見出し画像

社畜を買う、社畜を飼う。

 年末のセールで社畜が値下げされていたから、ものは試しと買ってみた。ペットショップの狭いゲージに押しこめられたそれらは人間と獣を足し合わせたような風貌で、大きさもまちまちだった。

 開発の過程にあらゆる試行錯誤があったせいで、肥えた山犬のようなものからほとんど人間の姿をしたものまで、様ざまな社畜が世に出まわっているという。私が飼うことにしたのは羊ほどの大きさで、街なかを歩くあいだもぴょんぴょんとよく跳ねた。

 夕刻を迎えると社畜はしきりに喉を鳴らした。手つかずになっていた定例資料の作成を与えてやると、ものすごい勢いで飛びついて、あっという間に仕上げてしまった。深夜になって私が居間でうつらうつらしているときも、提案資料の作成に取り組んでいたらしい。

 働いている時間のほかは、社畜はうつろでだらりとした眼で宙をながめるばかりだった。試みに会社へ連れ出すと案の定よく働くので、年が改まって以降、私は日付の変わる頃には帰れるようになった。時折り、社畜が深夜にひっそりと灰色の涙をながすのを見かけるようになった。

 ある夜、社畜はひどく怯えた面をして帰ってきた。新橋の路地裏に山積みされたかれらの死骸を見つけたのだろう。箱詰で送られてきたのをそのまま投棄するような企業が相次いでいるのだ。一時は流行して開発も進んだが、近ごろではいよいよ機械による自動化に押されて価値が薄れつつある。仕事を糧にする社畜は、雇い主に見捨てられればたちまち息絶える。

 二月にはいると組織改編が発表された。旧態依然たるこの会社にも、とうとう機械化を推進する部署が新設されるという。社畜はその意味をわかっていないようだった。こいつとはもうお別れだろうと思った。

 新体制のはじまるその日、私への作業依頼はぱたりと止んだ。昼を過ぎてさらに陽が傾きはじめてもタスクは生じなかった。そういう状態が一週間も続いた。頭がぼんやりとし、眩暈がするようだった。席を立とうにも脚に力がはいらない。

 もうどうしようもなくなった私のもとに部長が訪れた。かれは私の身体を持ちあげると、腐臭の立ちこめる路地裏まで運んだ。硬くなった屍体の山に寝かせられる。容姿も思考もほとんど人間に近く作られたが、それでも私は労働なしには生きていけないのだった。意識がだんだん遠のいてゆく。林立するビルの隙間からのぞく空は青く澄んでいた。

一銭でも泣いて喜びます。