「童蒙酒造記・焼酒取様之故」解題

「童蒙酒造記」(どうもうしゅぞうき)は、江戸時代初期、1687年の成立と推定されている書籍です。

著者は不明ですが、同書の中で自らのことを「鴻池流」(現在の兵庫県伊丹市で栄えた酒造の流派)の人間であると書いていることから、当時の酒造先進地であった伊丹の酒造家だと考えられています。

その主題は「清酒」の製造であり、現代にも通じる高度かつ深い洞察を伴う内容から、江戸時代を通じて質・量ともに最高の内容を誇る酒造技術書であると言われています。

書籍は全5巻で構成されており、各巻の概要は次の通りです。
■第1巻:酒の総論。歴史。種類。心得。専門用語や用具の解説など。
■第2巻:南都諸白の製法。菩提酛、煮酛、生酛について。
■第3巻:鴻池流の製法。
■第4巻:奈良流、伊丹流、小浜流、焼酎、味醂、麻生酒(あそうしゅ)、忍冬酒(にんどうしゅ)、練酒、濁り酒などの製法。
■第5巻:酛についての詳細。判断基準、醗酵のころあい、調節の仕方など。

このうち「第4巻」に、「焼酒取様之故」(粕取焼酎製造法)という一節があります。
これは、粕取焼酎のことが記された最も古い記録の一つであると言われています、
その分量は600字弱、12項目に過ぎませんが、粕取焼酎を製造するための道具の作り方から、作業の手順、原料に対する製造量、蒸留粕の販売価格など、実践的な知識がコンパクトにまとめられているのです

Twitter「正調粕取.net」では、3月下旬から4月上旬にかけて、この「童蒙酒造記・焼酒取様之故」を解題してきました。その成果を、以下にまとめて掲載します。

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■第一項

外取ハ江戸樽底を抜き、鏡に穴を開け、甑に拵、中程に竹の樋を仕掛、又其竹の中程に上戸を当て、鍋の雫を樋へ受込、外に樽を置、樽の口に又上戸を当て、樋より出る雫を樽の中へ入様に仕掛る也

【現代語訳】外取(※解説を参照)の場合は、江戸出荷用の樽(四斗樽)の底を抜き、蓋に穴を開け、甑(蒸し器)を作る。中程に穴を開けて竹の樋を通し、その竹の中程に漏斗を当て、上の鉄鍋から落ちる滴(蒸留された焼酎)を受ける。外に別の樽を置き、樽の口にも漏斗を当て、樋から出る滴を樽の中に入るように仕掛ける。

【解説】ここで紹介されている蒸留器は、甑の下からお湯を沸かし、中に設置した酒粕に蒸気を通し、鉄鍋に張った水で冷却して蒸留液(焼酎)を得るものです。大きく、焼酎を甑の外に導いて受ける方法(外取)と、甑の内側に容器を置いて受ける方法(内取)があり、ここでは「外取」を紹介しています。この蒸留器の形状と原理は、現在も九州各地に残されている「カブト釜式蒸留器」と同様であると考えられます。

■第二項

壱取に粕三貫目、荒糠五升雑ぜ候、糠多きハ息能抜け候、又是より大取に為べからず、抜けかね候

【現代語訳】一回の蒸留当たり、酒粕三貫目(11.25kg)に、籾殻五升(9リットル)を混ぜる。籾殻が多いと蒸気の通りが良くなる。また、これ以上欲張って酒粕と籾殻を入れてはならない。蒸気が抜けなくなる。

【解説】原料として酒粕と籾殻(当時は荒糠と言った)を混ぜること、そしてこれらの具体的な分量が記されています。その書きぶりから、経験の積み重ねでベストの配合が確立されていた様子が伺えます。

■第三項

壱取に鍋の湯三度程替べし、手引加減の時替べし、湯援なれバ焼酒出不申

【現代語訳】一回の蒸留につき、蒸留器の上に載っている鍋の水を三回取り替えなさい。手を入れると思わず「熱い」と引っ込めるくらいの温度になったら取り替えよ。湯の温度が上がりすぎると焼酎が出てこなくなる。

【解説】ここで使用されている蒸留器は、樽の下から加熱した蒸気を、上に乗せた鉄鍋の中に張った水で冷却して蒸留液を得る仕組みです。このため、鉄鍋の水の温度が上がり過ぎると焼酎が出てこなくなります。その冷却水の交換の回数とタイミングが具体的に記されています。

■第四項

粕拾貫目二付、焼酒四升五合上、五升中、六升下也、是ハ諸白粕の積也、片白粕ハ右積りにて薄く侯

【現代語訳】酒粕十貫につき、焼酎が四升五合取れれば上等の品質、五升ならば中等、六升ならば下等である。これは諸白(麹米と掛米の両方を精米して造った清酒)の酒粕見積もりであり、片白(掛米のみ精米して造った清酒)の酒粕の場合は薄くなる(=焼酎の度数が下がる)。

【解説】粕取焼酎の歩留まりの解説であり、諸白の酒粕十貫(37.5kg)に対して、焼酎が四升五合(8.1リットル)~六升(10.8リットル)取れると書かれており、感覚的に随分少ないように感じられます。
一方、昭和31年の加藤百一氏の論文では「酒粕10貫当たり13.3升(23.9リットル)」との記載があり、後にかなり改善された様子が伺えます。
童蒙酒造記に書かれている「カブト釜式蒸留器」は、明治時代までほぼ改良されずに使われていましたが、1886年の自家醸造禁止を契機として近代化の波が押し寄せ、木製の装置から金属製の装置への転換、鉄鍋冷却器から蛇管式冷却器への転換などが進み、蒸留効率が向上したようです。

