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【プロポ9】誰にも奪えない財産

プロポ

プロポとはアラン『幸福論』に代表される文筆形式を表すフランス語。短い文章で簡潔に思想を著すエッセイのようなもの。日本では「哲学断章」とも訳されます。アランのそれは決して学問として哲学というほど仰々しいものではなく、アランが人生で培ってきた教訓や行動指針を新聞の1コーナーに寄稿するという形で綴ったもの。僕も見習って、頭を行き来する考えをプロポとしてまとめることで思考を整理していきたい。

僕のブログ「持論空論」で展開していたものをnoteに移行しました。

【プロポ9】誰にも奪えない財産

財産というと一般的には貯蓄や株などの金融資産や不動産などの現物資産のことをいいますね。しかし今回考えたいのは、これらとは別の意味の財産。パッと思いつくのは次の2つ。1つめは自分の身についてくる経験や能力。これは交換価値があるという点で金融資産や現物資産と似ています。つまり自分が身につけた能力が売り物になり、それで身を支えていけるということ。求職時には職歴や資格がアピールポイントになりますし、特定の経験や能力が求人要件になっている職種も多いですね。2つめは思い出や趣味趣向や人間関係など、交換価値はないけれど人生を豊かにしてくれるという意味で財産と呼ばれるものです。若い頃に失敗に終わった大恋愛や夢を追った時間は、直接何かの役に立ったわけではないけれど人生の折に触れて思い出す大切な財産になったなんていう話は、よくあるドラマ。

 ここに挙げた、金融資産・現物資産を意味するわけではない、2種類の財産。これらの共通点は「誰にも奪えないものである」ということです。お金は使えば無くなるし、株は経済で変動するし、現物もいつか壊れるし、追い詰められれば差し押さえられます。しかし、過去の経験は絶対に奪われないし、能力はいくら売っても在庫が減らない。思い出が差し押さえられることはなく、好きなものが与えてくれる幸せには際限がない。(人間関係だけは奪われちゃうかも。)

 僕は、本当の意味で「財産」と呼べるものは、このような「誰にも奪えない財産」なのではないかと思います。価値のあるもので、確実にいつか奪われてしまうタイプの財産には他に「肩書き・役職・立場」の類があります。これは絶対にいつか他人に引き継がれます。この財産に依存して自分の人生の経済的・精神的な支柱を立てていると、これが失われたときのリスクが大きい。長年同じ企業や組織で働いた人が引退したあとに上手くセカンドキャリアが構築できないという話や、事務所のプッシュで露出していた芸能人が突然消えてしまうことも現象としては似ている気がします。これらのリスクは、誰にも奪えない財産を持っていることが抑えることができそうなのです。実際に、現役時代から趣味で農業に手を出しておいて、定年してから本腰を入れ、近所や親戚中に配っても食べきれないくらいの野菜を収穫して楽しんでいる人がいたり、テレビなどの大手メディアで見かけなくなっても、持ち前の能力や知識を活かして全く別のニッチな市場で大活躍している人がいたりします。

 では誰にも奪えない財産を積み立てるにはどうすれば良いのか考えてみたいと思います。まず、経済的にも精神的にも最も活用の幅を利かせそうな「能力」という財産を積み立てることを考えます。すぐに思いつくのは、語学や資格の学習をすることでしょうか。しかしこれは本業以外の時間に学習時間を捻出する必要があり、売り物になるレベルの能力を獲得するには中途半端な努力では話にならないという点で、かなりハードルが高そうです。やはり能力を身につけるのは、最も長い時間を強制的に捻出できる「本業の最中」が望ましい。となると、現在自分がこなしている仕事が「誰にも奪えない財産」の形成に繋がっているかを見直さなければなりません。社内規則のためのルーティン作業に毎日2時間必要なら、その部分は誰にも奪えない財産になっていなさそうだな、とか、業界一般で通用する能力を使っている時間(ITならプログラミング言語での開発で四苦八苦している時間、工場なら生産管理の全体最適化に頭を悩ませている時間、料理人ならキッチンに立って複数のメニューがピッタリのタイミングと温度で提供できるように汗をかいている時間、などなど。)があれば、その部分は自分に誰にも奪えない財産を積み立ててくれているな、とか。基本的には後者の時間が最大化するように本業を持っていく意識を持てばいいようです。

