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第15回 まだまだある成城学園内で撮影された映画

 今回は、成城学園を象徴する講堂「母の館」が見られる映画をご紹介しましょう。
 当館の落成は1928年。砧移転後、七年制高等学校第1回生の卒業式にあたり、生徒の母親たちが尽力して造り上げたとの意味を込めて名付けられたもので、当時としては非常にモダンな建物であったためか、多くの映画のロケ地として重宝されました。

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 以前紹介した『唐手三四郎』(51)という活劇映画では、唐手部員の岡田英次が当館をバックに、ミュージック・ホール(音楽教室)横の芝生でケーキをパクつくシーンがあります。このケーキが「成城凮月堂」製なのか気になった私は、堀社長に画像を送って確認していただきましたが、残念ながら真相は判らず終い。「アルプス」がいまだ創業前で、ほかには祖師谷の「ニシキヤ」くらいしか洋菓子店がなかった頃の作品ですから、いずれかのケーキであることは間違いありません。

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 母の館の姿は、小林桂樹主演の学園ロケ映画『恋の応援団長』(52/新東宝)や小林正樹監督による青春もの『まごころ』(53/松竹)でも確認できますが、驚いたのは三島文学の映画化作品『潮騒』(54/東宝:谷口千吉監督)で、この建物の外観が一瞬ながら見られること。伊勢湾の小島・歌島を舞台とする若き男女の恋物語に、何ゆえに成城学園の講堂が出てくるのか、疑問に思われる方も多いことでしょう。
 原作をお読みになった方ならよくご存知でしょうが、貧しいながらも若くて逞しい漁師・新治(久保明)には、海女の初江(青山京子)の他にも、千代子という燈台長の娘(宮桂子)が好意を寄せます。この映画ではほんの数秒ながら、千代子が通う東京の女子大で撮った写真の背景に、当「母の館」の姿が写り込んでいるのです。これに気づいたときは、自分で自分を褒めたくなったほど。三島由紀夫自身が最も気に入っていたというこの傑作青春映画、三船敏郎もゲスト出演していますので、機会があったら是非ご覧いただきたいと思います。

 当講堂については、すぐ傍のお宅で有馬稲子と岡田茉莉子が共演する『愛人』(53/市川崑監督)を撮影しているのを目撃したとの情報も寄せられており、本作では学園脇の桜並木を三國連太郎が歩く姿を見ることもできます。晩年は、成城まで散歩に来られ、「藤」などで食事を楽しまれる三國さんをよくお見かけしたものです。

 さらに驚かされるのが、以前ご紹介した若大将シリーズの一編『日本一の若大将』(62)。この映画では加山雄三のみならず、今年逝去された田中邦衛さん(青大将)と江原達怡たつよしさん(マネージャー・江口)が母の館前に集結、それもカラー映像で、この素敵な講堂の姿が捉えられているのです。真っ赤なスポーツカーで通学するアイビールックの青大将は、当時の成城大学の雰囲気によく合致していますが、相対する若大将と江口が学生服姿なのには時代を感じさせられます。

 吉永小百合主演の日活映画『こんにちわ20才』(64)では、妹役の田代みどりと太田博之(のちに寿司チェーン店を創業、住居や不動産事業のための店舗も成城に持つ)が通う高校、東映映画の『君たちがいて僕がいた』(同)では舟木一夫や堺正章が通う高校(なんと小田原の設定)の校舎として登場する母の館ですが、学園創立五十周年を機に「五十周年記念講堂」(67年落成)へと生まれ変わります。

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 近代的な新講堂の姿が見られるのが『思い出の指輪』(68)という松竹映画。成城生を含むGS、ヴィレッジ・シンガーズの楽曲をモチーフに、映像派の斎藤耕一監督が撮った‶キャンパスもの〟の本作では、グラウンドやプール、ミュージック・ホール(ザ・ダーツがここで「ケメ子の歌」を歌う)と共に、当記念講堂の外観を見ることができます。軽音楽部出身の清水道夫さんが通った喫茶店「田園」のママ(故人)によれば、二階にあった雀荘でも撮影が行われたとのこと。他にも、成城の街並みを闊歩するメンバーの姿が眩しく映ります。

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参考:『唐手三四郎』、『思い出の指輪』が登場する記事↓

※『砧』822号(2021年10月発行)より転載

【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。