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わりとなんでも「慣れ」だったという話

これは自慢とかでは決してなく、ぼくはそれなりに人よりは本を読むと思っている。マンガも本と同じくらい好きで、こちらはすっかり電子で買うものの方が増えてきた。巻数を重ねてもかさばらないということは大きいし、読みたい時に何巻でも読めるというのはでかい。
しかし、頑固というかなんというか活字は絶対にリアル本、紙の本で読むという強いこだわりも未だに持っている。

こだわりといえばカッコいいかもしれないけれど、単純にスマホやタブレットの画面で本を読む自信がなかった。集中できないんじゃないかと思っていたわけだ。スマホなんて特に途中でラインの通知なんかが入ってきたら没頭できないこと請け合いだろうよと思っていた。つまるところ苦手意識を抱えていた。

しかし、先日読みたい本が一冊約5000円!ページ数も約470ページとかなりボリューミーな本だった時、持ち運ぶのだけでも大変だし、これはいよいよ電子書籍で読んでみるかなと思った。(電子書籍だとポイントが貯まるので単価が高い本だとよりお得なのも一要素でした。)

最初はやっぱり読みづらくてなかなか進まなかった。しかし、幸いなことに、内容がその読みづらさを上回ってくれるほどにとても面白くて、つっかえつっかえながらもページをめくった。
次第に画面で文字を読む行為に慣れている自分を自覚するようになって、なんだ読めるじゃん自分と思った瞬間さらさらと読めるようになった。

おそらくそれでも紙で読むよりは没頭の深さが違って読み切るのには時間がかかったのだけれど、どこでも読めて、どんな本でも重さや大きさが変わらないのはやっぱり便利だよなと今更ながら改めて思った。今、2冊目に手を出しているけれど、慣れのおかげでスラスラ読める。

このことから、できないだとか苦手だとか言う意識は結局のところ、はじめの1発を空振りしてしまうから起こるバイアスに過ぎないのだなと思い直した。よく言われていることでもあるんだけど、イマイチ体感を伴っていなくて、「ああこういうことか」と今回のことで腑に落ちた。

多分、ぼくの「電子書籍で活字は無理」という認識は、電子書籍が出た当初無料で読めるからと言って、青空文庫で無理に昔の名著を読もうとしたことに端を発していると思う。

元々慣れない字体のものを、慣れない媒体で読めば、それはもう読みづらいに決まっていたわけだった。実際、電子書籍そのものが無理なのであれば、マンガだって読めるわけはないはずだった。電子書籍に問題があるのではなくて、活字は電子では無理と思っていたぼくの認知バイアスが問題で、読むのを妨げていたということだったのである。

多分、なんでもそうなのだけれど、
はじめて相対するピッチャーの打席に入った時に空振り三振をしてしまうと「苦手できない」バイアスは出来上がってしまうのだ。

最初は慣れていないのだから、できないことは当たり前で、はじめからうまくいくことは極めて珍しい。はじめがうまくいっても2回目の打席は空振りとかもおそらく案外している。
でもこのときに最初の打席で空振りした時と違うのは、一度打てているという成功体験があるから2回目の打席の空振りはそこまで気にならない。

食べ物の好き嫌いも結局はじめの一口がまずいと嫌いになってしまう。
これはもったいないことをしてるんだろうなと今回あらためて思った。よく噛んだら味が染み出てきて美味しいかもしれないし、最初に口にした部分が腐っていただけかもしれない。

なるべく「苦手できないバイアス」を認識したらその上で何度かやってみることが大事なんだと思う。

ここで「じゃあもう一度やってみるか」と気持ちを改めて一回やってみて失敗した時に、「ほらね、うまくいかない」って思ってしまうのもよくない。何回かやってみることが大事だと思う。大体2回目でうまくいくようなことも世の中そんなにない。

結局なんでもそうで、コツコツ積み上げていくしかないのだ。それを繰り返していくうちに苦手なことなんてきっとなくなっていくのだと思う。




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