見出し画像

Twitterが死んでるようなので、おはツイがてら「池袋暴走死傷事件」について。

おはようございます。

#KENMAYA です。

本日10月16日金曜、都内は曇り
1793年同日、マリー・アントワネットが処刑された日でもあります。

大衆の民意によって公開処刑された彼女は、本質的に悪人だったのか、
現代のSNSでのネットリンチにも似た感覚を受けます。

本日もよろしくお願いします。


さて、今日は、2019年4月、東京・池袋で高齢者の運転する車が突然暴走して2人が死亡、9人が重軽傷を負った事故の初公判が2020年10月8日、東京地裁で開かれ、自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)罪に問われた旧通産省工業技術院の元院長、飯塚幸三被告(89歳)が起訴内容を否認し、弁護人も無罪を主張したことが波紋を呼んでいることについてお話したいと思います。


1.「上級国民」


この事件において必ずセットで運用されるこの「上級国民」という言葉。

元々、特権階級を意味し、庶民とは異なる扱いを受ける、もしくは庶民を見下すような発言や態度をする富裕層に対する、庶民の苛立ちを表したスラングとも言えます。

そしてSNS上でも冷静な声は見受けられるものの、大半は飯塚被告に対する個人攻撃、や誹謗中傷、その家族や身内への攻撃も見受けられます。
それは取りも直さず、公判で自分の過ちを反省することなく、車の故障を主張したことに端を発しているからに他なりません。

ですが、日本は法治国家です。三権分立によって司法は独立性が保証されていなければならず、ここに忖度や民意によって判決内容が動くようでは、司法制度、引いては法治国家そのものの危機です。

ネットで私刑を行っても、逆に飯塚被告に既に「社会的制裁」を受けている、という口実を与えることにもなりかねないので、SNSでの発言は慎重に行って欲しいものです。


2.不景気での格差拡大


着実に不景気が進行している中、富裕層は庶民を苛立たせます。

いくら庶民派を気取っていても明らかな生活レベルに差が見えてくるからです。また富裕層も攻撃的な庶民を毛嫌いするようになります。

本質的に博愛に満ちた慈善活動家以外の富裕層は「自分が努力をして手に入れた地位や名誉、資産であり、なぜ、大した努力もしてない人間に再分配しなくてはならないのか。」という考えを持っている人がほとんどです。

これは確かに資本主義社会において当然のことであり、競争原理が働いているからこそ、自由で開かれた市場を維持できるのです。


3.嫉妬?


飯塚被告がネット上において過度に叩かれているのは「庶民の嫉妬」と評した精神科医がおり、これまた叩かれていましたが、わたしは半分同意で半分違うと思っています。

もちろん「上級国民」に対する不満の大半は、「嫉妬」が原動力であることは明らかです。しかし、今回の件については、「嫉妬」よりも飯塚被告及び公権力の「不誠実な態度」に対する「正義感から来る怒り」によるところが大きいと感じます。

例えポーズだったとしても、被害者に心から詫び、自省の態度を見せていれば、ここまで叩かれることはなかったのではないでしょうか。
例えどんな理由があったにせよ、人をあやめているのです。その事実を認め、心から反省の弁を述べていれば、別の道も開かれていたはずです。


4.社会をとりまく憎悪


前項で述べた、「嫉妬」から来る憎悪は、人が動く原動力として最も扱いやすく、逆に言うと最も扇動しやすい感情です。

戦時中にもよく用いられる方法ですが、政府や軍、マスコミによるプロパガンダによって敵を悪魔や悪魔崇拝者、倒さねばならぬ卑劣で醜悪な絶対悪として描きます。

つまり、目に見える形で憎悪が膨らんでいる今、何者かによって国民が憎悪を抱くよう、扇動を受けている可能性を否定できません。庶民が「上級国民」に対して憎悪を抱くことで、「得をする」人たちは誰でしょう?
もしくは、庶民が「上級国民」に怒ってる間に、目をそらさせておきたい何かが起きようとしているのかもしれません。

ただ、多数派の意見に流されるだけじゃないよう、扇動者が誰で、何が目的なのか見極められるようにしておきたいものです。


5.最後に


Twitterで「おはよう」を言えないことがこんなにも辛いとは…。

なんか今日一日のやる気を削がれた感じです。
やはり習慣化とは優れた物なのですね。痛感しています。

人間は生きている以上、様々な感情を持つ生き物です。
その感情が自発的なものなのか、他人に扇動されたものなのか。

まずは自分を顧みてよく考えてみましょう。


ここまで読んで頂きありがとうございました。

👇 よかったらチャンネル登録・高評価お願いします。


サポートは不要です