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私とラジオと伊集院光と

私はラジオが好きだ。
中学生の頃から深夜ラジオにハマり、ラジオから離れた時期もあったが、私が勤務していた出版社は社内にJ-WAVEが流れていた。そこで“BGMになるおしゃれラジオ”としてのFMラジオを知った。
フリーランスになってからは在宅作業が多いので、昼過ぎから夜までラジオをつけておくが多い。radikoが登場してからというもの、出かけるときは大体スマホでラジオを聴いている。

その時代、その時代でハマっている番組がある。
『三宅裕司のヤングパラダイス』
『前田日明 あきらめんじゃねェ!』
『安斎肇とみうらじゅんのTR2 Tuesday』
『WANTED!火曜日バナナマン』
『GROOVE LINE』
『たまむすび』
などなど……

しかし確実に自分が「ラジオにハマった」と思えたのは、伊集院光のラジオを聴いたときなのは間違いない。
前記した『三宅裕司のヤングパラダイス』(以下ヤンパラ)は、ニッポン放送で平日夜に放送していた帯番組だ。中学生の頃、親の目を盗んで『11PM』を見ることもあったが、基本的には自室で勉強をするフリをしてラジオを聴くことが多かった私にとっては完全に“夜のお供”だった。
すっかりこの時間帯にラジオを聴くことが習慣になり、『ヤンパラ』→『内海ゆたおの夜はドッカーン!』→『伊集院光のOh!デカナイト』(以下オーデカ)と、長年に渡りニッポン放送を聴き続けた。

オーデカにハマったと言えるのは、ハガキにネタを書いて投稿したことがあるからだ。
さすがにハガキ職人になるほど投稿はしていなかったが、何通かネタを送った記憶はある。そしてどんなネタだったかはすっかり忘れてしまったが、伊集院さんにネタを読まれたことがある。その結果、ノベルティであるテレフォンカードが送られてきた。ノベルティがテレカというところに時代を感じるが、昨今の定番ノベルティであるステッカーと比べると、ラジオも予算があったんだなぁとしみじみしてしまう。

ちなみにこのノベルティのテレカは“育ての親カード”と言われ、当時「このカードを持っている人は将来伊集院が売れたら、『俺が伊集院を育てた』と言っていい」という触れ込みだった。それから数十年後、伊集院さんは本当に売れたわけだが……。
そういえば数年前、私は伊集院さんと一緒に仕事をする機会があった。
普段はそんなことしないが、何せ子供の頃から聴いていたあの伊集院光と一緒になる機会なんて一生に一度かもしれないと思い、仕事終わりにこの“育ての親カード”を差し出して「サインをいただけますか?」とお願いした。
そのときの伊集院さんは「ずいぶん懐かしいもの持ってるね」と笑顔で言ってサインをしてくれたのだが、このサイン入り“育ての親カード”は私が死んだときに棺桶の中に入れてほしいものランキングで上位に入るだろう。

話はオーデカに戻るが、当時の深夜ラジオでは定番アイテムだった“番組本”も買った。『Oh!デカ大百科』という本で、実はその後、私は『PRIDE大百科』や『闘龍門大百科』といったムック本を制作したのだが、実はこの『Oh!デカ大百科』が“大百科”の元ネタだったりする。
さらにこの『Oh!デカ大百科』には“Oh!デカ裏百科”なるものも存在している。裏百科は非売品で、番組イベントで配布されたものだ。この裏本を受け取るためにニッポン放送まで行ったのをうっすら覚えている。
ちなみにこの『Oh!デカ大百科』は1993年発行。もう29年前の本だが、『裏百科』ともどもいまでも大切に保管している。それだけ私にとっては思い出深い番組だったのだ。