■第五項

未明より弐人にて取れば大体二十取とる也

【現代語訳】朝早くから二人で作業をすれば、大体二十回は蒸留できる。

【解説】これまでの記述から、蒸留一回に必要な酒粕は三貫(11.25kg)、酒粕十貫当たり五升(9リットル)前後の焼酎が取れるということで、蒸留一回当たり2.7リットル前後の焼酎が取れることになります。それを二十回繰り返せば一日当たり54リットル前後の焼酎が取れます。
他の部分もそうなのですが、童蒙酒造記は製造に関する各種数量、取引価格などが具体的に書かれています。つまり、技術書であると同時に「経営指南書」としての性格も持っているのです。

■第六項

薪ハ粕拾貫目ニ付、大体三わ四わ迄

【現代語訳】酒粕十貫につき、薪は大体三把~四把くらい必要となる。

【解説】酒粕十貫(37.5kg)当たりの燃料(薪)の必要量が記載されています。現代だと「一把=10kg前後」のことが多いので、大体30~40kgと考えて良いでしょう。
ここまでの記載で、蒸留器の材質・規模・構造、主原料(酒粕)・副原料(籾殻)・必要人員・燃料(薪)の数量が出揃ったので、原価計算が可能となります。じっくり読んでみると、事前の想像よりもはるかにロジカルな構成で、その内容の確かさに驚かされるばかりです。

■第七項

内取の事甑の内へ桶を入、粕の上に置、雫を受る也、外へ息漏ざる故焼酒よく候

【現代語訳】内取の方法は、甑の中に桶を入れ、酒粕の上に置き、滴(蒸留液)を受ける。外に蒸気が漏れないので焼酎の品質が良くなる。

【解説】蒸留液を甑内で受ける「内取」の解説です。当時の主流は、どうやら冒頭に記載されていた「外取」だったようです。その理由は、「内取」は焼酎の品質こそ良くなるものの、出来上がった焼酎の水分が甑内で再蒸発し、収量が減ってしまうからだと推察されます。

■第八項

焼酒霤積りハ鍋の湯何度替て、何程有之との積りを以取る也、依之功者入事也

【現代語訳】焼酎の収量は、蒸留器の冷却鍋の湯の取替え回数に応じて、どれくらい取れるかを考慮して見積もる。したがって、上手な者が作業を行うこと。

【解説】蒸留作業のポイントは「冷却鍋の湯の取替え」であり、その回数やタイミングが収量に大きく影響を及ぼしたようです。

■第九項

焼酒変り粕にても取也、但し少ハ悪香出る物也

【現代語訳】焼酎を変質した粕から取ることもある。但し、少し悪い香りが出てしまうものである。

【解説】酒粕は基本的には腐らない(表面にカビが生えることはある)ので、ここで言う「変質した粕」とは、熟成した酒粕のことではないかと思われます。現代でも、熟成粕を使用した正調粕取焼酎には漬物っぽい独特の香りがあります。

■第十項

焼酒の粕能干し売買、大体石目其時干鰯の粉の石目也

【現代語訳】焼酎の蒸留粕は乾燥させて売買することができるが、大体一石当たりで干したイワシの粉と同じくらいの価格である。

【解説】焼酎粕は肥料として販売可能であり、重量当たりの価格は当時最もポピュラーな肥料であった干鰯(干したイワシ)と同程度であることが記されています。焼酎粕も肥料としてなかなか優秀だったのかもしれません。

■第十一項

替り酒を焼酒に取様の事酒壱斗に付、焼酒四升取ハ濃き上焼酒也

【現代語訳】変質した酒から焼酎を蒸留することもある。その場合、酒一斗につき焼酎四斗が取れれば、アルコール度数が高い上質の焼酎である。

【解説】当時の酒蔵における焼酎の製造は、酒粕の有効利用の手段というだけではなく、変質(火落ち)した日本酒を救済する手段でもありました。ここでは、変質した酒を蒸留した場合の収量が記載されています。

■第十二項

酒を焼酒に取様ハ灰壱弐合、水少し入て、釜に摺付、扱火を焼、熬付て、其後釜に酒を入、扨甑を掛て、外取にも、内取にも勝手次第に取也、是又鍋の湯手引かんにて替べし、又一取一取灰を摺付る事右同前、如此仕候ヘバ焼酒香はしきなり候

【現代語訳】酒から焼酎を取る方法は、まず木灰一、二合に水を少し入れて釜の内側に摺り付け、火を焚いて木灰を焼き付け、その後釜に酒を入れ、甑を乗せ、外取でも内取でも好きな方法で蒸留する。これもまた酒粕から焼酎を取る時と同様に、鍋のお湯が手を入れると思わず「熱い」と引っ込めるくらいの温度になったら取り替えなさい。また、一回の蒸留ごとに上記の方法で木灰を摺り付ける。このようにすれば焼酎が香ばしくなる。

【解説】前項に引き続き、酒(変質した酒)から焼酎を取る方法です。強アルカリ性の木灰を利用することにより、火落ちして酸っぱくなった酒の酸を中和し、焼酎の味を改善する手法が解説されています。

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以上、「童蒙酒造記・焼酒取様之故」を解題してきました。

このように古文書の原文を読む機会はなかなかありませんが、じっくり向かい合ってみると非常に新鮮で、楽しく、得るものが多い作業でした。
そして、正調粕取焼酎の基本的な知識が血肉に取り込まれたように感じました。

この成果を糧に、まだまだ正調粕取とその周辺で遊び倒していきたいと思います。

<了>

参考文献
・松木武一「『童蒙酒造記』― 元禄の酒書―(1)~(7)」(1983年~1984年の「醸造協会誌」に連載されたもの)
・吉田元「日本農書全集51 農産加工2 童蒙酒造記・寒元造様極意伝」(1996、農山漁村文化協会)

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