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第12回 成城学園のグラウンドと成城池で撮影された映画

 春になると、桜が美しく咲き誇る成城学園のグラウンド。仙川沿いに桜の木を植えたのは東宝撮影所も同じですが、残念ながら今年はどなたも、心から桜を楽しめる気分にはなれなかったと思います。今は、来年こそ心置きなく花見ができることを祈るのみです。
 実は、この運動場も多くの映画のロケ地となっています。古いところでは、喜劇王・榎本健一が主演した『エノケンの千万長者』(36)という東宝映画。東京の大学に進学した大富豪の息子・エノケンが、多くの運動部から入部勧誘を受け、寄付を強要されるという、余りイメージの好くない内容ですが、このフィルムには戦前、昭和11年当時の成城学園の風景がしっかりと刻印されています。
 元自治会長の中川清史さんがご記憶だったのが、『恋の応援団長』(52)という新東宝映画です。小林桂樹が応援団長を務める学園もので、本作では「母の館」という講堂脇にあった芝生の斜面や、現在も残る「杉の森」の光景が確認できます。この芝生を、のちに『ベビーギャングとお姐ちゃん』(61/東宝)でカラー映像として見たときは、その余りの美しさに驚愕したものです。杉の森では、以前紹介した黒澤明の時代劇『隠し砦の三悪人』(58)の雪姫(上原美佐)パートが撮影されています。
 やはり1952年に公開された左幸子主演作『若き日のあやまち』(新東宝)には、グラウンドの脇を流れる、普通の小川だった頃の仙川が出てきます。学園ではあまり撮って欲しくなかった暴力的描写が含まれる映画ですが、護岸工事が施される前の、のどかな仙川の姿が見られるという点では極めて貴重で、これは大林監督が大学中退後に撮った『Complexe= 微熱の波瑠あるいは悲しい饒舌ワルツに乗って葬列の散歩道』(64)という16ミリ映画でも、川に架かる小橋や大林恭子さん(羽生杏子名義)のお姿と共に確認することができます。

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 見れば非常にのどかな光景ですが、これでは大雨や台風ですぐに氾濫したのも無理はなく、1967(昭和42)年頃までには護岸工事が施され、仙川は現在の姿となります。

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 意外なところでは、松竹の小林正樹監督作品『まごころ』(53)でも成城学園ロケが実施。この瑞々しい青春映画には、正門前のほか、体育館や母の館、旧中学校校舎、成城池の風景が登場します。学園の体育館は1932年に竣工、74年春に一度火災に見舞われますが、残った鉄骨をそのまま利用して再建したため、竣工当初とまったく変わらぬ形を維持。池部良の青春もの『あゝ青春に涙あり』(52/東宝)をはじめ、舟木一夫の学園もの『君たちがいて僕がいた』(64/東映)、ほかにも成城(小松久、清水道夫)と成蹊の大学生が中心となって結成されたGS、ヴィレッジ・シンガーズの主演作『思い出の指輪』(68/松竹)などでその姿を見ることができます。

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 成城大学の学生だった赤木圭一郎が日活で出演した『大学の暴れん坊』(59)も、学園のグラウンドで撮影されたとおっしゃる方がいますが、筆者は未だフィルムを確認することが叶いません。ご存知の方は、是非お知らせいただければ幸いです。
 ちなみに赤木と同期だったのが、大林監督夫人の恭子さんとミッキー・カーチスさん。ミッキーさんは、キャンパスで赤木と会ったことは一度もないとおっしゃっていましたが、ご本人もロカビリー歌手、さらには東宝俳優として大活躍の日々でしたから、これも当然のことかもしれません。
 成城池(初等学校では「ドーナッツ池」と呼ぶ)は、運動場を造営する際に必要な土を取ったところに、仙川の水が流れ込んで出来たものと言われています。成城学園の生徒のみならず、近所の子供たちなら誰でもここを訪れて、ザリガニ釣りに興じた記憶がおありになるのではないでしょうか? 稲垣浩監督のご次男・稲垣涌三さん(円谷プロや実相寺昭雄作品のキャメラマン)や明正小に通っていた岩波桂三さんからも、その思い出話を伺っています。
 この池、一時は噴水もあり、前述の『まごころ』では、氷の張った珍しい姿が見られます。昭和20年代、成城学園の中学生たちは、教室から木製椅子を運んできて、氷上を滑って遊んでいたといいますので、氷の厚さも半端なかったのでしょう。

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※『砧』819号(2021年7月発行)より転載

【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。