スポーツの循環を絶やさない。 そのために「1−10」の負けを繰り返す
1-10。
スポーツのスコアで言ったら「ボロ負け」だ。
ここまで点差をつけられてしまうと、それまで一生懸命に競技に打ち込んできたことを全て否定された感覚になるかもしれないし、誰かのせいにしたくなってしまうかもしれない。
仲間たちと楽しくやる遊び感覚のスポーツですら、「戦う相手を間違えた」とか「早く試合が終わって欲しい」といったネガティブな感情を持ってしまうはずだ。
さて、ここからは、ほんの少しだけビジネスの話。
僕はいま、スポーツ指導のオンライン化を進めたいと考えている人を無料でサポートしている。僕が理事を務めるサッカークラブでは、短期間にリソースを集中して一気にオンライン化を進めた。しかし、明るい未来をもたらすような収益化には至らず。ビジネスでいうならば、それこそ1-10どころの負けではない。昔、「スクールウォーズ」という1980年代中頃に人気を博したスポーツドラマでは「109-0」なんていうスコアが話題を呼んだが、まさにそんなレベルの大敗だ。
いまこそ必要な共助の精神
そんな大敗を経験しながらも、スポーツを支える1人の人間として、決めていることがある。それは、失敗を何度も繰り返すことと、その体験とノウハウを独り占めしないということだ。
本音を言えば、僕だってお金は必要だし、人のことを心配している場合ではない。「他人のお節介をしているくらいなら、まずは自分のことをやって欲しい」と家族にも叱られている。
でも、わかっていながらも、スポーツに関わる人たちが困窮を極める前に、1人でも多くの人の力になることを優先することにした。おそらく僕のような人間を「馬鹿」というのかもしれないが、馬鹿でもなんでも、自分の気持ちに従った結果なのだから仕方がない。助けられる人間が助ける。いまのご時勢では、この共助の精神が必要だ。
スポーツの育成にも携わるアスリートたちのいま
いまアスリートたちは、窮地に立たされている。
先日、フェンシング男子フルーレでロンドン五輪銀メダリストの三宅諒選手が「Uber Eats(ウーバーイーツ)」でアルバイトすることが発表されて話題となった。
僕が知る限り、このような判断を迫られているアスリートは、他にもたくさんいる。いまはそのようなアスリートたちのために、小さな手助けをし始めたところなのだが、僕が特に深刻だと感じているのは、オリンピックではないマイナー競技の選手たちや、メジャー競技でもオリンピックを目指していない選手たちだ。
彼らの中にはスポーツ指導者をしながら競技を続けている人も多い。そのようなアスリートは、個人事業主として活動しているため、指導の現場を失った瞬間に、収入が一切なくなってしまった。もちろんオリンピックに出るわけではないから個人に大きな金額のスポンサーがつく可能性はほとんどない。彼らはいま持続化給付金だけを頼りにし、未来を模索している。
スポーツ界を手助けしながら成功と失敗をリセットし続ける
僕は、ゴールデンウィーク中に、オンラインサービスを検討したい人や、検討すべき人だと思うたちに対して、無料でアドバイスやサポートを行うことにした。そうしないとスポーツ界から指導者が流出し、これまで続いていたスポーツの循環が途切れてしまうからだ。
このnoteで募集をかけたところ、トップアスリートや指導者、スポーツクラブの経営者ら10名ほどの方から問い合わせがあり、わずかだが彼らに情報を提供し、協力関係を模索した。
そこでいろんな人と意見交換をしてみて、改めて強く気づかされたことがある。それは、いま僕が経験していることは、思った以上に、他の人にピタリと当てはまるケースが少ないということだった。
考えてみれば当たり前のことなのだが、想定する顧客が変われば、やるべきこともやった結果も変わる。これだけ社会が変革すると今日は成功しても明日も同じように成功する保証なんてない。ペルソナ設計をし、顧客インサイトを考え、さまざまなマーケティング手法を施策に落とし込んだところで、すぐに結果なんて出ない。成功も失敗も常にリセットし続けなければ成長にたどり着くことなんてできないのだ。
自分自身の体験が他の人に役立つはずだなんて、わずかでも自惚れてしまった自分に腹立たしくもなるが、こうして謙虚な考えを持つことができたことだけが唯一の成功か。いずれにせよ総じて言えば、3月から僕が行なったスポーツ界への支援は、まさに1-10以上の大敗だった。
人からの評価よりも大切なこと
社会はいま変革のときを迎えている。そんな時代に必要なこととは何なのだろうか。
僕は、このゴールデンウィークで、①失敗を恐れず、②失敗を認め、③失敗を繰り返すしかないという、言葉にするととても陳腐な結論にたどり着いた。
そもそも、僕たちは失敗を恐れるような教育を受けてきた。だから失敗を恐れて行動ができない。さらには、評価社会の中で生きてきたため、自分のやったことを正当化したがる癖がついてしまった。僕は、これまで20年以上もそこそこ大きな企業で働いてきたおかげで、1つの成功を正当化し、その他の失敗に蓋をする癖がついてしまった。他人からの評価欲しさに、ボーナス欲しさに、プライド欲しさに、成功体験にしがみついて失敗体験に蓋をする人間に、果たしてどれだけの魅力があったというのだろうか。
今回の機会は、そんな自分のことしか考えてこなかった魅力のない自分自身を改めて見直す良い機会にもなった。数多くの失敗に目を背ければ、自分自身の成長も止まってしまう。いまはダサくても、かっこ悪くても、1-10の負けを繰り返すしかないのだ。
文:瀬川泰祐(編集者・スポーツライター・プランナー)
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