哀し嬉しの父親エレジー
2019年12月3日。
この日の朝は、偶然にも、娘と同じ時間に家を出た。
娘は通学。私は通勤。
おそらく、娘が高校生になってから初めてではなかろうか。
慣れない出来事に、どんなスピードで歩いていいか、そもそも年頃の娘の近くを父親が歩いていいのかも分からず、少しばかり戸惑いをおぼえた。
私が住む地域は、埼玉のはずれ、いわゆるベットタウンのほぼ最北端のようなところだ。
この街から通勤するサラリーマンは、きっと2時間近くかけて会社に通っているのだろう。
かくいう私もその一人で、都内で、私が住む街のことを話すと、大抵は驚きとともにこう聞かれる。
「どうやって通っているの?」
「電車で1時間40分かけて。」
「うゎぁ〜」
いつもこんな会話になってしまうほど、田舎の地域だが、朝の時間帯の、駅に続く通りだけは、通学や通勤する人が、それなりに歩いていて、車の通りもそこそこにあったりする。
人目のつく通りに出ると、娘に気をつかって、道を渡って反対側の歩道へ向かった。
父親なりのささやかで寂しい配慮だ。
世の中の父親なんて、きっとこんなものなのだろうと、自分を納得させて。
道を渡ってからすこし歩いていると、 斜め後ろに人の気配を感じた。
なんと、娘が歩いている。私と一緒に道の反対に渡ってきたのだ。
この驚きと嬉しさを悟られないよう、平然を装いながら、他愛もない質問をする。
「テスト期間はいつまで?」
「今週の木曜日まで」
「あと3日か。。。」
ふと娘の手元に目をやると、手にはテスト範囲のことが書かれたプリントを持っている。
「歩きながら勉強か?」
すると娘はわずかに笑みを浮かべながら、
「電車の中で見るんだよ」
と返してくる。
「そっか」
会話が途切れた。
コミュニケーションは本当に難しい。いや、そうじゃないのかもしれない。
16年間も一緒に過ごしてきても、こうやって、本音を隠して接しているのだから、きっと自分で難しくしてしまっているのだろう。
朝の凛とした空気の中、通行する人の足音と、車のタイヤが鳴らす忙しない雑音だけが響く。
今度は娘から口を開いた。
「またおじさんになったね」
涙が出そうになる。娘はきっとこれが言いたかったのだ。これが精一杯の娘なりの愛情表現なのだろう。
「あぁ。。。ありがとう。もう誕生日なんて嬉しくないけどね」
たった数分間の駅までの道のり。
高校生の女の子が、人目のつく中を父親と一緒に歩くなんて、きっと特別なことだったに違いない。
まだまだ頑張れる。
これから1年、また若いつもりで、やっていきます。
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