、ハンバーグがやはり人気だとか。

何よりここでしか見られない景色。ライチョウやイワヒバリといった珍しい生き物、山道を彩る高山植物、眼下に広がる雲海、雪渓など、人の手を感じさせない自然はとても印象に残るようです。

槍ヶ岳のコースに挑戦した生徒の声を紹介します。
「ハードな経験だった。『ファイト』って声を出したり、部の応援歌を歌ったりして、皆で気分を盛り上げて乗り切った。思い出すのは、燕山荘に泊まった日の夜空! これが本当の星空だって感動した」
「槍ヶ岳の頂上に登ると、ちょうど太陽が昇ってくるタイミングで、朝日が山脈を少しずつ照らしていく光景はとても素晴らしかった」

山の厳しさと美しさと、仲間と共に乗り越えた達成感と、すべてをその胸に受けとめて、子どもたちがまた一回り大きくなる夏がやってきます。

文=sful取材チーム 写真=成城学園
本記事の無断転載・複写を禁じます。

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