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「“カイシャ”を主語で語る経営」から「“ヒト”を主語で語る経営」へ

そもそも、「会社」って何のためにあるんだろう?
その疑問は、ずいぶん前から頭の片隅で引っかかっていたんです。
そして、その疑問をちょっと鮮明にしてくれたのが、サイボウズの青野社長が2018年に上梓された書籍『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』

当時は、「一部上場会社の社長が、こんな本を書いてしまって大丈夫なのか?」という不安が頭をよぎるほど、その内容の過激さに驚いたことを覚えています。

サイボウズといえば、「働き方」に関して、「100人いれば、100通りの人事制度」というキャッチフレーズを自らかかげるユニークな会社。
私は、この会社の存在そのものが、ある種の「社会実験」だと思っていて、以前からとても注目していますが、そのユニークさの根底にあるのが、まさにこの本のタイトルに表されている、「会社」そのものに対する青野社長の疑問なんだと思います。

日本では、働く人の9割以上が何らかの形で組織に属して働いています。その最大の組織形態が「会社」ですね。人が仕事をする上で欠かせないものであり、個人が社会とつながる架け橋という側面も持っています。

一方で、「株主資本主義」から「ステークホルダー資本主義」への転換が社会的な話題になるなど、「会社」のあり方は、常にさまざまな議論の的にもなって来ました。

さらに、2020年に始まった世界的なコロナ・パンデミックは、「働き方」や「会社」との関係を見直す大きなきっかけになりました。

リモートワークが急速に広がった現象は、それまでの「毎朝、会社に行く」という、誰もが当たり前だと思っていた常識をゆさぶり、「いつでも、どこでも、仕事はできる」と考える人が突然、大量に生まれました。

コロナが治った今も、社員に出社を求めるのか、リモートワークを奨励するのかという選択については、世界中で議論が続いています。

しかし、この議論も、ちょっと見方を変えれば、そもそも「会社は、何のために存在しているのか?」「会社の在るべき姿とは、どんなものなのか?」といった素朴な疑問の一つの答えの形として、出てくるものではないかと思います。

そんなことを考えながら、「会社」や「働き方」に関する議論を聞いていると、そこに出てくる言葉のほとんどが、「“会社”を主語にした言葉」であることに気がつきます。

まず、かつての日本を象徴する言葉として「終身雇用」という言葉がありました。これは、ちょっと噛み砕いていえば「会社が社員を終身(死ぬまで)、面倒をみる」という意味でしょうから、主語は会社ですね。

また、多くの人が当たり前のように使っている「人材育成」という言葉。これも、「会社が会社のために必要な“人材”(そもそもこの「人材」という言葉も人が「材料」として扱われていて嫌な言葉ですね。最近は、「人財」というちょっと気を使った言葉も使われますが、これも「人が会社の財産になった」みたいでやっぱりちょっと気持ち悪い)を育てる」という意味で、主語は「会社」ですね。

そうな目で会社の用語をチェックしてみると、そのほとんどの言葉が、「会社を主語で語る」言葉であることが分かると思います。

また、単に主語がどうのというだけではない、ちょっと気持ちの悪い言葉も沢山ありますね。

例えば、「管理職」。
平社員から管理職への“出世”は、多くの人が目指すステップアップの道として、当たり前に使われていますが、そもそも「管理職」という仕事は、どんな仕事なのか? 現在のミドル・マネジメントの人たちの多くが「プレイング・マネジャー」として働いている実態とも乖離しているのではないか? 
「サラリーマン」という仕事が存在しないように、「管理職」という仕事も役割も実はもはや存在しないのではないか?

「上司・部下」。
会社の中での人と人の関係を「上」と「下」と呼ぶのは、今どきフェアな感覚なのだろうか? 職場を活性化するためには、この「上」「下」という認識から変えていくような時代になっているのではないだろうか?

「理念の浸透」。
理念は、会社の上の方で考えたものを、現場の社員に「浸透」させるものではなく、最初から現場の社員と一緒に「共創」すべきものではないのだろうか? 「浸透させよう」とすること自体がすでに無理ゲーなのではないのだろうか?

などなど、不思議な言葉のオンパレード状態です。

そもそも、「採用(会社が採って、用いる)」とか「雇用(会社が雇って、用いる)」といった基本的な言葉も、やっぱり「会社が主語で語る」言葉ですね。
(因みに、サイボウズでは、会社の中で「雇用」という言葉を使わない検討を本気で始めているみたいです。労働法などの法律にも関係する言葉なので、簡単ではないと思いますが、そのスタンスは素晴らしいと思います)

こうした経営や人事に関わる言葉は、「会社」の経営という視点で開発されたものが多いのでしょうから、ある意味では仕方がないものだったのでしょうが、これからの「人生100年時代」に相応しい人と組織の関係を考えていこうとするのであれば、こうした「言葉」に対する感覚をもう一度チェックしてみることも無駄ではないと思うのです。

それでは、「“会社”を主語で語る」言葉を「“人”を主語で語る」言葉に切り替えてみると、どんな違いがあるのでしょうか?

ここにも、それぞれの人の「会社観」といったものが現れてくると思います。

例えば、「終身雇用」という言葉は、人を主語にして考えてみると「生涯成長」みたいな言葉に変わるかもしれません。

「管理職」は、もしかすると「支援職」と言い換えると、その役割も組織の中での立場もイメージも大きく変わると思いませんか?

同じような感覚で考えれば、「人材育成」は、「成長支援」かもしれませんね。

「雇用」は、「パートナシップ(協力関係)」とか「アライアンス(同盟、提携)」と言い換えてみると、何だか違う関係が浮かび上がって来ます。

この様に、単に「言葉」を「言い換えみるだけ」でも、実は、さまざまな「会社観」のチェックができるし、会社から個人への大きなメッセージを伝えるアクションにつながるのかもしれません。

「人生100年時代」の「ライフシフト」の視点で考えると、人と組織の関係は、今、大きな構造変化の真っ只中にあると思うのです。


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