とあるデザイナーの経験と再生
自己紹介ということで、私がこれまでどんなことをしてきたのか、ということをつづってみたいと思う。
人生にはポジティブなことばかり起きる…ハズもない。
人によっては不快に感じる部分もあるかもしれないが、ポジティブだったことも、ネガティブだったことも両方共私の人生といえるものだ。
過去に起きたことについては、私自身がいまだにフルオープンでお見せするべきなのか踏ん切りがついていない。また、固有名詞などを載せたくとも、すでに許可をとることもできない方もいる。
したがって、ぼやかして書く部分が多いことをご了承願いたい。
親子三代に渡る「職人気質」
私は回路設計士+プロダクトデザイナーだった父、やや大きな農家の娘だった母から生まれた。
父は東京生まれの東京育ち。
私も東京生まれで東京育ち。
「江戸っ子ですね!」とよく言われるが、定義としては違うらしい。
これは生前父も良く語っていたが以下のような条件が揃うと「江戸っ子」となるとのコトだ。
この中で私が持つ条件は、③のみだ。
祖父母の代で東京に移り住んだので、私は東京(江戸)で生まれて二代目となる。
私の子どもたちの代は②と③を満たしているので、私よりは江戸っ子といえるかもしれない。
父には二人の弟(つまり叔父)がいたそうだ。
父のすぐ下の弟は終戦後の栄養不足がたたり、幼い年で亡くなった。
2つ下の弟は、19歳の時アルバイト中の転落事故で亡くなった。
この叔父は漫画家をめざしていて、特に手塚治虫先生の大ファンで弟子入りしたかったという。
ある時たまたまツテで、手塚プロダクション(当時は虫プロダクション?)で手塚先生のマネージャーさんとお会いすることができたのだが、作品を見せたところ「キミの力では無理だ」と言われたそうだ。
転落事故はそれからさほど経っていない時期に起きたので、祖母は「弟子入りどころか門前払いだったのを苦にして…」と思っていたようだ。
それから数年後に私が生まれる。
私は小さいときから「モノ作り」に特化していたらしく、絵の具や粘土を与えておけばひたすら何かを作り続ける、という子どもだったそうだ。
父の教育方針なのか、流行のおもちゃは買い与えられなかった。
「オリジナリティが育たない」ということだったらしい。
そのため欲しいおもちゃは手に入らないので、粘土で宇宙戦艦ヤマトを真似て作って遊んでいた思い出がある。
父は世間一般のルールと、作り手としてのルールに厳しかった。
「結果がすべてだからな。途中経過は関係ねえんだ」
という固定概念は、未だに頭の中で父の声として再生されるくらい深い部分で植え付けられているようだ。
逆に母は、やや大きな農家で育ったせいか世間一般のルールとは少しズレていて、自分ルールが強いところがある。
母に似ていればもう少し人生は楽だったのかもしれないが、そうはならなかった。
妻も職人気質というよりは、義父が会社経営をしていたためか商人気質が強く「根気よく何かを作る」というのは苦手で、私とは性格が正反対なところがある。
私たちの子どもたちのうち、1人は私に気質がそっくりになり、もう1人は妻に気質がそっくりになっている。
少年期のころ
「下町は義理と人情の暖かい町」
というイメージが世間一般のものだろう。
それは半分正解で、半分不正解だ。
少なくとも子どもにとっての大人たちはそうだ。
町の子どもたちはある意味我が子と同じようにみる人が少なくない。
しかし子ども同士は違う。
「論理よりも力」そう、文化的な行動よりも体力的な行動が全てなのだ。
いや、それがまだスポーツなどで表現されるなら健全で良い。
だが実際は違う。
「暴力で自分の思う通りに支配する」
それが下町の学校でのルールだ。
時代が違うといえばそれまでだが、ケンカが強いモノが強者で、ケンカが弱く絵やモノを作る私などは弱者になってしまう。
またこの手の暴力的なモノは「自分が持たない能力を持つモノ」が気に入らず、弱者が目立つことが気に入らない。
私は、特性を伸ばす教育をされたためか、図工や美術で他の子たちより常に上を行っていたこともあり、コンクールで入賞することもあったため「悪目立ち」してしまった。
「弱いくせに生意気だ!」
あるアニメで聞くようなフレーズだが、まさにこのような理不尽なことをとても上手に表現したセリフだと思う。
描いた絵を破かれたこともあれば、突然殴られたり、高いところから突き落とされたり(大ケガはしなかった)、いわゆるイジメの典型的なことは一通りされた経験がある。
この経験は、小中学生の子どもの心にはかなり深い傷跡を残す。
「前に出ると叩かれる」という経験は多少は必要だが、過剰に受けてしまうと人前にでることに躊躇するようになってしまうのだ。
そのような学校生活をしてきた身としては、現在の学校や政治家たちがいう「個性を尊重して、多様性のある社会を構築しよう」というスローガンを聞くとシニカルになってしまうようだ。
専門学校のころ
