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世界を完全に変えた白い箱

公園にある冷水機をみて、小学校当時の冷水機のスターっぷりを思い出した。

今の小学校だと冷水機があるのは当たり前のことなのだろうか。ぼくが小学校の当時は、小学4年生か5年生の頃にはじめて登場したと思う。その冷蔵庫のような見かけのふてぶてしい長方形からわずかに出る水はぼくたちの世界を一変させた。

それまでの学校で飲む水と言えば、いわゆる蛇口を上に向けてそこに顔をつけて飲むスタイルだった。ひねりたての水はすっかりただのお湯で、徐々に温度は下がるも冷たいとはお世辞にも言えず、ぬるくて鉄の味のするまずい水だった。

そんな中で、「何階の右から何番目の水は美味しい」だとか、「保健室の前の水は他のとこより冷たい」だとか、そういう特ダネの情報を秘密裏に仕入れて、(情報屋みたいなキャラの子っていましたよね。)そこにコソコソ通ってそこの水を飲んでいた。

思い込みかもしれなかったのだけれど、自分だけがここの蛇口の水が美味しいことを知っている優越感は、早生まれのぼくの小さい身体を十分に満たしてくれていた。

しかし、ある日それはやってきた。出る水は鉄の味なんて一切しないし、圧倒的にいつでも冷たかった。ただ水が思い切りでないことを除いてそれは最強だった。

導入当初は校舎内に数えるほどしかなく、休み時間のあとは長蛇の列ができていた。毎時間の授業の終了後も長蛇の列で、冷水機が近いクラスは憧れの的だった。もう蛇口に用はなかった。

わんぱくなやつほど飲むのが長くて、早くしろよといらだったものだった。もっとわんぱくなやつは力にモノを言わせてヨコはいりをしていた。(ぼくも早く飲みたいのに…!)あんまり遅いと始業のチャイムが鳴って飲めなくなってしまうのだ。

待って、待って、ついに口にするその水は異次元の冷たさだった。朝、家の冷凍庫からかき集めた氷を水筒いっぱいにいれて自前のキンキン麦茶を持っていたけれど、キンキン麦茶も冷水機の前ではお手上げだった。

とにかくどれだけ飲んでもなくならない。足元の銀の板を踏むだけで、超絶冷感体験がいつまでもできるのだった。飲んだあとはその冷たさから口のまわりにしびれを感じるほどだった。

冷水機一台があんなにもキラキラしていたなんて今では信じられない。どこに行っても当たり前にあるただの冷水機なのに。でもふとそこに口を当てると、昔は背伸びをする必要があったのに今では背中を丸めていることに気づく。

ぼくも大人になったみたいだ。






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