うつ病が変える人格と判断基準
こんにちわ。今日は一日雨なんでしょうかね。
わたしがうつ病と診断されてから、早いものでもう3ヶ月ぐらいになります。正直に話しますと、今日のような天候ですと、一日中気分が落ち込み、ベッドから出たくないという欲がふつふつと湧き上がってきます。
しかし、うつ病から早く回復するためにも、休日だろうと朝しっかり起き、しっかりと体操をして、そして本を読んだり、子供の相手をしたり、こうして文章を書くことや、何か新しいことにチャレンジするよう心がけています。
そこで、今回はうつ病が変える人格と判断基準について、お話したいと思います。
1.人格の変化
人格の変化は、わたしの場合、うつ病と診断される前に、既に兆候はありました。わたしはどちらかと言うと、議論が好きな平和主義者でした。基本的に争い事は好みませんが、きちんと論理立てて物事を解決に導く、いわゆる正論マンでした。
以前、わたしは上記の記事を書きました。
父である先代社長に、経営のいろはを教わるどころか、対立、冷戦状態でした。当時わたしは経営も人事も経理も営業も、全て丸投げ状態のまま、裸一貫で勝負の舞台にあがるしかありませんでした。
しかも、当時仕事はとてつもない受注数で、毎日のように納期、納期、納期と電話で問い詰められ、かなりしんどかった記憶があります。
ですが、それはそれで充実していました。未経験ながらも、うまく業界の波に乗れている、うまく会社をコントロールし、従業員との意思疎通もできている、大丈夫だ、と自身に言い聞かせていました。
ですが、消費増税決定以後、急速に受注数が減少、仕事が忙しく残業続きの中頑張ってくれていた従業員の数名を整理解雇せざるを得なくなってきました。追い打ちをかけるように、役員からの売上減少の責を問われ、従業員からも休業手当の支給や賃金の引き上げを求められ、わたしは「生きているのが辛い、死ねば楽になる」という考えが頭について離れなくなりました。
今、思うと本当にわたしはこの世にいなかったかもしれません。当時は本当に「死ぬこと」についてしか考えていませんでした。
紆余曲折あり、メンタルクリニックで「中度のうつ病」と診断され、薬を処方してもらったとき、改めて「あぁ、病気だったんだ」という安堵感を感じたのを今でも鮮明に覚えています。
話を戻しまして、「人格がどう変わったのか」についてお話します。
まず、元来、議論好きだったのが議論を避けるようになりました。話し合おう、などと相談や議論を持ちかけられても、任せる、とか、どうぞお好きなように、という反応しかできなくなりました。
次に、平和主義なのは「性善説」に基づいての平和主義だったのですが、うつ病をきっかけに、他人は常に誰かを攻撃したがっている、と思うようになりました。つまり、自分以外は皆、隙きあらば、相手の弱点を突き、論破し、勝利宣言を行いたい。という欲求の元、生きているんだ。と思うようになりました。
2.判断基準の変化
うつ病になって、一番変化したのは「判断基準」です。
今まで、「会社のため」「従業員のため」「社会のため」といった、倫理的判断を重要視していたのが、
「自分のため」「家族(妻と子)のため」にしか興味がない、自己中心的価値基準に変化していきました。(※多少コロナウイルスの影響もあると思います。)
今、まさにわたしはこの状態にあり、正直なところ、他者からどう見られようと、自分と家族さえ無事なら、他人類全滅しても構わないとまで思ってます。
先日、わたしの叔父にあたる方が亡くなられたのですが、悲しいという感情は一切なく、「そっか。長い闘病生活、ご苦労さまでした。」としか思えなかったのです。
人の心を失った、と言われればそれまでですが、うつ病をきっかけに他人の感情を配慮する余裕がなくなっているのかもしれません。
今の世の中の状態を俯瞰して見ると、実はうつ病を発症されてる方がかなり多いのかもしれません。わたしは3回か4回ぐらい薬を変えてもらいながら、現状はこうやって文章を書くぐらいまで回復しつつありますが、自分に合った薬かそうでないかは、薬が作用するメカニズムとして未だによく分かってないそうです。
思い当たる節がある方は一度メンタルクリニックを受診されてみることをおすすめ致します。その先生にもよりますが、基本的にうまく言語化できなくても、症状を見てくださるお医者さまはいらっしゃいますので、一度ダメな先生に当たったから、とめげずに何度か受診されることをおすすめいたします。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
うつ病への偏見や誤解がない世界になって、うつ病という病気が世界から根絶されることを心から祈って終わります。ありがとうございました。