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第18回 「成城学園前」の駅舎が見られる映画

 現在では「成城コルティ」というハイカラな名を持つ商業施設ショッピングセンターの中に組み込まれている「成城学園前」駅。昭和2(1927)年4月の小田急線開業に際し、学園からの要望を受けてこの駅名になったものですが、当時はまだまだ学校名が冠せられた駅は珍しく(現西鉄甘木線の「宮ノ陣学校前」駅が日本初か?)、早くから直通電車や準急が停車したという事実からも、成城学園と小田急の密接な関係が見て取れます。
 それもそのはず、学園は小田急が坪三円で取得した停車場用地を五円で買い取る、という好条件を提示しており、こうして駅近辺の土地(一区画四百坪!)が学園の父母たちに提供されていきます。

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 やがて昭和9(1934)年、駅にはP.C.L.(のちの東宝)の植村泰二社長の尽力により南口(跨線橋)が設けられ、橋上(二階)部分が改札口となりますが、かつての駅舎の様子が見られる映画も多数存在します。
 古いところでは、49年公開の新東宝映画『結婚三銃士』(野村浩将監督)で北口階段の姿が見られるほか、55年の東宝作品『泉へのみち』(監督は成城高等学校出身の筧正典)では、有馬稲子がこの階段を降りてきて母親役の高峰三枝子と落ち合うシーンが確認できます。前者では、のちに小田急OXができる広場で、ヒロインの高杉早苗が恋人役の上原謙が階段を昇っていく姿を眺めるシーンがあるだけでなく、乗り継ぎや通過の待避線に対応する‶島式ホーム〟の様子も見られます。
 同じ北口駅前(小さな売店があった)の風景は、成城住まいの青柳信雄監督作『花嫁会議』(56)や『新婚七つの楽しみ』(58)、『実は熟したり』(59)などの大映映画で、主演の若尾文子や川崎敬三と共に画面に写り込んでいます。

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 駅北口の姿は、古澤憲吾監督による坂本九主演作『アワモリ君乾杯!』(61)でも眺められるほか、‶お姐ちゃん〟シリーズの最終作『お姐ちゃん三代記』(63)には、藤山陽子が駅前の「ニイナ薬局」で買い物をするシーンがあり、店外には駅舎前の懐かしい風景が広がります。
 珍しいところでは、日活の浦山桐郎監督が成城駅北口で二度ほどロケを敢行。遠藤周作原作の『私が棄てた女』(69)と創立七十周年記念作の『暗室』(83/吉行淳之介原作)で、当駅舎をほぼ同じアングルで見ることができます。貧しい若者や非行少女を題材に取り上げてきた浦山監督が何ゆえに成城にこだわったのか、その理由をお聞きしたかったものです。

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 駅の南口が見られる映画には、新東宝の『胎動期 私たちは天使じゃない』(61)や『アワモリ君乾杯!』(同)、『ニッポン実話時代』(63)、『馬鹿と鋏』(65)などの東宝映画がありますが、『ニッポン実話時代』には跨線橋から富士山が見えるショットもあり、当駅が眺望に優れていたことが実感されます。実際、南口商店街からは霊峰富士がよく見え、「富士見通り商店街」と名付けられていました。この事実は、青柳信雄監督による新東宝映画『モンテンルパの夜は更けて』(52)で確認することができます。

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 橋上にあった改札口の様子が見られる映画には、星由里子主演の『BG物語 二十歳の設計』(61/丸山誠治監督)や、ショーケンこと萩原健一が静かなる熱演を見せた『青春の蹉跌』(74/神代辰巳監督)といった作品があります。ここで見られる、改札口脇の伝言板やコインロッカーに特別な郷愁を覚える方も多いのではないでしょうか? ちなみに、ショーケンが婚約者の檀ふみと自転車で戯れるシーンは、宇津井健邸(当時)北側の桜並木で撮影されたもので、これは大学生だった筆者が、初めて映画ロケを目撃した作品でもあります。実際、フィルムには通学中の成城大生が写り込んでいましたが、残念ながら筆者ではありませんでした。
 改札口やホームは、テレビドラマの「気になる嫁さん」(71〜72)や「赤い迷路」(74)にも多数写り込んでいて、ご覧になれば懐かしい思いで胸がいっぱいになること請け合いです。

 以上、DVD化されている作品は極めて少なく、ご覧になるのは難しいかもしれませんが、本稿で当時の成城駅の雰囲気を多少なりとも感じ取っていただければ幸いです。

※『砧』825号(2022年1月発行)より転載(写真を大幅追加)

【筆者紹介】
高田雅彦(たかだ まさひこ) 日本映画研究家。学校法人成城学園の元職員で、成城の街と日本映画に関する著作を多数執筆。『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『山の手「成城」の社会史』(共著/青弓社)、『「七人の侍」ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)の他、近著に『今だから!植木等』(同)がある。