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10年間ほど「ことば」の研究をしていました、という話㉒♪

こんにちは(^ ^)

私が去年、初めて聞いた言葉の使い方があって、とても興味を惹かれています。

その言葉とは……

「解像度が高い」

いやいやいや「解像度が高い」なんて普通に使う言葉でしょ?

と思うかもしれませんが、私が面白いと思っているのは、その言葉の「使い方」です。

「解像度が高い」という表現は、もともとは「画像」や「映像」に使う言葉だと思うんです。例えば「このカメラは解像度が高い」とか「映像の解像度を上げる」とか。〇〇ピクセルのような単位で高い・低いが言えるものだと思うんですね。

でも、私が去年聞いた「解像度が高い」の使い方は、それとは全然違いました。

例えば、

「その考え方は解像度が高いね」
「コンセプトの解像度を上げる必要がある」


などといった使い方。

最初にぱっと聞いた時にはあまり意味が分かりませんでした笑

「精度」に近い意味で使われていて、普通に使っている人たちは何も思わないかもしれませんが、ことばの専門家にとっては、この使い方はとても興味深いものがあります。

なぜかというと……

比喩的な使い方がされているからです。

比喩というと「花のような笑顔」といった「ような」を使う表現がすぐに思い浮かぶと思いますが、それ以外に、人々が使う言葉の後ろで働いている「概念的な比喩」があります。

例えば、竹内まりや『人生の扉』という歌の歌詞は次のように始まります。

「春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ」


それから、20歳になるのは楽しくて、30歳になるのは素晴らしくて、40歳になるのは素敵で、という意味の英語の歌詞が続き、最後の方にはこんな歌詞があります。

「君のデニムの青が 褪せてゆくほど
味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが
誰にでもあるさ」


「長い旅路」という言葉が使われていることから分かるように、ここでは人生が旅に例えられているわけです。人生=旅、として、人生を旅のようなものと理解している。こういうものが概念的な比喩です。

「解像度が高い」も同じで、もともとは視覚的な「写真」や「映像」に対して用いていた表現を「考え方」や「概念」に対して用いるようになっている。ということは、視覚的なものに例えて、考え方や概念を理解しているということになります。

考え方や概念を視覚的なものとして理解している。

そう考えると、「解像度が高い」という表現が視覚的なもの以外に用いられるようになってきたことは、人々の中で「視覚的なもの」の優位性が高まってきていることの一つの表れなのかな?と考えることもできます。

確かに、そういう流れはありそうですよね。

というわけで、「解像度が高い」という表現の使い方の変化から、人間の認識の変化まで考えることができてしまうのでした。面白いですよね。

みなさんも、普段使っている言葉をぜひいろいろ観察してみてくださいね。何か発見があればぜひ教えてください♪

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