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上り坂をゆっくり走るように

週末、久しぶりに山に行ってきました。
山と言っても登山やトレッキングではなく、自転車で峠道をゆっくり走るホビーライド。上り坂を走るのは得意ではないけれど、辛い方が運動している実感があるからなのか両足に負荷が掛かるとつい嬉しくなってしまう。

脳の反応のというのは面白いもので、昔は上り坂なんて辛いだけで面白くも何ともなかったのに、今では好き好んで山の方に足を運んでいる。
身体に掛かる負荷は今も昔も変わらないはずなのに(そして「辛い」という体感も変わらない。むしろ体重が増えている分だけ以前よりも辛く感じているかもしれない。痩せたい。)どうして今はこの負荷を “楽しい” と感じるのだろうか。

最近自転車に乗るときはカメラを持ち歩かなくなっていた。
iPhoneで十分に綺麗な写真が撮れるし、なるべく荷物は少なく済ませたい。iPhoneのカメラアプリは、現在、最も手軽に写真を撮ることができる手段の一つだと思う。
そんな便利の極致にあるデバイスを持っているにも関わらず、自転車で出掛けた先でiPhoneを使って写真を撮ることはほとんどない。せいぜいTwitterにアップする生存報告の写真くらいしか撮らない。僕の写真の腕じゃiPhoneで撮ろうがLeicaで撮ろうが大したものは撮れないんだけど “これは” と思った風景に出会っても、「(カメラを持っていないから)撮らなくてもいいか」と撮影しないことが多い。心に残るものが全てじゃないしね。

どこかでiPhoneの写真を「彩度とコントラストは高いけど、細部が潰れて再現性に欠けるコンピュテーショナルフォト」と過小評価してしまっているのかもしれない。この点は考えを改めなければならない。極論カメラなんて写真が撮れれば何でも良いのだから。

この日は何となくライドにコンデジを持ち出したい気分だった。
サイクルジャージのバックポケットに忍ばせるのにGRⅢでは大げさ過ぎるので、OLYMPUS XZ10をクローゼットの棚から引っ張り出してきた。
発売時期的にオールドコンデジに分類されつつある機種だけど、写りは相変わらず素晴らしい。特に青のグラデーションが良い。
Ligtroomでいつもの自作プリセットを適用しているだけの写真だけど、その場の空気感はよく出せていると思う。





写真を趣味にし始めた頃、フォーサーズの画質をフルサイズと比べて低く見ていたときもあった。今ではセンサーサイズに拘りはなくなって、用途に合った使い方や敢えて用途に合わない使い方をして楽しんでいる。フルサイズ、APS-C、MFT、アンダー1インチ、各種センサーサイズのカメラを使っているけれど、どれも違ってみんな良い。

もしかするとXZ-10の画質はiPhoneよりも劣るかもしれない。それでも昔は物足りなかったコンデジの画質を今では “逆にそれが良い” と感じて愛用するようになった。

上り坂をゆっくり走るように、不便さや物足りなさを味わえる。そんな大人に成りたい。

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