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「きみはいままでになにかとくに重要なものをなくしたかね?」

今日は、大江健三郎著『空の怪物アグイー』の感想note。


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ぼくがこの作品を知り、読みたいと思ったきっかけは、ひとえに『A子さんの恋人』近藤聡乃著(マンガ)を読んだからだ。

『A子さんの恋人』に出てくるアメリカ人のA君(作中の名前が本当にこれです。)が仕事でこの本の翻訳に当たる。

彼は、「きみはいままでになにかとくに重要なものをなくしたかね?」という言葉を英語にどう翻訳するかにすごく苦しむ。A君にとってアグイーは特別思い入れのある作品で作中何度もこの文以外にも引用が挟まれる。やがて彼はこの文章によって、大きな決断を下し、ある行動に出る。

ぼくはこのシーンを読んで、これは元の作品(アグイー)を読まないとA君の気持ちは分からないのかもしれないと思ったし、「きみはいままでになにかとくに重要なものをなくしたかね?」の一文が頭にこびりついて取れなくなってしまった。しかも作者はノーベル賞作家大江健三郎。これは読むしかない…。

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誤った情報を真実だと信じ、決断を下し、行動を取り、そしてあとからその真実が誤ったものだとわかったときの絶望、悔恨の大きさたるや計り知れない。

国産牛肉の表記があったから買ったのに、アメリカ産では話が違うじゃないかという話だ。そのとき人は大きく怒る。これはでも、いわゆる産地偽装であるから責任の秤に載せた時、当たり前のように産地偽装をした側に大きく傾く。いわゆる10:0の関係である。

では、目の前にゾンビに腕を噛まれた人がいる。この人はもう助からないから殺せと言われ、止むなくあなたはその人を殺す。そののちに、実は殺す必要はなく、腕を切り落とすだけでよかったことが判明したときはどうだろう。

秤はデマの発言をした人に大きく傾くかというと、そうはならないのではないだろうか。自分の手にどうしても後悔の感触が残り、自分への怒りの炎が燃え上がる。あまりにその後悔が大きいとき、人は時計の電池を抜き去り、針の躍動を止めてしまう。

『空の怪物のアグイー』は時計を止め、過去を生きる人の物語だ。

ぼくらは人だけでなく、多くのものを日々喪くし続ける。その喪失感を乗り越えるために多くの人がとる行動、言動は「時間が解決してくれる。」だ。

喪失感を時間の流れの中に消してしまう。流して消してしまった中に、人からは醜くも自分にとって大事な感情もあることもあるかもしれないのに。

「きみはいままでになにかとくに重要なものをなくしたかね?」

その後悔や怒りの激情を自分のものではないと忘れて亡き者にするのでなく、自分のうちに抱えて生きる人だけが持つ儚さを伴う強さは美しい。

喪くし続け、忘れ続けることも生きていくためには大事かもしれない。でも本当に重要だったものはもしかしたら抱えて生きていくことも大事なんだろうか。それはわからない。

ぼくにとっては何がとくに重要なものだろうか。



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最後に、
この小説は短編集である。だから今回は、表題作『空の怪物アグイー』の感想だけを書いている。

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