オーデカをやっていた頃、伊集院光のことは正直何者なのかはよく分からなかったのだが、とにかく話が面白かった印象だ。当時伊集院さんは自分の肩書きを「ギャグオペラ歌手」と言っていたのだが、声も聞き心地がいいし、“ARAKAWA RAP BROTHERS”の曲を聴いたときは「さすがは本業がオペラ歌手だけあって歌うまいなぁ」とか思った記憶がある。私も純粋だったものだ。
ちなみにARAKAWA RAP BROTHERSとは伊集院さんが番組内のネタとして、TM NETWORKのサポートメンバーだった久保こーじと結成したラップグループだ。いまでこそKICK THE CAN CREWとかCreepy Nutsとかを好きで聴いているが、私の中でのラップの原点はRHYMESTERでもスチャダラパーでもなくARAKAWA RAP BROTHERSだったのかもしれない。
単にモノが捨てられないというか、物持ちがいいだけかもしれないが、ARAKAWA RAP BROTHERSの最初で最後のミニアルバムもいまだに持っているし、たまに聴いている。いまでも大好きなアルバムだ。

多感な思春期時代、いろいろとモヤモヤして眠れない日があったり、イライラする毎日を繰り返していたが、あの頃部屋でこっそり聴いているラジオから流れてくる伊集院光の声やトークに何らかの影響を受け、何かしら支えられたのは間違いない。
その後、伊集院さんのラジオを聴かなくなった時代もあるし、TBSラジオに場所を移して『深夜の馬鹿力』を聴くようになった時代もある。今年46歳になる私にとって、今年55歳になる伊集院さんはまさしく頼れる兄貴分だ。笑かしてくれたり、聴いているほうがヒヤヒヤするような毒は吐いたり、エロい話をしてくれたり、一人っ子の私にとってはいろいろなことを教えてくれた“声だけの兄貴”なのだ。

そんな伊集院さんが数年前から午前中にラジオの帯番組を始めた。初期の頃こそよく聴いていたが、午前中にラジオを聴くという習慣がまだない上に、“深夜モードの伊集院”ではない“昼モードの伊集院”にしっくりこなかった私は、その後伊集院さんの昼のラジオを聴かなくなってしまった。
だが、年を重ねるにつれじんわりと朝、起きる時間が早くなってきて、深夜まで起きているのがしんどくなってきた。あと何年かかるかは分からないが、いずれは朝方人間になって、午前中からラジオを聴くのが習慣化していく気がしている。
そのときに思春期の頃から声を聴いていた伊集院兄貴の番組があるというのは、私にとって年を重ねる楽しみのひとつだった。

しかし残念ながら私が年を重ね、午前中からラジオを聴く習慣を得る前に伊集院さんの午前中の番組が終わってしまう。パワハラがあったのかとか、上層部と確執があるとか“内情”は分からないが、伊集院さんのラジオを長年聴いているリスナーなら、伊集院さんがラジオを大切にし、番組作りに妥協しないことは知っている。若いADからしたら、そういうのが面倒くさいと思う気持ちも分からないでもないし、いまの時代はパワハラだと言われても仕方がないのかもしれない。いや、実際どうだったのかは知らんけど。
でも私のように伊集院さんのラジオに多大なる影響を受けた人って多いと思う。伊集院さんが元気で、ラジオでしゃべりたいことがあるのなら、きっと“その場”は何らかの形で用意される気がする。伊集院さんとしても何らかの考えがあって午前中の帯番組を引き受けたのだろう。志半ばでの降板だと思うので、いずれまたこういう年齢やキャリアに合ったラジオをやってくれる気がする。

いまの私は高校生や専門学生の頃と同じで、たまたま“伊集院ラジオから離れている期”だが、巡り巡って恐らくまた数年後には伊集院ラジオに戻るときが来る。そのとき聴くのは『深夜の馬鹿力』ではない気がする。たぶん昼モードの伊集院さんの番組だろう。どこの局でも、何の媒体でもいいので、そういう番組を伊集院さんがやっていることを切に願う。

最後に。そんなラジオ好きな私ですが、数年前からプロレスラーの佐藤光留と『ハードヒット 死なば諸共』という“深夜ラジオみたいなネット番組”を、ニコニコプロレスチャンネルにて月イチでやっています。
プロレスとラジオが好きな二人で深夜に3時間生放送していますので、ご興味のある方はぜひご覧ください。というね。


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