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「日本語は強調したい語句を一番最後におく」を意識してみよう

日本語と中国語は別言語。多くの日本人はこのことをよく理解しているはずです。でも翻訳になると、理解しているはずの日本語や中国語がどこかグーグル翻訳っぽくなってしまう経験は誰でもしたことがあるはずです。

これはやはり、翻訳者が中国語の並びは「S+V+O」、日本語の並びは「S+O+V」だと単純に考え、何の考えもなく右から左へと翻訳してしまうからだと私は考えています。

しかし中日の翻訳者は単純な語句の並びの法則とは別に、「主語が今どのような感情なのか」「何(どこ)を強調したいのか」「何を言いたいのか」ということを正しく理解して、これを「発信者の感情を含めて正しく日本語に置き換える」という作業をしなければ、質の高い成果物を作り出すことはできません。そのため、当noteではこれらを理解するためにはどうすべきかということに焦点を当てて解説してきました。

そこで今回は、その中でも皆が誤解しやすい日本語文と中国語文の「強調の仕方の違い」に焦点を当てて解説していきたいと思います。最初に簡単な例を出してみましょう。皆さんは以下の文章をどう訳しますか。

有人持刀伤人

この文章の日本語訳としては二通り考えられます。

①ある人が、ナイフで他人を傷つけた。

②ナイフで他人を傷つけた人がいる。

先ほどの中国語文の訳文としては両方とも正解です。しかし読む側の印象が微妙に違うのはお分かりいただけるでしょうか。

一般的に日本語文では、強調したい語句があった場合、後ろに置くのが一般的です。しかも後ろにおけば置くほどその語句は強調されます。先ほどの日本語訳で見てみると、①の文章は「傷つけたこと(要するに事件が発生したこと)」に発信者の強調したい点があるのに対し、➁の文章は「傷つけた人物がいたこと」に発信者の強調したい点があるのが分かると思います。

この違いをしっかり理解しておくことは重要ですし、この知識・テクニックは日本語翻訳において非常に効果的に応用できます。翻訳者が原文中で「筆者がどの部分を強調したいか」と言うことを分かっていれば、手っ取り早くその強調点を訳文に反映させることが可能だからです。

ならば中国語の原文中において、筆者の強調したい部分を判断する材料は何か。中国語は強調したい語句や文節があった場合、なるべく前に置くのが一般的になっています(もちろん全部とはいいません)。また、「才」「就」などの副詞や「是~的」構文、さらには冒頭に置かれた「谁」「什么」「为什么」「哪里」なども強調したい語句や文節を判断する基準となるでしょう。

ただ先ほどの「有人~」構文の場合は、どこを強調したいのかということは前後の文脈を読まないと分かりません。とは言っても、「没有人~」「为什么有人~」構文などなど、明らかに冒頭の部分を強調したいという意図が見える文ならば、「~人はいない」「~人がいるのはなぜか」といった処理を施すことができます。では、例えばこのような文はどうでしょうか。

谁才真正以人为本

この例文には2つの日本語訳が考えられます。

①誰が真に人を基本としているのか。

②真に人を基本としているのは誰か

ここで翻訳者が注目すべきは「才(~こそ)」です。この語句は直前の主語や文節を強調する働きがあります。このことから、筆者が強調したいのは「」であるのは理解できると思います。

一方で「才」が訳出されていないじゃないかということで、「誰『こそ』が、真に人を基本としているのか」を第3の訳として挙げる人もいるかもしれません。

しかし一般的に「誰」や「何」が主語であるときに「こそ」などの強調の係助詞や副詞を入れた日本語文はあまりなく、多くの人がグーグル翻訳っぽい違和感を感じてしまいます。だからこそ別の方法を取る必要があります。

ここで「日本語独特の強調法」、すなわち「強調したい語句を最後に置く」というテクニックを使うわけです。このため、今回の例文では、➁の日本語がより原文に近い適切な訳文となります。

ここまで「才」「就」などの副詞や「是~的」構文、さらには「代詞」など、作者が「何を強調したいか」が文章を見れば大体理解できるものを見ていました。しかし次のような文はどうでしょうか。

他曾不止一次因为不能念书而在田埂上放声大哭

この文章の訳はどう処理したらいいでしょうか。まずこのような訳文を考えることができます。

彼はかつて、一回ならずとも、学校に行けないがためにあぜ道で大声で泣いたことがあった。

この日本語はちょっと変です。変な理由は「一回ならずとも」の位置のせいだと気づくと一歩前に進むことができます。ここに気づくと、「一回ならずとも」が筆者が強調したい部分であるのではと理解できるのではないでしょうか。

「一回ならずとも」を強調したいのだと理解できれば、これを一番後ろに持っていけば、筆者の感情にも即した訳文を作ることができます。ですから私はこう訳しました。

彼が過去に、学校に行けないがためにあぜ道で大声で泣いたことがあったのは一度だけではなかった。

このように何も強調する副詞や構文がなくても、「発信者が何を強調したいのか」を的確に理解するのはとても大切です。文章を読み込むときは発信者の心理まで踏み込めると一段上の訳を作ることができます。

最後に。ここで挙げた「日本語における強調法」(強調したいものを最後に置く)は日本語における数ある強調法のうちの一つです。このほかにも「さえ」「こそ」「すなわち」などの助詞、副詞、接続詞などを駆使する方法もありますし、千差万別です。その場面場面に合わせて臨機応変につかっていくことを心がけましょう。重要なのは「原文通りの訳文」と「違和感のない日本語文」を目指すことです。

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