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故・野村克也監督と戸田和幸氏の共通点がスゴイ!

唐突だが、皆さんは「ソッカー」という言葉をご存知だろうか?

僕がこの「ソッカー」という言葉に本格的に興味を持ったのは、2018年2月のこと。元サッカー日本代表の戸田和幸氏が慶應大学ソッカー部のコーチに就任したのを知った時のことだった。

「ソッカー」という言葉から始まった学問への誘い

以前より、アスリートと社会との接点を探しながら取材活動を続けていた僕は、引退して少し経過したタイミングで、大学「ソッカー部」での指導を選択した戸田和幸氏に意外性を感じ、そして興味を惹かれた。同時に、恥ずかしながら、「ソッカー」の意味も歴史的な背景も知らなかった僕は、その言葉の由来を深く知るべく、当時、何冊かの書籍を読み漁った。

すると、僕の興味はそこから大きく広がりをみせていくことになる。はじめは「ソッカー」という言葉の由来を調べていただけだったが、そこから社会学へ誘われ、さらには言語学にまで興味が及んでしまったのだ。

その時の僕は、とにかく知識体系の整理よりも、興味の赴くままに本を読み進めた。いまでは、社会学や言語学への興味から派生して、「健康」や「AI」の分野に対しても強い関心を向けるようになっているのだが、そのきっかけは、戸田和幸氏の慶応大学ソッカー部コーチ就任という出来事にあったのかもしれない。

そんなわけで、書きたいことは山ほどあるのだが、今回はその中の一つ、「ソッカー」という言葉の起源について、少しだけ触れてみたい。

社会との繋がりを切り離せない語源を持つサッカー

「ソッカー」とは、今日の「サッカー」の起源となる言葉である。

「サッカー」の起源は、1863年にイギリスで世界最初のフットボール協会(Football Association)が設立されたところにある。

サッカーの原型は、19世紀にイングランドのパブリックスクールで生まれ人気を得たスポーツだった。だが当時は学校ごとにルールが異なり、他チームと試合するのも難しかったそうだ。そこで、いくつかの学校が集まって標準ルールを定めたものが「アソシエーション・フットボール」として知られるようになった。

当時のイギリスの若者たちが、Associationの「soc」に、人を意味する「er」をつけた俗語として、「Socker」(ソッカー)という言葉を創り出した。それがのちに「Soccer(サッカー)」という言葉になったのである。

「Soc」という言葉の語源には、「仲間」とか「社会」という意味があるが、サッカーが社会学の題材として取り上げられるのは、このような起源があるからであろう。また、ある社会の中で統一のルールを作って統制をとろうという当時の姿勢もまた、社会学の格好の題材だ。

当時の日本では、サッカーのことを「ア式蹴球」と呼び、ラグビーの呼び名であった「ラ式蹴球」とは明確に区別していた。その名残として、現在でも早稲田大学、東京大学、一橋大学などは「ア式蹴球部」として活動しているし、慶應大学は「ソッカー部」という名を残しているのだ。

社会学では「アソシエーション」とは、人々がある特定の関心を追求し、一定の目的を達成するために作られた社会組織として解釈されており、しばしば、「コミュニティ」との対比として使われる言葉である。

サッカーが一つの「アソシエーション」としての起源を持ちながら生まれたことは、非常に興味深い事実だ。僕は育成年代にはびこる勝利至上主義や、資本主義にまみれた勝利至上主義に対しては、徹底的に批判する立場を貫いている。

しかし一方で、サッカーチームをはじめとする競技団体が、元々は勝利を目的としたアソシエーションとして成立した側面があることは否定できないことにも気付かされるのだ。

勝利を徹底的に追求し、その目的を達成するために作られた組織が、日本のサッカー界でいえば、Jリーグに加盟するクラブや、サッカー日本代表チームなのであろう。

だが、一方で、特定の目的だけを追求するような純粋なアソシエーションは皆無で、多くの組織は「コミュニティ」の要素を兼ね備えている。日本に存在する街クラブの多くは「コミュニティ」に主眼が置かれているし、たとえJリーグのクラブであったとしても、チームメイト間に自主的な共同体としての意識は存在する。我が国のスポーツクラブは、地域社会を意識したコミュニティ形成を一つの目的としているところが大半であり、勝利至上主義とは別の目的は必ず存在していると言えるだろう。

戸田和幸氏への強い関心に、見えない力学が働く?

こうして、「ソッカー」という言葉への興味から、サッカーの持つ社会性、サッカーにおける言語の重要性へと関心が広がっていった僕は、当然ながら、取材活動の中でも、言葉にこだわっているスポーツ界の人に対するアンテナを立てるようになっていった。

その強い興味・関心に対して、見えない力学が働いたのか、2018年の秋に、本当に運良く、解説者・戸田和幸氏のことを取材することができたのだから、人生とは本当に不思議なものである。

※僕が戸田和幸氏の取材をさせてもらった際のウラ話は以下をご覧いただきたい。

その後、戸田和幸氏を取材させてもらってから1年半の時が経ち、当時、「いつか『ソッカー』という言葉について記事を書きたい」と感じていたことも忘れかけていたのだが、筆不精の僕が再び「ソッカー」について書きたいと思うきっかけが、つい先日に訪れた。

今度は、戸田和幸氏が一橋大学「ア式蹴球部」のコーチに就任したことを知ってしまったのである。

独自の視点とわかりやすい言葉を駆使し、サッカー解説の世界に革命を起こした戸田和幸氏の指導歴が、慶応大「ソッカー部」そして、一橋大「ア式蹴球部」と続くというのは、なんとも興味深い話ではないか。

