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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#39~ついでの旅(2)【長崎本線(旧線)、可部線、北陸新幹線】

 天候にも恵まれ、念願の軍艦島見学を果たした帰路の2024年4月29日(祝・月)、長崎空港から大阪に戻る前に、JR九州最後の未乗区間である長崎本線旧線区間の浦上~喜々津間に乗車した。長崎市内から大村湾に浮かぶ空港まではバスで行くのが一般的であり、現に妻はそのバスに乗ったのだが、私は少々早くホテルを出て、13時12分長崎発竹松行きの鈍行に乗り込んだ。
 長崎本線は新幹線開業前は博多までの特急が走る大幹線であった訳だが、諫早から長崎に至る当初のルートは北に大きく迂回して大村湾沿いを通る「長与まわり」であった。しかし1972年に諫早から西に真っすぐトンネルで貫く新線が開通すると当然にそちらが長崎へのメインルートになり、今は長与まわりの旧線は各駅停車だけが訥々と走っている。
 私も以前に長崎に来たときは特急で来たので、この長与まわりの旧線を乗り残していたもので、今日は長崎空港に行くという「本業」の絶好の「ついで」機会なのであった。

 ピカピカに新しいが、優等列車の発着しないどこか寒貧とした感のある長崎駅在来線ホームを2両編成のディーゼルカーは定刻に発車した。もっともディーゼルカーといっても、旧来の煙をモクモクと吐き出すキハ何とかではなく、2018年に導入されたYC1系という最新のハイブリッド車輛で、YCとは「優しくて力持ち(Yasashikute Chikaramochi)」の頭文字なんだそうである。何をかいわんやと思う。

 原爆平和記念像が遠くに小さく見える浦上駅を出て暫くすると、諫早に直行する新線が右に分岐してトンネルに入るのが見える。同じ各駅停車でも新線経由だと諫早まで30分のところをこの優しくて力持ちな列車は1時間近くかけてゆっくりと走っていく。
 時間帯のせいか高校生の乗り降りが頻繁で、沿線一番の大きな街である長与駅あたりまでは車内はかなり混んでいた。列車交換で数分停車した長与駅を出ると車内から若者の元気な声は消え、代わりというわけではないが、大村湾の美しい海岸線が広がってくる。新線との合流する喜々津駅に13時58分着、これでJR九州は完乗となった。
 しかしここで降りて写真など優雅に撮っていると飛行機に置いていかれるので、私はそのままYC1で諫早から大村線に入って北上し、14時28分に大村駅で下車した。海を渡って長崎空港に向かう路線バスの中で「ついでで乗るとどうも感慨が薄いな」と思ったが、かといってわざわざ乗りに来るのかと問われれば否と答えるであろう。

 夏の暑さが本格的になってきた7月6日(土)に次なる「ついで」乗り回し作戦として、広島県の可部線末端区間の可部~あき亀山間に乗った。可部線はもともと広島から三段峡駅に至る長大ローカル線だったが、2003年に可部から先の区間が廃止されている。私はJR西日本の乗り回し企画「チャレンジT-1グランプリ」で可部線にも乗っているのだが、その一部廃線後だったので、乗車記録は可部までとなっていた。
 ところがその後住宅開発の進展や地域の拠点病院のオープン等に伴って、廃線区間の復活を望む声が大きくなり、異例の「廃線区間の一部復活」という形で2017年に可部~あき亀山間が延伸開業したのである。

 しかし復活区間は途中駅ひとつの僅かな距離で、「わざわざ乗りにいかないところ」の横綱級である。逆にこの僅かな末端区間で完乗を果たすという天邪鬼な思考もありかとも考えていたところ、たまたま宮島への家族旅行が実現したことから、広島駅のカフェで2時間妻に待ってもらうことで、私はいそいそと可部線往復に出掛けた。
 乗るまでの経緯は長いが、乗る時間は短い。12時8分に広島駅を発車した各駅停車は山陽本線上を少し走ったあと横川駅から可部線に入るが、可部までは既乗であることに加え、車窓風景も車両もこれといった特徴に欠けるので、広島駅ビルで食べたお好み焼きのもたらす眠気に完全に敗北する。はっと目覚めたところがまさに可部駅で、まだ半分寝ているような気分のうちにわずか5分で終点のあき亀山駅に列車は滑り込んだ。

 新しい終点のあき亀山駅は何の変哲もない郊外の終着駅であった。イコカの簡易改札機と紙切符回収箱だけの無人改札を出ると真新しいロータリーとバス乗り場があり、ロータリーのすぐ横には「広島市立北部医療センター」という大きな表示のある立派な病院が見えた。
 一部廃線前にも「安芸亀山」という駅があったらしいが、その駅はここよりかなり三段峡寄りの場所なので、混乱を避けるため復活後の新駅名は「あき亀山」というひらがな表記にしたとのこと。同音異字の新旧駅が存在する方がややこしくて、「医療センター前」なる駅名の方が分かりやすかったのではとも勝手に思ったが、これではバス停の名前のようで締まりがない。
 予想通り、というと可部線に失礼だが、さほどの感慨もないままに9分後の折り返し電車で私は広島に戻った。これでJR西日本の未乗区間は1.6キロ減り、未乗区間は北陸新幹線延伸部分の金沢~敦賀間だけとなった。

 その北陸新幹線には8月に乗った。これは何のついでかというと、実は当初はついでではなく、この新幹線のために乗りに出かけるつもりであった。新快速から三セク化されたハピライン福井線とIRいしかわ鉄道に乗り継いで金沢まで行き、北陸新幹線と特急サンダーバードで大阪に戻ってくる、という当初プランだったのが、どうせなら富山地方鉄道やら高岡の路面電車や北陸鉄道にも乗ろうと計画が膨らみ、新幹線には2日目夕方の疲れている帰途に「ついでに」乗る形に変貌してしまった。

 8月6日(火)の夕方4時、前日から北陸のいろんな鉄道を乗り回して既に疲れ切っていた私は新幹線発車までまだ相当の時間があるのに早々にホームのベンチに座っていた。ひどく暑い上に疲れて眠い。未乗路線に向かい合う態度としては中々にけしからんことではあるが、在来線を問答無用で駆逐していく新幹線が相手だからまぁ良しとする。
 ガラガラで冷房も快適な『つるぎ35号』は16時54分に金沢駅を発車、前日に三セクの鈍行で2時間半も要した区間を高架と長大トンネルで突っ走り、僅か40分で敦賀に着いた。車両基地や白山といったポイントも見えないことはないが、サンダーバードですら遅く感じるスピード感に「こりゃさすがに新幹線だわい」と呆けた感想しか浮かんでこない。
 新幹線終着の敦賀駅では既に悪名高い「3階新幹線ホームから1階在来線ホームへの8分乗り換えルート」を一生懸命歩く。普通に歩けば間に合う距離ではあるが、少しトイレに行ったりすると危ないし、そもそもサクサク歩ける人しか想定していなかったんではないのかとも思った。

 4月から8月の間の「ついで旅」で関東以南の残存区間をほぼ乗りつぶし、東北・北海道以外の未乗路線は愛知県の武豊線19.3キロだけになった。

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