見出し画像

その辺にいるフツーのWebエンジニアの11年間

技術者として働いて11年が経ちました。11年目の春はコロナで最悪な幕開け。恐らく皆さんにとってもそうでしょう。エンジニアの実力なんか経過年数で計れませんが、今まで11年続いた仕事はないので、振り返ってみたいっす。

2年目までは画面やパーツの作成

画面作成は大抵システム化されてましたが、バナーの製作までは自動化されていないのと、システムも一部htmlだのcssだの使わないといけなかったので、Adobeのツールの使い方や画面作成の方法、デザインの基礎理論を覚えました。退職する頃には、広告代理店のWebデザイナーの内定とWeb制作会社のWebデザイナーの内定が取れるくらいになってました。切り抜きは当時マジで早かったのと、ie6対応が上手でした。デザインはさほどですが、要求が上手ければそれなりの形にはできました。あと、ぼちぼち顧客対応ができました。昔から広く浅くです。

2-7年目はエンジニア、SEとして

結局、ソフトウェアハウスに転職して転職先では前職より時間ができたので、覚えたかったプログラムを勉強しました。言語はphpでした。ある時、会社でphp勉強してるよ!と言ったら沢山仕事を要件決めからやらせて貰えたので今に生きてると思います。案件やってるとサーバ関連の知見が切っても切れず、linuxやサーバについて覚えました。あとjavascript。プログラム領域にまで知見が広がり、ほんとに広く浅くになりました。小規模案件に飽きたのと、ワンオペが寂しくなったので、前から誘われてた会社に入ることにしました。我流で身につけた知見は標準化に重きを置く複雑なシステムを扱う開発現場であまり役に立たないので、自分の知見を見直して、いちからまた身につけていきました。ただ、会社に自分の肌が合わず辞めることにしましたが、取締役まで辞めると言った日に引き止めにきたことや、会社で満足のいく仕事ができるように環境整えてくれるとのことだったので、残ることにしました。

8-10年目はマネージャーとして

リーダー、マネージャーと経験することができました。さっきの話から7年目の最後くらいから現場には行かず、社内開発の受注を取るところから始めました。現場行ってるグループメンバー管理をしながら、社内の取り組みもやりながら。もちろん受託もやりながら。社内への提案、採用面接、なんか多忙でした。ただ、頑張りが認められ、社内のメンバーを増やしてもらうことができ、マネージャーの職位と、最大5人のチームを組織できました。職位の持つ強さや、メンバーからの見られ方、人材の効率の良い運用など、開発技術以外に学べたことの方が印象に残ってます。ある程度、チームが自分抜きで回るようになったことと、会社の目標と自己実現に乖離があることで、モチベーションの維持ができなくなったので、エイヤーと退職しました。

11年目は個人事業主として

そんなこんなで独立しました。自信があるからでは決してありません。自分に合う会社がこの世に存在しないのでそうしました。前職の縁で頂いたお仕事をぼちぼちとやりながら、今はこのコロナ禍を過ごしてます。いろんな人と出会って、刺激受けて、やる気になれたから今があります。11年振り返って思うことは、出会いが努力に繋がってるので出会いって大事だなと思いました。こらからも技術でご飯食べられるように頑張っていきたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?