僕らの旅路14 綾と空のこの土地での毎日
悪夢
ハッと目を覚ますと夜中だった。昔の夢を見てしまった。あの忌まわしき実家にいた頃の夢。私を殴る母親とそれを眺めている義理の父親。こんな夢を見たのは久しぶりだ。怖くなって、辺りを伺うと、いつも通り変わらないマンションの自分の部屋だった。
空は、空はちゃんとこのマンションにいるんだろうか?不安になって私はソッと部屋を抜け出して空の部屋へ向かった。
ガチャッと音を立てて空の部屋のドアを開ける。ベッドに近づく。空はいつもと同じようにスウスウと静かな寝息を立てて寝ていた。
よかった、ちゃんといる。
私は安心して自分の部屋に引き返そうとしたけど、思い返して空のベッドに潜り込む。今日は一人で寝れそうにない。布団をそっと捲って空に抱きついて布団を被るとさすがに空も気づいた。
「・・・綾?どうしたの?」
「夢見たの。昔の夢・・・」
「そっか」
そう言って空は無言で私の頭を撫でてくれた。その心地良さが徐々に先程の嫌な夢の残滓を忘れさせてくれた。私は空の温もりに安堵して、それからぐっすりと眠ったのだった。
朝、目覚めると空は既に起きていた。起きてずっと私の頭を撫でてくれていた。
「おはよう、綾」
「・・・ん」
何故だろう?今日の空はヤケに輝いて見える。元々整った顔立ちをしているのが、三割増しでカッコよく見えた。
「今日もいい天気だね。公園に行こうか?」
ああ、大丈夫だ。私はいつもの日常にいる。空が救い出してくれた新しい日常に。心から思える。私は幸せ者だなあと。
いつも通り公園へ
そして洗顔と歯磨きだけ済ませて二人で公園に行った。いつも通りの朝だった。私達の生活は結構時間に都合がつくから、こういう日はよくある。
行きの途中にあるスーパーでパンと飲み物を買っていった。私は牛乳を、空はいつも野菜ジュースを買う。空はヘルシーな食べ物が好きだ。
公園に着いて、ベンチに座り、二人で黙々と食事をする。大抵私達二人だけだとあまり喋らない。食事中に限らず、二人の間には何も言わなくても心地良い時間があった。昨日は愛衣先生がいてくれたから、空も気を使って喋っていたみたいだけど。
サッと私と空を撫でながら風が吹き抜けていく。気持ち良かった。ふと、あの夜、たった独りで公園にいたのを思い出す。同じ公園でもこの暖かな瞬間と、あのブランコを漕いでいた寂しい夜とでは別世界みたいに違う。
ねぇ、空。いつまでこんな穏やかな日が続くのかな?
何も言わずに空を見る。空は私を見て、どうしたの?という風に穏やかな笑顔を浮かべていた。・・・あの時世界を見ようって言い出したのは私と空のどっちだったかな?忘れちゃったけど、どちらでもいい。世界を見るのも大切だけど、変な夢を見たせいかな、今のこの穏やかな時間がすごく尊いものに思えた。こんな毎日が続けばそれでいいのかもしれない。思い切って実家を捨てて本当に良かった。
朝ごはんを食べ終えると、食休みの間、私達は本を読む。私は昨日と同じく源氏物語を持ってきていた。空は何を持ってきたのかな、と思って見ると宮沢賢治の詩集だった。空は賢治を尊敬しているらしく、よく彼の作品を読んでいるところを見かける。
「ねえ、空。宮沢賢治のどこが好きなの?」
「そうだねえ・・・。賢くて、優しくて、自然が好きで、文章が上手くて、人間よりもむしろ仏様に近い。そんな凄い人なんだよ、賢治は。だからかな」
「・・・ふうん」
優しいところは空も同じだよ。少なくとも私は空ほど優しい男の人に出会ったことない。そう言おうかと思ったけど、やめた。言わなくても鋭敏な空にはきっと私の気持ちは大体伝わっているはずだ。
食後の30分。何となく二人にはこの時間は動かずいようという暗黙の了解があった。食べてすぐ動くとお腹痛くしちゃうからね。
そして小一時間ほど二人で本を読んで過ごしていたけど、食べ物もいい感じに消化してきて、そろそろ何か運動でもしようかという頃になった。
「今日は何して遊ぼうか?」
空はいつも公園で私と遊んでくれる。ブランコを二人で漕いだり、ボール遊びをしたり。今日は持ってきたバトミントンで遊ぶことにした。
バトミントンの羽根を打ち合っていると楽しい。空は運動神経もいい。私が無茶な打ち方をしても大抵難なく拾ってくれる。それが面白くて打つのも楽しい。空はどうしてこんなに私のために時間を使ってくれるのだろうか?