言葉を大切にし、徹底した言語化にこだわる戸田和幸氏が「サッカー」という言葉の語源を残す大学体育会のコーチに連続して就任したという事実が、僕にとっては、非常に面白いと感じ、脳に電流が走ったのである。

戸田氏と大学との間にも見えない力学が働いているように感じてしまうのは、僕だけなのだろうか。戸田和幸氏があえてそのような道を選んでいるのか、大学側からのオファーに導かれているだけなのかは、いつか戸田和幸氏に直接聞いてみたいところだ。

野村監督と戸田和幸氏の共通点

いささか前段が長くなったが、この記事のタイトルにつけた故・野村克也監督とサッカー解説者・戸田和幸氏との共通点についての話題に移りたいと思う。

僕はいつか、どこかのJ1クラブが戸田和幸氏を監督に抜擢する日が来てほしいと勝手に期待している。その理由は、戸田和幸氏のキャリアや思考の一部が、野球界随一の知将・野村克也監督(以下、野村監督)に非常に似ていると感じるからだ。

僕がこの2人に見出した共通点は2つ。1つ目は、言葉をこの上なく大切にしているということである。

野村監督は、「言葉は力なり」と言い、選手育成の武器に言葉を使った。 選手を導く監督やリーダーには言葉が必要だ。言葉を大切に扱い、その言葉で選手たちを納得させる力量が求められる。

一方、戸田和幸氏も、前回僕が2018年の10月に取材させてもらった際に、以下のようなコメントを残している。

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いずれ監督業に就きたいけど、オファーもない。行きたい場所と現在地のギャップを埋めるためにも、サッカーを言語化し、魅力を伝える解説業は、監督業との共通項も多いため、アリだと考えました。

指導者という仕事に必要な「言葉」を身に付けるために、解説者となり、その世界で成功を収めた戸田和幸氏の姿に、僕は野村監督と同じ未来を見ていたのである。

そして2つめは、起きている現象から答えを導き出す理論を持っていることだ。現役時代の野村監督は、捕手というポジションから、グラウンドの至るところに鋭い視線を送り続けた。味方投手の表情や球筋から投手の調子を見極め、各選手の守備位置を把握。同時に打者を背後から観察し、その狙いの裏をついてきた。その戦術眼・観察眼は、解説業に携わるようになって大きく花開いた。

その理論を言葉とともに表現する手段として使ったのが、「ノムラ・スコープ」という配球表である。いま野球放送では、画面内にストライクゾーンを分割して、配球を表示するのが当たり前となったが、それを初めて導入したのが野村克也氏だったのである。

この「ノムラ・スコープ」には、一球ごとにコースと球種が記載されていくわけだが、それを見ながら、解説者・野村克也は、投手の配球を説明し、同時に投手や打者の心理も解説しながら次の展開を次々に言い当てていった。

そして、その解説者・野村克也の戦術眼・観察眼に目をつけたのが、ヤクルトスワローズだった。その野球解説の鋭さを評価されヤクルトスワローズから監督就任の要請を受けたのだ。その後、野村監督の代名詞「ID野球」により、ヤクルトスワローズを3度日本一に導いたのは、周知の通りである。

一方、戸田和幸氏は、これまで、自身で運営するYouTube「SHIN_KAISETSU」チャンネルを使って、試合映像は使わずに、戦術ボードとマグネットを使いながら、サッカー解説を行ってきた。そして今回、なんとその個人チャンネルに、試合の映像権利を持つDAZNが、戸田和幸氏個人のチャンネル内に映像を提供するというのだ。

その経緯は、以下の動画をご覧いただきたい。

これらの映像を見ると、時代も競技も違うが、解説者としての卓越した視点で、サッカー観戦の新たな魅力を提示する姿も、サッカーのピッチを区切りながら解説を行うさまも、野村監督と共通点があることがわかっていただけるのではないだろうか。

「知将」への道に期待するワケ

もちろん、野球とサッカーは全く異なる競技である。当時の野村監督と全く同じ未来が訪れるだなんて思ってはいないが、戸田和幸氏の解説には、当時の野村監督と姿を重ね合わせてしまうほど、突出した理論があり、また言語熟達者でもある。そこに知将としての資質を感じてしまうのだ。

サッカーは、野球以上に様々な約束事が存在し、その約束事を忠実に実行できるチームが戦術的に優れ、競技を優位に進めることができるスポーツだ。選手がピッチ内で起こる事象を把握し、共通認識の元で、「言葉」というチーム内に共通する記号を駆使して意図を調整し、監督が立てたチーム戦術を遂行する。そんなチームが、戸田和幸氏の指導・指揮の元で構築されていくのを見たいのである。

もしも戸田和幸氏が、そのサッカー理論を体現できる選手たちに恵まれた時、もしかしたらそのチームは、ID野球ならぬIDサッカーができるのではないだろうか。

これは蛇足だが、奇しくも、僕はこの記事を書いている最中に、野村監督のことを記事にする企画をある媒体からいただき、今その執筆を並行して進めている。野村監督を良く知る方のお話を聞きながら、野村監督という人物を自分なりに紐解いている最中である。この作業は、もしかしたら、いつか戸田和幸氏を紐解く材料になる日が来るかもしれないと感じ、ワクワクが止まらない日々を過ごしている。

サッカー解説者となり、サッカー解説に革命を起こし続ける戸田和幸氏。僕が、いつかトップカテゴリーの監督としてその才能を花開かせる戸田和幸氏の姿を見たいと感じるのは、野村監督のような資質が備わっていると考えるからなのだ。

取材・文・写真:瀬川泰祐

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