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僕は狼だよ。気づかなかったのかい、村人さん。

精神状態がヤバくなってきて、いよいよ”””第二のオレ”””が目覚めそうだ……。

自分には追い込まれると奇行に走る癖があるので、落ち着くまで投稿を休止しようかとも思ったが、とりあえずこれだけは書いとく。


汝は人狼なりや?」ってゲーム知ってますか。みなさん。

簡単に言うと、プレイヤーにはそれぞれ役職があって、数人の村人の中に狼が混じっていて、その狼を会話で探りを入れつつ探すってゲーム。

目的は狼を多数決の投票で駆逐する(村人陣営の勝ち)か、村人全員が食い殺される(狼陣営の勝ち)かなんだけど。


僕はゲーム配信を見るのがとても好き(たぶん自分でやるよりも)なので、それをやっているとある放送を続けて見てるのね。

関連「ダメ人間」にずっと救われてきた。彼らは、働かずに好き勝手していることで一つの重要な役割を全うしている。そんなダメ人間の良さを徹底考察する。


その配信者はふだんから他のゲームでも迷惑行為ばかりしていて、何度も利用停止(BAN)になったりもしてきてるのね。

でも僕としてはそういう道徳的な話とかは本当はあんまり興味が無い。人を殺したわけでもない。

だってその人のプレイはめちゃクリエイティブで、見たこともないような定跡外の展開が頻繁に現れるから。笑いが止まらなくなる素晴らしいエンターテイナーだ。人生を支えられているという実感がある。


村人陣営なのに他人を困惑させるために利敵行為をしたりとか、そんでその人が困惑したら逆に真面目になったりとか、ルール上ありえない状態(複数の役職を同時に併せ持つような発言とか)を自信をもって断定したりとか。

マジで面白い。あと暴言も多い。でもそれくらい自由な方が好き。っていうかそういう場所じゃないともう息ができない。

世界がその人を中心に回ってるのね。その人の中では、ゲームのルールよりも自分の意向のほうが上位に来てるから。


この人は逆に、周囲の人間を自分のペースに巻き込めなかったり、誰も自分に注目していないとすごく辛そうにしている。子どもの頃に虐待されていたという話を聞いたこともある。


そもそもね、悪い人になるのにもそれなりの理由があると思っているし、そういう人を叩いておけば問題が解決するとは思ってない。これは真面目な人も良く言ってる話だから今はまあいいか。

それは一見すると単なる幼稚な迷惑行為なんだけど、よく見ると病んだ社会へのささやかな抵抗だとか、その中で傷つけられたものを回復するような行為に感じられる。本気でそう思っている。

僕もそういう悪い側の陣営の人間なので、もうそういう期待をしないでほしい。狼だぞ。わんわん。


話が急に変わるけど、子どもの頃にありのままの自分を認められなかったとか、うまく愛されなかったという経験は後まで尾を引く。

人の親になったこともない人間が偉そうなこと言ってるなって思うけど、V系アーティストみたいな奴が言ってると想像してほしい。


勉強が苦手とか、行儀が悪いとか、友達が少ないとか、親の言うことを聞かないとか、そういうことも考えていかないといけないのかもしれないし、そのあたりのことは正直よくわからないけど。

ただそれよりもずっと、「ありのままの自分を認められ、愛されること。ここは安全だと感じられること」のほうがずっと大切だと感じています。


僕はいかにも親が喜びそうなことをほぼ全てクリアしていた人間だったけど、今は自分のことをろくでもない屑としか思えないし、ぜんぜん幸せじゃないし、当時のことはほぼ役に立っていないと思っている。

そして親のことを尊敬も信頼もしていません。語弊を恐れずに言えば、話が通じないので、うまくかわしたり適当に合わせておく相手だと認識しています。

正面から向き合っても理解されないと思っているし(ずっと何度も試みてきたからね)、そんな体力ももう残っていないし、そんな価値ももう感じていない。


支配と愛は違う。自分の言いなりにさせたいのか、相手の可能性を広げようとしているのか。

ああ、苦しい。たいていのことは後からでもなんとでもなると思ってるけど、ありのままの自分を認められなかったということは、どうしようもなく重くのしかかる。ずっと。

そしてそれゆえに、重要な場面で合理的な判断が出来なくなる。無意識に、自分が不幸になりそうな方向へと進んでしまう。

普段はとてもロジカルに慎重に図っているつもりなのに、ダメなところでは本当にダメになってしまう。


恐怖政治ばかりしていると、"従う"か"従わせる"かしかできない人間になっちゃうよ。

お互いに相乗効果を発揮して協力しあうような関係とか、取れなくなるよ。根っこのところで他人も自分も信頼していないからね。

それは親自身の親との関係とか、周囲の目線とかプレッシャーの影響を受けているんだろうなってことも強く感じているけれど。僕らは連鎖する生き物だよ。誰がために。


表に現れる部分の能力も大切なのかもしれないけど、とくに子供の頃はそれよりも根本的な信頼感とか安心感とか自信のようなもののほうが大切なんじゃないかな。テストの点数に着目するよりさ。

個人個人が向いていることについての能力なら、来るべき時が来て必要な環境があれば、爆発的な成長を遂げられると思ってる。あとからでもどうにでもなる。

疑うよりも信じてあげてよ。この基本的な態度の差こそが、めちゃくちゃ大きい影響になって表れてくるんだと思う。


自分は悩める十代に物申せるほど立派な人間じゃない。あえて言うなら、こういう話を分かち合いたいと思った。解釈も行動も自由。

俺はいつも問われている人間には何も問わないし、いつも無視されている人間には声をかける。


こういう自分の弱みを書くと付け込まれるんじゃないかと思うのも嫌だし、変な人が近づいてくることもあるし、遠回しな言い方で自分の影響を植え付けようとしてくることもある。

でもなんというか、自分と敵対的な立場にある人がいるから、黙らせようとしてくる人たちがいたから、まだ発信をやめないでいられている。真面目にやるつもりなんて最初からない。

何もなくなった後、最後に自分を支えていたのは復讐心だ。ある意味、感謝してるよ! ありがとう!

頂いたサポートは無駄遣いします。 修学旅行先で買って、以後ほこりをかぶっている木刀くらいのものに使いたい。でもその木刀を3年くらい経ってから夜の公園で素振りしてみたい。そしたらまた詩が生まれそうだ。 ツイッター → https://twitter.com/sdw_konoha