見出し画像

日本語訳の際に気を付けるべき表記の問題

中国語のニュース記事を日本語に訳す場合に気をつけるべきことに、日本語の表記の問題があります。中国語の原文に出てくる固有名詞や肩書き、団体名などを日本語訳する場合、日本語でもそのまま表記すべきかという問題は翻訳者の頭を悩ませるところでもあります。

ニュースの世界には「記者ハンドブック」というガイドラインがあり、ニュース翻訳者も基本的には、これに沿った形で日本語表記をすれば無難でしょう。「記者ハンドブック」はニュース記事を執筆する基礎となる土台なのですが、その上で翻訳エージェントごとの細かいローカルルールにしっかり従って日本語文を構築する必要があります。ここでは一例として、私が実践している一般的な処理の仕方を具体的に見ていきます。

地名

私は中国国内にある地名の処理の仕方についても、大まかにはこの記者ハンドブックの表記に従っています。

国内の漢字圏の都市については基本漢字表記で問題ないのですが、一方で「ハンドブック」にもリストとして挙がっている▽哈爾濱→ハルビン▽厦門→アモイ▽汕頭→スワトー――といった、漢字圏にもまれにカタカナ表記をする都市があるので注意が必要です。逆に混同しやすい「汕尾市」は、ハンドブックの記述にはないので私はそのまま表記しています。

では国内の非漢字圏の地名についてはどう処理したらいいでしょうか。

チベット自治区や新疆ウイグル自治区のラサやウルムチ、黒竜江省のハルビンなど、ハンドブックにも載っている有名どころはカタカナ単独表記でも差し支えないでしょう。しかし他の、新疆やチベット、内蒙古でも「~市」「~郷」「~旗」レベルの地名や、黒竜江省の他の非漢語由来の地名(チチハル、チャムスなど)、さらにはチベット自治区に点在する寺院、新疆のモスクの名前は、「カタカナ(漢字)」の順で両方併記する方式を取っています。理由はマイナーな地名であるために、カタカナ表記が固定されていないからです。例:ジョカン寺(大昭寺) チチハル(斉斉哈爾)市

これらの地名のカタカナ表記は、英文記事のスペルや、他の新聞社の表記を参考にしています。例:ファイザバード(伽師)県

ちなみに民族名については、「西蔵」→「チベット」「蒙古」→「モンゴル」「維吾爾」→「ウイグル」「壮」→「チワン」など、自治区の名称にも採用されている有名どころの民族名は、基本的に漢字は併記せずにカタカナ表記で処理していますが、一方で「白族」→「ペー族」などのメイナーな民族や「カザフ族」など国外にも居住している民族についてはカタカナと漢字を併記する方法を取っています。例:キルギス(柯尔克孜)族。
ただ内蒙古自治区だけは例外として、モンゴル族とはしますが、「内モンゴル自治区」とはしていません。

人名・肩書き

その次に悩ましいのが人名、肩書きでしょう。中国国内の高官の肩書きは基本中国語表記をそのまま反映させることが望ましいのですが、日本語表記にすべきなのか、中国語表記そのままにすべきなのか迷うものもあります。

例えば、李克強さんの肩書きである「総理」は「首相」とすべきなのでしょうか。日本の各主要紙を見てみると、ほぼ横一列で「首相」の肩書きを使用していることがわかります。その一方で、中国系メディアの日本語版は「総理」としています。さらには日本の外務省のウェブサイトを見てみると、「李克強総理」としています。ここから日本のメディアは「首相」だが、日本国政府の公式見解としては「李克強総理」なのだということが分かります。

どちらを採用するかはエージェントやクライアントの意向に従うべきなのでしょうが、私自身は「日本でのニュース記事」という観点から言えば「首相」とすべきなのかなとも思っています。

その一方で台湾の蔡英文さんの肩書きである「総統」は、どのメディアもそのまま総統としており、「大統領」としているところはほとんどありません。「総統」とそのまま表記するのが無難でしょう。これはやはり、台湾中華民国の特殊性をそのまま反映させたものだとも言えます。

世界の人名で迷うのは、「漢字表記にすべきか、カタカナ表記にすべきか」だと思います。ヨーロッパ諸国の高官にはそのままカタカナを当てればいいのですが、アジアでは少々複雑です。

アジアでもベトナム、韓国、北朝鮮、および華僑華人が多いシンガポールなどは漢字圏であり、中国語原文では、人名はそのまま中国人のような人名で表記されるのです。

しかし訳の際には、これらの「中国人の人名」をそのまま日本語表記するわけにはいきません。共同通信社が出版している「世界年鑑」のような資料は、ベトナム、シンガポールにはカタカナの単独表記を、韓国や北朝鮮には漢字の単独表記を当てています。これらの法則にしたがって表記すれば無難と言えるでしょう。ですからシンガポールの首相は「リー・シェンロン」となりますし、韓国の大統領は「ムン・ジェイン」ではなく、「文在寅」となります。

同じような理由で、欧米の華僑系の閣僚ももちろんカタカナで単独表記すべきでしょう。米国の元商務長官である「ゲーリー・ロック(中国語表記では駱家輝)」は有名ですね。

これらの細かい表記や政治的な意味合いも含まれる表記は、新聞社やメディアによって異なります。産経新聞が北朝鮮を早くから「北朝鮮」と表記していたにも関わらず、朝日はつい最近まで「朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)」としていたのは記憶に新しいのではないでしょうか。

当記事で何度も注意喚起していますが、これらのガイドラインについては、翻訳エージェントにしっかり質問すべきです。一方でそれとは別に、「普遍的なガイドライン」を自分の中に取り入れ、それに従って日常的な翻訳業務に取り組む必要があります。

では中国国内の少数民族の要人はどう表記したらいいでしょうか。このあたりは政治的、イデオロギー的思惑が絡んでくるので一概には言えませんが、私はできるだけ中立にするという観点から、地名のときと同じように、カタカナと漢字を併記する方式を採用しています。例:ペマ・ティンレー(白瑪赤林)

組織名

組織名、とりわけ中国政府の組織名は少々厄介です。私は中国外交部など、基本的には中国語の原文表記をそのまま採用しています。ただそうはいかないものも存在します。例えば

中央全面深化改革领导小组

のように漢字がズラズラ並ぶと見にくい組織名は処理したらいいでしょうか。「領導小組」あたりは特にその傾向になりやすいですよね。私はこの場合、漢字と訳語を併記する方法を取っています。上記の場合は

中央全面深化改革(中央”改革の全面的な深化”)領導小組

という処理が一番穏当で適切なのではないでしょうか。この他に

防汛抗旱总指挥部→防汛抗旱(洪水・干ばつ対策)総指揮部
外交部欧亚司→外交部欧亜司(ユーラシア局)

などなど、処理に迫られる場面はいろいろありますし、これからも増えてくると思われます。

◇◇

以上、いろいろ見てきましたが、私が処理する際にいつも念頭に置いているのは、「意味を曲げない範囲で、読者に見やすくすること」です。私は、これはニュース翻訳における普遍的なガイドラインだと考えています。ニュースの翻訳記事の読者は原文を知りたい人もいれば、ニュース自体を読みたい人もいるでしょう。これらの読者のニーズにこたえつつも、読む際に極力読者にストレスをかけないような表記の仕方というのをやはり心がけるべきだと思います。今回の記事が皆さんの参考になれれば幸いです。


サポートしていただければ、よりやる気が出ます。よろしくお願いします。