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シュウ ウエムラの美意識の結晶 化粧の価値観を変えたクレンジングオイル

『sful-成城だより』では、私たちの身近にあるものやサービスなどの中から、成城学園の卒業生が企画・制作にかかわった事例を紹介する「MADE IN SEIJO」という企画を連載しています。

日本ではクレンジングの大切さがそれほど認知されていなかった約55年前に、日本に初めてクレンジングオイルを伝えた植村秀さんも卒業生の一人です。
繊細な感性と大胆な発想で、最先端の美を求めたその生き方を辿ります。

世界中で愛されるクレンジングオイル

「美しいメイクアップは、クレンジングに始まり、クレンジングに終わる」――。 この言葉を遺したのは日本にクレンジングオイルを伝えた植村秀さんです。化粧品ブランド、シュウ ウエムラの創設者である彼が1960年代に日本にはじめて紹介した「アンマスク クレンジング ビューティー オイル」は、改良を重ねて進化し、時を超えシュウ ウエムラのクレンジング オイルとして今でも世界中で愛されるアイコニックなロングセラー製品となっています。
メイクアップとメイク落とし。相反するようにも思えますが、化粧を落とした本来の肌がきれいであってこそメイクが映えると植村さんが気づいたのは、ハリウッドでメイクアップアーティストとして活躍していた時のことだそうです。そもそも日本で生まれ育った植村さんが、なぜハリウッド映画の仕事を得たのか。日本のクレンジングオイルの歴史と共に、その足跡を辿ってみます。

病弱だったことが美への探究心に

植村さんは幼少の頃から体が弱く、成城学園在学中には肺結核を発症します。同級生たちに置いていかれるような気持ちを味わいながら、ベッドで天井を見つめるだけの日々を送らざるをえませんでした。そんな彼を慰めたのは療養中に飼っていた小鳥たちです。ある日、植村さんは質のよい食べ物を与えると、小鳥の毛艶が美しく変わることに気づきます。この出来事を機に、体の内と外、両方から美しくなるケアを強く意識するようになりました。
「裕福な家に生まれた植村は、幸か不幸か体が弱かったことで、戦時中にも養生に専念でき、浮き世の苦労とは無縁でいられた。美しいものが好きだった彼の信念〝日本中の女性を美しくしたい〞という美への探究心や内側のケアも大切にする美容に関する先進的な哲学など、病床で育まれたものも大きかったようです」(シュウ ウエムラPR担当者)。

ハリウッドに渡り、クレンジングオイルと出合う

成城高等学校(7年制)卒業後、美容学校に進学した植村さんに転機が訪れます。日本人男性のメイクスタッフを探していた日米合作ハリウッド映画の制作会社から、当時日本で珍しかった美容学校の男子学生、植村さんに渡米の依頼が舞い込んだのです。
ハリウッドの撮影現場のメイク用品を目にして「宝の山を探り当てたよう」と感激した植村さん。さらに衝撃を受けたのはクレンジングオイルの存在でした。化粧を落とす大切さを熟知していたアメリカの女優たちは、とても美しい肌をしていました。肌にのせるだけでつるっと伸び、こすらずいたわりながら化粧を落とせるクレンジングオイルの威力を目の当たりにし、植村さんはクレンジングの重要さを痛感します。

クレンジングオイルをはじめ、新しいスタイルを持ち込む

帰国後の1965年、世田谷にある生家の一角にメイクアップアトリエを設けた植村さんは、1967年にさっそくハリウッドで出合ったクレンジングオイル「アンマスク クレンジング ビューティ オイル」の輸入販売に着手し、同じ年には株式会社ジャパン・メークアップを設立しました。
「〝天婦羅オイル〞で顔を洗うなんてと当初は拒否反応もあったようですが、粘り強くクレンジングの大切さを説くことで徐々にオイルが認知され始めました」(シュウ ウエムラPR担当者)

1965年、世田谷の自宅に自身のアトリエを開く。

1977年には「アンマスク クレンジング ビューティ オイル」の製造権を得て、自ら化粧品の開発にも取り組み始めます。
1982年には株式会社シュウ ウエムラ化粧品に社名を変更、その翌年には念願だった路面店シュウ ウエムラ ビューティ ブティックの1号店が東京・表参道にオープンしました。色とりどりのメイク用品が並ぶカウンターで自由に商品を手にとって試せる同店は、〝化粧品の売り場革命〞と呼ばれ、大反響でした。

1983年に東京・表参道に誕生した「シュウ ウエムラ ビューティ ブティック1983」1号店

〝伝統は革新の連続〞という言葉を好み、79歳で他界するまで日本人の化粧の価値観を変えるようなメイク法や商品を生み出した植村さん。クレンジングオイルはそんな彼の精神を体現した逸品として、これからも多くの人に愛されて続けていくのでしょう。


植村秀さん
シュウ ウエムラ化粧品名誉会長。1928年東京生まれ。1948年成城高等学校(7年制)卒業。50年代にハリウッドへ移り、日本人唯一のメイクアップアーティストとして活動。2007年12月、79歳で永眠。

『sful-成城だより』2013年12月公開の記事を改訂しました。

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