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おはようございます。

#KENMAYA  です。

先日大変残念なニュースがありました。

東海大野球部の数名の部員が違法薬物の使用を認め、警察の取り調べを受けているというニュースでした。

それを受け、大学側は野球部の無期限の活動休止、及びリーグ戦や公式試合の出場停止を決定しました。

上記の記事は、違法薬物を使用していない部員までもが「連帯責任」を負うのはいかがなものか、という元メジャーリーグ投手でもある上原浩治さんによる記事です。


1.世論


このニュースを受けて、世論の反応は二分されています。

「連帯責任は当然」とするもの。

「無関係の他部員まで巻き込む連帯責任などおかしい」とするもの。

わたしはどちらの言い分も分かります。

体育会という上下関係の厳しい世界、そして野球自体がチーム一丸とならなければ、良い結果を出すことは難しいチーム競技であるという側面があり、
その和を乱す不届き者だけを罰しても、第二第三の問題を起こす可能性があることへの戒め、そして当事者である不届き者に対して、
「おまえのせいで全員が苦しむのだ」という罪を犯したことへの罪悪感の植え付け、そして「自分のバカのせいで皆が苦しむのだ」という自責、それから、「二度と過ちは犯さない」という自戒として「連帯責任」を是とする人たちがいます。

一方、大学生ともなった「善悪の判断のつく大人」が犯した犯罪行為は「個」の責任問題であり、「連帯責任」として、犯罪とは無縁な前途ある有望な他の部員たちまで巻き込むのは、いかがなものか。
「連帯責任」はあまりにも非情ではないか。というものです。


2.わたしの考え


まず、わたしは野球部という組織に属したことはないので、
あくまで野球未経験者の元経営者としてのポジショントークになります。
あらかじめご承知おきください。

わたしは「連帯責任ありき」については「反対」です。

「連帯責任」の前に「顧問」や「コーチ」、つまり部員の上司たちの処罰が先です。いわゆる「管理監督責任」です。

まず「管理監督責任」をきっちり追求すべきである、と考えます。
その上で、「第二の管理監督責任者」である寮長や主将クラスが犯罪に加担、もしくは隠蔽をしているのであれば、そこではじめて「連帯責任」に言及すべきことであり、その事実の開示のない状態での「連帯責任」には道理が伴っていません。

組織論において、「信賞必罰」の原則は捻じ曲げてはいけません。
人は褒め育て、叱るべきは叱ることで成長するのです。


3.連帯保証人


一社会人としてどこかの企業に入社して働いていたとしても、住宅ローンや車のローン、銀行からの融資などでは「連帯保証人」の欄がありますよね。

わたしは以前よりこれに疑問を持っています。

お金(クレジット)とは、信用であり、該当する人物に信用がなければ、お金は貸せないし、借りられないのです。
しかし、海外では「連帯保証人」制度のある国はほとんどありません。

日本では融資対象となる「人」を見て、信用度を測ります。
海外では融資対象は人ではなく、その人の持つ「資産」を見て信用度を測ります。これは「ノンリコースローン」と呼ばれるもので、
簡潔に言うと、貸す側はその人の所有する土地、建物、ビジネスなどを担保にお金を貸します。

もっと噛み砕いて対比しますと、

日本で、年収400万の30歳独身者が4000万の戸建てを買うとしましょう。
定年65歳として、35年ローンを組みます。毎月の支払いは、単純計算で約9万6千円となります。年額にすると、115万2千円です。
しかし、60歳で大病が分かり、早期リタイアを余儀なくされると、債務が残ります。残り5年分の債務は576万です。
払うことのできない人は住宅を手放すことにしましたが、評価額は500万でした。そうすると単純にその人は76万の借金が残ります。
これを返すアテがなければ、連帯保証人に76万の請求が来るのが日本です。

海外では同様のケースの場合、まず連帯保証人はいません。
そして、金融機関はその土地と建物自体に投資をしているので、返済の支払責任範囲が担保が上限でそれ以上は求めません。(土地と建物を金融機関に返せば借金はチャラ)
つまり債務の76万は金融機関が負うことになります。

この連帯保証人制度は金融機関を守るためでもありますが、
それ以上に「連帯責任」を重視している日本社会の構図そのものでもあります。


4.人と足並みを揃えることがそんなに重要か


日本はよく縦割り行政や、出る杭は打たれるだとか、とかく周囲の人と同じ行動を取るのが美徳、暗黙の了解とされてきています。

グローバル化が進み、特にこのコロナ禍では、日本人ならではの良さも浮き彫りになってはいますが、「連帯責任」という考え方そのものは余りに前近代的ではありませんか。

「個」の時代の到来で、相互扶助を徹底的に排し、利己主義に傾注しすぎるのも危険思想だとは思いますが、
では、実際わたしたちは何のために生きているのでしょうか。

「誰かの役に立ちたい」
「社会の役に立ちたい」
「大切な人を守りたい」

そういった「豊かに生きるための目標」を失ってしまっては、人間はただの動物です。「他責」に頼る生き方ではなく、「自立」した明確な目標を目指す生き方を全うしたい、わたし自身が自戒を込めて書き記しておきます。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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