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「そばにいる人」の話

second placeの佐藤です。
どうぞよろしくお願いします。

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先日都内を移動中に、とある焼肉店の前を通りかかったのですが、そのお店の閉店案内が掲示されていました。その時ふと、学生時代にこのお店を訪れたときのことを思い出しました。

私は学生時代とあるスポーツに熱中していたわけですが、卒業後の進路先として、多くの学生選手たちが実業団チームから入社の勧誘をいただく流れがありました。大変ありがたいことに私もお声がけをいただいたのですが、そのお話をさせていただいたのがこの焼肉店だったということで、なかなか経験させていただけない貴重な体験として記憶していました。

お話の中で、将来の進路についてどのように考えているのかなど、いろいろと質問を受けながら、「大学の試合を観させてもらったけど、選手としてこの部分が素晴らしい、さすが国際試合を経験しているだけあるね」などなど…とにかくほめていただいた印象があります。

学生の立場ではなかなか行くことができない素敵な焼肉店で、美味しい焼肉をご馳走していただきながら、とにかくほめてもらい、帰るときはタクシー券とともに(時代を感じますね…)ご用意いただいたタクシーに乗せていただく…。

当時の私は悪い気になるわけもなく、とても気分が良くなり、自己評価が過大になり、「あのプレーは自分の強みとして認識しています」など、的外れな?発言をきっと連発していたかと思います。

一方で、こうした恥ずかしい記憶とは別に、もうひとつ覚えているのが、当時心の片隅に感じていた「違和感」のようなものです。それはおそらく、スポーツに熱中している私をほんの一部分として捉え、ひとりの人間としての私を見て、いつも信じられないほど?厳しいアドバイスをしてくれていた私の周りの方々が、当時の私を見て何を思うか、という疑問に基づくものだったと感じています。

「何か勘違いしていませんか?」「調子に乗っていませんか?」「そんな姿勢なら誰も応援してくれないでしょうね。」
間違いなくこのような厳しいアドバイスをいただくことになるだろうな(笑)と、身が引き締まる思いになったことを鮮明に覚えています。そうです、「そばにいる人」に、何度も何度も救われてきただけなのです。

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社会人として今も強く感じるのは、物事に熱中しているとき、結果が出ているときは、どうしても気持ちが高まり、視野がせまくなってしまい、偏った考えに固執してしまい、アドバイスに耳を傾けなくなってしまう、ということです。

そのようなとき、同じ業界よりは異なる業界にいて、深いつながりよりは薄いつながりの関係性の人が、耳が痛いアドバイスをくれる、何より勘違いをしている本人でさえ「あの人の話は聞いておこう」と思える、そんな「そばにいる人」がいることはとても貴重で、ありがたいことなんだと確信しています。

どこか自分がフワフワしてしまっていると感じるとき、あるいはとても疲れを感じているときなどには、これからも「そばにいる人」に連絡をさせていただき、たくさんの耳が痛いアドバイスをいただこうと思っています。

second place 佐藤

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