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少し前に、こんなタイトルの記事を見た。

東洋経済オンラインに書かれたこの記事のタイトルには「不毛な論争」と書かれており、スポーツが持つ一貫性や普遍性という視点で、eスポーツは、スポーツであるという結論の記事だった。もちろん、スポーツの持つある特性を元に議論を深めるのは大切なことだが、この視点は、正直なところ、僕にはあまりピンとこなかった。

これは僕の個人的な感覚だが、eスポーツをスポーツというカテゴリで一括りにすることに感じる「違和感」はかなり強いものがあり、この記事の視点では、「違和感」の本質を捉えているとは到底思えなかったのだ。

では、僕自身が持つ(おそらく多くの方が持つ?)この「違和感」の理由はどこにあるのだろうか?

その理由を探る前に、「eスポーツをスポーツとみなすかどうか、なんて、どうでもいい」という方もいると思う。

実際のところ、ゲームにあまり興味がなかった僕も、「どうでもいい派」だったのだが、最近は、もう少し議論が必要だという考えに変わってきた。僕なりに、なぜ議論する必要があると考えるのかだけ、簡単に触れてから、先に出た「違和感」を整理しようと思う。

これまで「僕なりに」という言葉を使ったが、これはあくまでも僕の主観であり、ここからは、もし興味あれば、読み進めていただけたらと思う。興味がない人にとっては、上記の記事のように本当に「不毛」かもしれないので。

議論をすることの重要性

先日、僕はスポーツ庁のある方にお声掛け頂いて、SOIP(スポーツオープンイノベーションプラットフォーム)第一回推進会議の場にお邪魔させていただいた。

スポーツ庁が主宰する、このSOIP推進会議とはどんな会議なのだろうか?

日本は、成長戦略の一環として、スポーツ実施率を現状の40%から2021年までに65%にすること、現状5.5兆円のスポーツ市場規模を2025年までに15兆円に拡大することなどを明言している。そして、日本のスポーツ振興やその他のスポーツに関する施策の総合的な推進を図ることを任務とするのがスポーツ庁だ。

つまり、この会議は、スポーツ庁が、スポーツ市場規模拡大に向け、産学官が連携することでオープイノベーションが促進されるプラットフォーム構築することを目的として、有識者を集めて今後の方向性を模索するために開催したものだと言えるだろう。

一端のスポーツライター・ジャーナリストが出入りできるような場ではないのは重々承知だったが、それでも興味があったし、鈴木大地スポーツ庁長官や、太田雄貴さん、川淵三郎さんら錚々たるメンバーが出席されると聞けば、いても立ってもいられず、参加させていただくことにした。

この会議で議論されたことの詳細はここでは省くが、この会議の中で、途中に3つほどの新たスポーツ産業の事例が紹介され、その一つとして、「HADO」という、テクノロジーを使ったスポーツゲームが紹介された。

「HADO」は、専用の競技場で実際に身体を使った運動を行うことを前提としており、そこにAR(拡張現実)技術とモーションセンシング技術を用いて映像を視覚化し、プレイヤーはもちろん、観戦者までがそれを映像として体験できるテクノロジーとスポーツが融合した新しい競技だ。

事業主体であるmeleap社の社長の方がこの事業のプレゼンをしていたのだが、なぜHADOのようなeスポーツがこのSOIPの事例の一つに選ばれたのか。

スポーツ庁の担当者にどこまで明確な意図があったかは定かではないが、国のスポーツ政策と照らし合わせてみれば、自分なりに納得した。前述の通り、スポーツ実施率の向上や、スポーツ市場の拡大に、eスポーツを含めるかどうかは、国策の目標達成やそのための施策を決定していくプロセスにおいて、非常に重要なことだからだ。

スポーツ庁の狙い

この会議で、スポーツ庁の担当者が、eスポーツの事例として「HADO」を選んだのは、おそらくは、川淵三郎さんをはじめとする高齢の有識者たちに対して、eスポーツをスポーツと認識させる上で、最も都合の良いものだと考えたからだろう。

「HADO」は、実際に身体を動かすこと、自宅では競技ができないこと、仲間と行うチームスポーツであることなど、スポーツとして認識しやすい要素をたくさん持っているのだ。

一方で、会議中に、川淵三郎さんは「eスポーツを、ここではスポーツとして扱うかどうかは別として・・・」というような発言をしていた。この発言は、スポーツ行政の方向性を作っていくべき人達の間でも、eスポーツを完全にスポーツとみなすかどうかは認識がバラバラの状況だということを意味している。

ここも、あくまでも個人的な考えだが、国としては(少なくともスポーツ庁の担当者は)、eスポーツをスポーツとみなしたいが、知見者の間でもまだまだ議論が進んでいない発展途上の段階だと言えるのではないだろうか。

eスポーツの現場で感じた「違和感」

国が掲げた目標の大きさを考えると、国政は、eスポーツをスポーツとみなす可能性が高いだろうという個人的な仮説のもと、それでも、僕らはなぜ、eスポーツをスポーツと呼ぶことに違和感を感じてしまうのか、僕なりに考えを整理してみた。