それはあまり聞きたくなかったし、今更な質問であるような気もした。だけどどうしても聞かなくちゃいけないような気がしたので、その日の夜に聞いてみることにした。曖昧なままこの旅を続けちゃいけない気がしたんだ。
晩御飯を食べ終えて、リビングで紅茶を飲みながら本を読んでいる空に思い切って聞いてみた。
「ねえ、空。空は私と一緒にいて楽しいの?どうしてこんなにまでしてくれるの?」
「どうしたの?突然」
空は驚いたように目を丸くしていた。
「今更だけど、ちょっと気になって」
「うーん。・・・何でだろうね?」
何でだろうねって・・・。
「あの日綾を見かけてさ。その時は確かに、面倒な事に首を突っ込むんじゃないって、自分でも思ったんだ。だけどどうしても見て見ぬ振りする事が出来なかった。でもね、僕は誰にだってそうする訳じゃないと思う。僕はそんなに親切な人じゃない。あの日声をかけたのはそれが綾だったからだよ。綾の事なんにも知らなかったけど、放っておく事ができなかったんだ。僕にもよく分からないけど」
空は真面な口調でそう言うと、私の頭を撫でてくれた。そっか。家出している人なら誰でもそうする訳じゃなかったんだね。
「私、空といると楽しいよ。こんな日が続けばいいな」
「大丈夫。続くよ、きっと」
私達は血の繋がった家族じゃない。だから、私がいなくなった事で、もしかしたら親が捜索願いを出してるかもしれなくて、そうなったらどこかで私が警察に保護されてしまう可能性もない訳じゃない。それにそうなったら空も面倒な事になる。勿論空はそのような事情も分かっていて、私を連れてくれている。私達の日々は本当はいつ壊れされてもおかしくないものなのかもしれない。だけど、空が大丈夫だって言うなら、多分大丈夫なんだろうなとこの時の私には思えたのだった。それは理屈ではなかった。
愛衣先生は2回目も3回目も問題なく授業に来てくれた。何だか2人が3人になるとより今の生活が大丈夫なものになる気がした。先生は週に3回来てくれた。勉強も教えてくれたけど、外で3人でバトミントンをしてる時が私は一番楽しかった。愛衣先生なら2人が3人になって、一緒に旅をしてもいいかなって思えるぐらいには先生の事が好きになっていた。
「先生。先生も私達と一緒に行かない?いずれ私達はこの場所を離れて旅を再開する予定だけど・・・」
ある日、勉強が一段落して休憩している時にそう言い出してみた。
「んー、なかなかそういう訳にはねえ・・・」
先生は困った風にそう言った。
「そっか。そうだね、・・・先生は家庭教師だから旅をするのは難しいよね」
「それもあるけど、綾ちゃんと空さんの間に私が入るのは何だか違う気がして・・・。こうして勉強を教えに来たり、3人で遊んだりするのはいいんだけどね。でも旅をするのは2人が正しいんじゃないかな」
「そうかな?」
2人で旅をするのと、3人で旅をする事。やっぱり2人が合ってるんだろうか。
今後の事
愛衣先生が帰って、晩御飯を食べる。今日は空がお鍋を作ってくれた。あまり料理をしない空だけど、実は腕はいい。
「ねえ、空。私達いつまでここにいるの?」
「どうしたの?今の生活が嫌になった?」
空はいきなりだったので、ちょっとびっくりしたみたいだった。
「全然嫌じゃないけど、しばらくこのままなのかなって。空がどう思ってるのか聞いてみたいの」
「・・・そうだねえ。確かに何年もここで過ごすっていうのは、僕たちが地元を発った時の決意には沿わない気がするね。どうしようか。いつまでここにいるか予め決めておいたほうがいいかな?」
私は首を振った。
「今決めなくてもその時に決めたら良いと思う。そろそろ旅に出ようって思った時で。だけどここを発ったら次はどこに行くの?」
「どこでも行きたいところで構わないけど、そうだなあ・・・。僕は綾に色んな体験をして欲しいと思っていたんだ。だから世界を見に行こうって旅立った訳だけど。そうだな、山とかどうかな?」
「山?」
「うん。キレイな景色を見るならやっぱり山頂からの景色かな思って」
「・・・そうね。悪くないかもしれない」
「じゃ、そうしようか」
そんな事を話しながら私達のこの土地での日々は楽しく過ぎてゆくのだった。
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