一方で、本業で誰にも奪えない財産に繋がる時間を最大化すると、自動的に本業中の自分への負荷も大きくなる傾向があります。能力を身に着けるというのは一定以上の負荷を要求します。辛くない筋トレで筋肉は付かないし、重力に逆らうときの負荷から逃げていては標高は上がらないので。本業に割く時間は長く、この時間に圧がかかりすぎると疲れてしまいます。よって、本業ではあえて「誰にも奪えない財産」なんて無視して楽に働けるポジションに自分を持っていくという割り切りも有りな気がします。本業の最大加圧に耐えられるのはそれが人生のメインプロジェクトの人だけで、実際にはプライベートや家族の問題があったり、他に打ち込みたいものがあったり、単純にそんなに賭けられるほど本業に関心がなかったりします。そっちのほうが多いはず。であれば本業でどれくらいの「誰にも奪えない財産」を獲得するのか、その加圧の調整は、その他の人生事とのバランスをみて行うのが吉でしょうか。

 しかし「能力」という誰にも奪えない財産は、本業以外でも獲得できます。ここまで文脈は、「誰にも奪えない財産が経済的に利するか」という立場になっていましたが、実は最初に書いたように、誰にも奪えない財産の本領はその交換価値にあるのではない。誰にも奪えない財産の本領は、その「幸福価値」にあるはずなのです。要するに「いったんお金に換えてからそれで別の幸せにつながる何かを買う」という、まどろっこしい二度手間を省き、直接幸福にアクセスできるというファストパス。そうなると先に否定された語学や資格の勉強もその輝きを取り戻します。好きな海外ドラマのセリフが聞き取れた、K-POPアーティストのインタビュー記事が原文で読めた、色彩検定の勉強をしてから広告やロゴの色遣いを見るのが楽しくなった、ワインの勉強をして料理との組み合わせ方がわかってきた、などなど。これでいい、いや、これがいい!このような能力を育てる余暇を最大化するために本業は割り切ってほどほどにするという選択は十分妥当に思えます。仕事は他人と協力しておこなうものであるゆえ、割り切りすぎて職場で迷惑を掛けたり悪印象を持たれたりするのは誰も幸せにならないので、与えられた責任範囲はしっかりやるというのは、もちろん必要ですが。

 こう考えてみると、楽しむための能力、幸せのための能力であれば、同じく誰にも奪えない財産の一角をなす「趣味趣向」の話にも繋げられます。好きなことがあるというのは、人生のおける最大の財産と言っても過言ではありません。自分の好きなものを自分でわかっているというのは、もはや美徳といっても差し支えないくらいの長所だと思います。こいつを増やし育ててやるのが、誰にも奪えない財形貯蓄。ここで僕が意識すべきと思っているのは、好きなものの種別を、能動系(アウトプット系)と受動系(インプット系)、インドア系とアウトドア系に分けることです。そしてこの系統の組みあわせでできる4象限にバランスよく「好き」を見つけておくこと(下掲図参考)。こうすることで身体的な健康や天候、居住地域、家族関係など、人生においてコントロールできない範囲で変化が生じる諸条件がどのように転んでも、常に何かしらの「好き」「楽しい」にありつけるというわけです。リスクは分散、卵は一つのカゴに盛るな的発想。(もちろん意図して何かを好きになることはできないので、無理にすることは一切ないのだけれど。)

 「能力」と「趣味趣向」の掛け合わせのような話になるのですが、何かを上達させる系の趣味は素晴らしいと思います。外国語が読めるようになるとか、楽器が弾けるようになるとか、昨日よりも長い距離を走れるとか。こういう類のものは全然お金が掛からないうえに楽しいし、楽しさの過程にそれなりの努力や苦しみがあるだけやりがいも付いてきます。他人と比べさえしなければ不幸せになる要素が全くありませんし、誰に奪われる心配もないわけです。そうそう、こういうのは絶対に他人と比べてはいけませんね。というか他人と比べている時点で褒められたい認められたいという感じがあるはずなので、もっと純粋に楽しめるものを見つけてもいいような。それはここに軽く書いているほど簡単なことではなく、だからこそ、それを見つけたら本物の財産といえるのです。見つけるためにできることはいろいろあるでしょうが、前提として、僕たちは「自分らしさ」なんて枠組みを固めすぎないように気を付けて、常に外向きに、様々なものに興味を持って、面白がりながら行動するという姿勢を持つのが良いと思います。哲学者のラッセルが『幸福論』でこんな話を書いていますし、僕が以前に挙げたプロポの「常に何かの初心者であること」にも少し通じます。とにかく何を始める、多くはすぐにやめてしまうけど、その中から不思議と続けてしまうものが出てきて、知れば知るほど楽しくなってきて、気づけば好きなことになっているということなんだと思います。このように積み重なる経験は、新しい「思い出」になり、豊かな「感性」になり、それらも「誰にも奪えない財産」になってくれます。

 誰にも奪えない財産、みなさんは他にどのようなものが思いつきますか?

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