小中学校はある意味苦行だったが、高校はその後も長く付き合う友人ができ、比較的平穏だった。
また、高校時代は自分の将来の方向性がやや定まってきて、美大受験をするために本格的な美術の勉強を始めたが、結果は失敗だった。
美大受験に失敗し、専門学校に入学することを選んだ私は、父には反対されたもののグラフィックデザイン科への進学を決めた。
父は「良いモノが作れれば食いっぱぐれはない」という職人の典型的な思考性をもっていた。
だからグラフィックという「宣伝・広告」的なものより、プロダクトという「実体のある製品」を作ることを望んでいたのだ。
振り返ってみれば甘えていたのだと思う。
何をかといえば、グラフィックのことは学校で学び、プロダクトについては父とその友人のデザイナーから習えば良い、と思っていたのだ。
その考えは父の突然死によって一変する。
父の遺産でかろうじて学校は卒業までなんとかなるということになったが、そこで私の中にできたのは焦燥感という《ヤケド》だった。
「早く仕事ができるようになりたい」
「デザイナー+イラストレーターとして成功したい」
そのような《ヤケド》が私の思考のすべてとなっていた。
会社員のころ
採用面接時にアド・ウェイブ(仮)の社長と専務の二人に作品を褒められ、採用通知をもらったときは、とてもうれしく思った。
しかし、実際のあてがわれた仕事はトラフィックで、デザインの仕事どころか、デザイン用具にも触らせてもらえない状態だった。
※トラフィックも大事な仕事であるということは理解はしている。
「このままトラフィックを続けたら、お前はデザイナーになれない」
私の《ヤケド》はさらにこのように煽ってくるようになった。
折しも学生時代にアルバイトをしていたアライブ(仮)からオファーがかかっていたこともあり、私はアド・ウェイブを辞めた。
アライブ移ったあとのデザインの仕事は、私の上に指導できる先輩デザイナーがいなかったため、すべてが手探り状態だった。
しかし、少なくとも「求められてここにいる」という存在意義はとても大きかった。
アドビのイラストレーターやフォトショップなどを使い始めたのもこの頃。
この2つのソフトは私の中で最も長く使い続けているソフトとなっている。
しかし、その後数年たったころ、アライブは業績不振により事業を縮小することになった。
「辞めるか?それとも給料は下がるが残るか?」
とアライブ社長に問われ、もともとフリーになる考えもあった私は辞めることを選択した。
嘱託デザイナーのころ
アライブは辞めたが、若手のデザイナーが唐突に仕事が取れるわけはない。どうするか途方にくれていたところ、アライブ時代にお世話になっていた印刷会社の石山(仮)さんから連絡が入る。
「セッジ君、友人のデザイン事務所に行ってみない?」
そのデザイン事務所が梅木デザイン室(仮名)だった。
聞けばこのデザイン室の室長こと梅木さんは、これからはデジタルデザイン、デスクトップパブリッシング(DTP)が主流になると予感していた。
しかしご自身はコンピューターがわからない。
そこで石山さんに相談したところ、ちょうど良い人物として私を紹介したという。
また、石山さんは当時印刷を請け負っていた大手ゼネコン会社にも私を紹介してくれた。
ここでは社内報のデジタル化を進めるために、全体の制作管理と使い方を教えてくれる人を探していたとのことだった。
こうしてここから2年ほど、週の半分は梅木デザイン室、残りの半分はゼネコン会社で過ごすという形で嘱託社員となった。
フリーランスになったころ
契約期間の2年が過ぎ、契約の更新はないということで、ここからは完全にフリーになることになった。
しかし、相変わらず仕事を取ることは上手くない。
そんな時、あるパーティであるMac情報誌の編集長と再会した。
再会というのも、実は編集長とは梅木デザイン室にいた頃に、DTPの現場ということで取材を受けていたことがあったためだ。
それもあって、フリーになったことを伝えたところ、雑誌に掲載するイラストの案件を回してくれることになった。
そこからしばらくこの出版社が刊行するものに、イラストレーターとしても、ライターとしても諸々関わるようになった。
デジタルデザインの事が書けるライターということで、それ以外の出版社でもいくつか記事を書かせていただいていた。
また、この当時のMacユーザーの間では有名だった3DCGソフトを使っていたことから、このソフトの開発元とも知り合うことになった。
これによりユーザー会を催したり、セミナーに登壇させていただいたり、とこのときはやや私の名前は知られていたと思われる。
しばらしくしてその3DCGソフトはあまり知られなくなり、それと同じように私の名前も埋もれていった。
結婚したのもこの頃だ。
実は結婚して3年ほど経ったときに最初の子を授かったが、この子は死産となってしまった。
ここから立ち直るのにはかなり時間がかかった。
ひょっとしたら今も実は立ち直っていないのかもしれない。
