セックスの合意について(メモ)

今年、ジェンダー平等と性犯罪被害に向けた運動に関連して、「セックスの合意」についてが話題になった。
これに関して、私がセックスの合意にについて思ったことをツイートしたところ、様々な反応をいただいた。


【最初のツイート】

■セックスには合意が必要だ。
私の経験では、ベッドに2人の状況でも「やはりイヤ」と言えば即座に止める人がいた。その時は誠実だと感謝したが、それが当然なのだと今は思う。

「2人で飲めば合意」というような方は、ご自分の姿勢の貧しさに恥を感じないのだろうか。

人権教育としての性教育の欠落。


【様々な反応】

上記の「ベッドの上で」という短い状況の記載や合意の在り方に対して、様々な反応をいただいた。

・貞操観念がない
・同意しないならば、そもそもベッドにいくような状況になるべきではない
など、状況を想定した上での批判。

・一度同意したのに、その同意を破棄するのはひどい
という、同意の在り方についての意見。

・昔は世代を超えた家族内での性教育があった
といった教育に対するご経験。

そして、
・それが当然
といった賛同の意。


それぞれいただいた反応に対して行ったリプライを下記に記載する。



【反応を受けての補足】

■まず、状況について。
確かにその時は相手に申し訳ないと思いました。
お互い思いやりがあり、恋愛の合意形成の揺れ動く過程で「あなたといたい、どこまで?」の気持ちをギリギリ確かめ合う中で。
でも今思えば、そのお詫び/感謝の念は自然な感情としても、根本は「謝る必要ないのだ」と気づいた訳です。

■同意も拒否の態度をとることも、性別問わず自由ですが、大前提は、「明確な同意があるか」という形式ではなく、それ以前に「相手の尊厳を敬い、思いやりがあるのか」です。


■「何をもってセックスの合意形成か」は、人間の組合せがあればその関係性の数だけ方法があると思います。
それはさらに、「同意し続けている」状態であるかを確かめ合う、動的なプロセスです。
ですので、一概に形式で規定する類のものでないと思います。

ですので、自然科学、社会科学、人文学的観点から、人権意識と正しい知識、判断力を育てる性教育が大事だと思います。
また、家族内における性教育もあった方がよいですが、性は人間社会のシステムと密接に関わるので、社会の枠組みにおいて、公教育においてしっかりなされるべきと思います。


■確かに私の発言には、「貞操観念」は希薄な発言だったかもしれません。

ただ、根本に「自分と他者の尊厳を敬い、思いやる」姿勢があれば、大人は1人ひとり、それぞれの「べき」を作っていけばよいのではないでしょうか。
それこそ文学や映画にも描かれてきたように、人間には性の豊潤な世界がありますので。

さらにいえば、「貞操観念」も、女性の自由意志を、時に女性自身が縛ることになる考えといえます。


■私は、「2人で飲んだら合意」というような声を見て驚き、性暴力に繋がりかねない意識の在り方に疑問を感じて発言しました。
そして、自分の経験に照らし、自身の考えが当時から更新されたことに気づきました。
それは、近年の性暴力被害の撲滅を訴える、世界的な運動の影響を受けたからだと思います。

私もその一員として、ジェンダー平等、公正な社会を目指しています。