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己が下手さを知りて一歩目

上司との飲み会はめんどくさいなぁとかやっぱり思ってしまうゆとり世代のぼくである。

けれど何だかんだ行くと、いつも最高につまらなかった、1秒でも早く帰りたかったってことは、実はない。普段は話すことのない上役の方達の考えていることだとか社内の政治状況であったりだとかをお酒の勢いに任せてたくさん話してくださるのは貴重な時間だなと心から思う。時たまに、「いや、それはきいてないよ」ってな話もあることにはあるけれど、それはそれで面白い。

ぼくは正直、人に質問するのがすごく苦手だ。普通の人ならそこ聞くでしょう的なことをきかずに、ただきいているということが多々ある。それは多分何かきっかけがあったとは思うのだけれど、ぼくなりのぼくを守るための潜在的なセーフティーバーだ。

聞かれすぎるってことはなんかうざいと思われてしまうだろうって考えがぼくにはあって、自分からは踏み込まず相手が開いてくれるのをただ待ってしまう。それをすごく心地いいと感じてたくさん話してくれる人もいるし、自分に興味ないんだな、この人壁作ってくるなって思われてしまって、打ち解けないケースもどちらもある。

ベストは多分、嫌がられない程度の扉のノックなんだろう。無理矢理開くことはしないけれど、相手にあけるきっかけは与える、そこから先は向こうにお任せ。そんなコミュニケーションが自然にできたら素晴らしいなぁ。

あとは、質問が湧かない=根本的に人に興味がない説もあるんだけれど、人に興味なかったらこんなに小説とかも読まないし、こんなこと書きもしないよなぁって自分で自分の疑念を振り払う。

ニーチェの言う、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」って言葉があるけれど、ぼくは多分踏み込む=相手に自分を知られると言うことが怖いのかもしれない。

開示してしまった自己が「この程度か」なんて相手に思われることがたまらなく苦しいことなのだ。ひとたび自己開示をすると傲慢になってしまって、自分はこんなに晒したのに!みたいな、相手からしたら知らんわ、君が勝手に脱いだんでしょ的な一方通行コミュニケーションをとってしまうこともあるからほとほと人間の心ってやつは難しい。

誰かと深く関わりたいと思うのであるなら、まず自分の器の小ささを認めろよって話なんだよ、おそらくね。


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