講師になったころ
専門学校講師になったのは、正確にいえば名前が知られてきたころであるしフリーランスであることを辞めたわけではないので、区切りとしては正直難しい。
取引先と見たときの学校は、これまでの人生の中ではもっとも長い取引先と言えるだろう。
他の取引先は10年もたてば徐々に取引が無くなるか、そもそも会社自体が無くなっていることもある。
アライブにしても、石山印刷にしても、すでに存在しないが、学校はそう簡単には無くなったりはしない。
きっかけは恩師であるK師匠が、私を紹介してくれたことだ。
K師匠は学生時代の私を指導している時に私が父を亡くしていることから、相当衝撃的な記憶となったらしく今も気にかけてくれている。
それから長く講師を続けてきて、教えた生徒をざっと合計してみたところ、すでに1000人を超えていた。
映像の世界に戻ったころ
グラフィックデザイナーは普通はあまり映像系の案件を請けることはない。
そもそもが紙ベースの、静止したメディアを作ることが多いからだ。
私の場合はそもそもアライブでやっていたことが、グラフィックデザインの他に映像用の美術素材やCGを作る、ということだったので、深くは無いものの映像系の知識もあった。
あるきっかけで教育番組のCGを作っている人と知り合い、そこから数年教育番組系のCGを作ることになった。
このCGを作るにあたり、3dsmaxをという3DCGソフトを使うことになり、長く使ってきたMacからWindowsをメインPCとすることになる。
理由としてはこのソフトがWindowsでしか動かないからだ。
こういう仕事は一度始めると続くもので、それ以外にもTVアニメや、TV番組のCGなど、いろいろと経験した。
特にTV番組のCGは健康系バラエティだったこともあり、ピロリ菌が胃壁を破壊する様子、悪玉コレステロールが血管に取り付き動脈硬化になる様子など、こういったことについてやや詳しくなってしまった。
最近の映像案件としてはiOSやアンドロイドアプリのアニメビーンズにて、「もしもし、てるみです。」の第9話と第11話を担当させていただいた。
1話1分程度のアニメ(モーションコミック)なので、ぜひご覧頂きたい。
ブログを始めた現在
TV番組の仕事もいまは少し取引先に諸事情があり、あまり発生しなくなってしまった。
3DCGも制作しなくなると、どんどん腕が鈍ってくるものだが、一つだけ錆びつかないものがあった。
二次元だろうと三次元だろうと、どんなソフトを使っていても必ず使うことになるソフト。
それがイラストレーターとフォトショップだ。
これらの使い方をブログで紹介したら需要があるのではないかと思ったのがブログを始めたきっかけだった。
フォトショップの使い方はかなり多く見つかるが、以外なことにイラストレーターの使い方はフォトショップに比べると多くなかった。
そこで、イラストレーターは私にとっては一番最初に使い始めたグラフィックソフトであるし、最も長い期間使っているソフトでもある。
そのためブログでもっとも力を入れているコンテンツとなった。
こうして現在に至る。
ブログをやっている理由を聞かれれば、悪く言えば「最後のあがき」かもしれないが、良く言えば「これまでの経験を総括して再生する」ということかもしれない。
講師を初めて以来、生徒たちが最初はイヤイヤやっていても、あるところで理解できて楽しくなってきたり、自分の中に思っても見ない能力を発見して驚いたりと、そういう成長を見るのも一つの楽しみになっている。
そう、私は教えるということも好きな行為なのだ。
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最後までご覧いただきありがとうございました。
とあるデザイナー、つまり私セッジがこれまでの人生で経験してきた大まかなことをまとめてみました。
グラフィックデザイン、イラスト、アニメ制作などを行ってきましたので、何かお手伝いできることがありましたら、お声がけください。
教えることが好き、ということは私の特性の一つでもあります。
そのため、こういったnoteでもそのあたりのお手伝いができるのではないかと考えまして、動画講座を公開・販売しています。
「ゼロから学べるイラストレーター&フォトショップ初心者講座」
です。
よろしければご覧いただければさいわいです。
また、オンラインで誰かに教えたい、
と思うようになったきっかけとなったお話「誰かをアシストするデザイナー」など自己紹介的な過去のお話をまとめたものもございますので、よろしければご覧ください。
最後に、セッジが運営するブログ、セッジデザインもよろしくお願いいたします。イラストレーターの使い方を始め、アフターエフェクト、デザインの情報を公開しております。
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