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科学という病、非科学という狂信

 現代文明の根幹には科学礼賛の精神があります。便利な社会生活にとって科学は不可欠な学問であって、数値で表現可能なあらゆる指標が、我々人類が豊かになってきていることを示します。

 科学とは不便なものです。

 直感的に「だってそうでしょ」と思うようなことでも、仮説検証によって正誤を証明しなければならないからです。ヒトの思い込みは間違うことが多いものですから、厳密な基盤がなければ矛盾なき科学という世界を構築することは叶いません。

 理想世界と現実世界には、誤差があります。

 どれほど緻密な計算をしても、混沌系と呼ばれる現実世界で予測困難なことが幾らでもあります。神はサイコロを振らないとアインシュタインは云いましたが、量子力学の世界では神がサイコロを振ることが示唆されています。例えば長期的な天候の予測さえ、我々人類の科学は実現できていないのです。

 因果関係を証明できないだとか、統計学的有意差がどうとか、科学の世界は窮屈です。とはいえ、あたかも科学のように振る舞う疑似科学の世界は危険に満ちていますから、この見極めは肝心といえましょう。科学的に正しいのか、誤りなのか、分からないのか、疑似科学なのか。そんなことを考えるうちに、いったい何処に向かっているのか分からなくなってきます。

 それが科学という病です。

 病的ともいえるような科学的思想が世に満ち満ちています。そして科学は非科学を否定して、観測し得ない事象を軽視します。魂の存在、死後の世界、宇宙という生命、智佗絶の色、他生の縁、そして数多の神秘的事象を。

 非科学を推奨する意図はありません。科学には一定の効用があることも事実であって、その多くは真実に近いところにあるのでしょう。非科学を証明することは原理的に不可能ですから、非科学の肯定は信仰によってのみ実現します。ゆえに狂信に成りかねない危うさを、非科学は常に抱えているのです。

 世界は科学と非科学に満ちています。

 それは陰陽論のように互いに影響し合っていて、或いは「科学か非科学か」という分類さえ、人間の主観に過ぎないのかもしれません。生粋の科学者が特定宗教を信仰していることは稀ではありませんし、神秘主義を貫く祈祷師が科学文明の恩恵を受けているのは普通です。世界がそういう矛盾の中にあることを、私は認識します。

 

 

 拙文に最後までお付き合い頂き、誠にありがとうございました。願わくは、サイエンスとオカルトの境界に迸るエンターテイメントが世相を明るく照らしますように。




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