僕は今までも、何度かeスポーツのイベント現場に訪れてきた。興行としてみると、観客が楽しめる要素はたくさんあるし、何よりここ数年で大きな市場に成長することが予測されることから、興行ビジネスに関わっているものとして今後の動向は無視できない。

だが、一方で、eスポーツのイベント現場を見ればみるほど、なおさら、「違和感」は強くなっていった。

このイベントは、フォートナイトというアドベンチャーゲームのようなものを競技種目としたイベントだったのだが、本当に、これはスポーツと言えるのかは正直なところ、疑問だった。

客層も違うし、イベントの性質も、盛り上がり方もやはり、僕が体験してきたスポーツ観戦のそれとは明らかに違ったのだ。

違和感の正体

最近では、身体を動かすかどうかとか、汗を流して練習するかどうかという視点で、スポーツと言えるかどうかに言及する人もいる。でも、その視点もどこか弱い気がした。例えば「Wii Sports」を自宅や友達の家で汗を流しながらやっていたらスポーツなのかというと、僕の場合は、そうとも感じないからだ。

スポーツという言葉からeスポーツを説明しようと思うと「運動を伴うか」「汗を掻くか」「精神性があるか」と言った議論になるのだろう。

逆に、eスポーツという言葉から、スポーツを説明しようとしたら、「娯楽性を伴っているか」「競技性があるか」と言った議論になるのだろう。

そこで、eスポーツという言葉を調べると、「複数のプレイヤーで対戦されるコンピュータゲーム(ビデオゲーム)をスポーツ・競技として捉える際の名称である」と書かれている。なるほど。

つまりeスポーツは、あくまでもコンピュータゲームの一つ。だから、コンピュータゲームと僕たちがどう関わってきたか、と考えてみたら、違和感の理由が見えた気がした。

その理由は、特に幼少期の体験にある。

僕らの世代は、小学生の時にファミコンが発売され、まさにファミコンに熱狂した世代だ。週末に、つらくて苦しいスポーツ少年団に練習に行くのが本当に嫌で仕方なかった。僕らが行ってきたスポーツは、決して楽しいものでも娯楽でもなく、軍事教育の延長である「体育」の考え方が色濃く残っていた。練習中に水を飲むことも、笑って話すことも許されない、精神性に重きが置かれた時代だった。だから、スポーツを遊びだなんて思ったことはなかったし、できることなら、スポーツ少年団や部活を休んで、家でゲームをして遊んでいたかった。

要は、ゲームとスポーツは全く別物として捉えて育てられてきたし、むしろ、ゲームで遊ぶということは、僕らにとって、スポーツとは全く正反対の時間の過ごし方だったのだ。

僕にとっての違和感の正体はここにあった。

ファミコンをやっていれば「ゲームなんかしてないで外で遊んできなさい」と言われた。ゲームセンターに行くことに関しては、少し悪いことしてる感覚にすらなったものだ。

スポーツとeスポーツの垣根は取り壊される

近年では、スポーツという概念は大きく変わり、スポーツは遊びであり娯楽であるとする考え方が少しづつ広がり始めたが、それでも、まだまだそんな考えが完全に浸透しているとは言い難い状況だ。このような状況の中で、いきなりゲームを「eスポーツ」として一括りにされてしまった違和感。これは、僕らの世代に特有の感覚であり、今の若い人には到底持ち得ない感覚なのかもしれない。

ここまで書いておいて、こんなことを言うのもおかしいが、僕のこの感覚は、もう今の時代の流れに遅れをとっていると言うことなんだと思う。

時代の流れは早い。いずれ、僕のような違和感を持つ人は、いなくなる時が来るだろう。

ゲームにリーグ戦や大会があって、勝敗を競い合い、そこの観客がつきプロリーグが形成される。世の中はそれをeスポーツと呼ぶ。先日、東京グローブ座で行われた全日本フェンシング選手権のように、歴史あるスポーツが、eスポーツのような演出で会場を大いに盛り上げていく時代になる。HADOのような新しいテクノロジーをふんだんにに取り入れた新たなスポーツ競技が生まれる。

すでに、スポーツとeスポーツの垣根は、すでに取り壊され始めているのだ。

もちろん、日本においてeスポーツが普及していくためには、法規制の課題(賭博規制や景品表示法によって、高額賞金が出しづらい問題)など、まだまだ海外のように進むには少し時間がかかるかもしれない。

だが、きっと、いま僕らが持つ「違和感」は、何年か後には、感じなくなるんだろう。いや、今の時代の流れを考えると、もしかしたら、もう2〜3年後には、違和感を感じていたことすら忘れてしまっているのかもしれない。こう考えていくと、つまるところ、eスポーツは、今後も、スポーツとして捉えられていく流れは加速していくのだろう。

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