発達グレー夫婦とその子供達

 私も夫も発達障害のグレーゾーンとして診断を受けた人間だ。結婚して出産して数年後に私、その更に数年後に夫がそれぞれ診断されている。私にとっては「やっぱりそうだよね!?」という気持ちと「こんなに困っているのにお互いグレーゾーンですって!?」という気持ちであまりスッキリしたとは言えないが、それでも診断される前よりは「これは性格ではない、わざとではない」が前提にできるようになったことはとても大きな収穫だった。が、夫にとっては衝撃が大きかったようで、しばらく受け入れに時間がかかり、発達障害というものへの理解も進まなかった。
 が、去年当たりから急に「こういうことがあるんだけど、それって発達のせいかな?」というような会話が出てくるようになり、この数ヶ月では「俺、洗濯物が本当に苦手なんだ、だから教えてもらっても、苦痛だし、上手くできないんだ」というような状況や心情を話してくれることも出てきた。彼は情報を受信し処理して理解するまでにかなりのタイムラグを要する節があり、私にとってそれはとても理解できないことが多いのだけど、多分それはお互い様なので、理解のスピードが早い私が歩調を合わせる必要があり、またそれに対する私の心身がまだ苦痛と認識していないことが理由で結婚生活を継続している。

 そんな私達の子供は四人がそれぞれ、明らかに発達障害の特徴を持っていて、本人達も自身の特徴に振り回され混乱している。まぁ私は医者ではないので、周りにそのような相談をしても、よく「子供なら普通のことでしょ」「まだ小さいからだよ」「そんな風には見えないから大丈夫だよ」「みんないい子じゃない」などという、多分本人にとっては優しい一言を頂くことが多かったのだが、だが一緒に生活する私にとって、毎日パニックの連続だ。
 次から次へと勃発する兄妹喧嘩。これは本当に二〜三分間おきで、しかも相手も変わるので、あちらを宥め、こちらを宥め、「雨ニモマケズ」もびっくりなほどの振り回されっぷりである。一日それだけで終わってしまった日もある。
 特徴が全員違い、そしてそれぞれのこだわりが強いので、一々それらに合わせていると、一日何もできず、かといって蔑ろにしたり、無理矢理事を進めようとすると、酷い癇癪で暴れ回ったり、他の兄妹に八つ当たりしたり、泣いて固まって一言も喋らなくなったりして、ご飯一つ進まないことも少なくない。そしてそういう事象に対応し切れない夫がキレて、泣かせ、そんな夫を私が叱り、次いで子供を叱り、どうしたらよいのかレクチャーしながらフォローしなければ家の中の空気が淀んで苦痛なので、自ら仲裁役を買って出るものの、終わらない他人の精神世界への干渉がとてつもなく辛く、日付を跨ぐ頃には私の方がキレてしまうことも少なくなかった。
 それぞれの出産後からかなり早い段階で「この子のここが気になる」というのを観察していたのと、自分や夫の困り事や、他人を困らせる事、などを把握することに努めていたのが功を奏し、遂に先日七月の中旬、四児を引き連れ、発達障害のクリニックへの初診を済ませることができた。
 結論から言えば、四児全員が「何かしらの問題はある」と前提され、「しかし年齢と共に解消される部分もあるかもしれないから様子見も必要」とアドバイスを頂いた上で、四人それぞれに検査、そして小学生の二児は服薬を勧められ、本人達の意志も肯定的だったので、試験的に十五日間飲んでみようということとなった。

 ここで私から見た彼等について記述しておこう。
■長男小三。精神状態の乱高下、ハイの時はひたすらに上機嫌でおどけるが、一旦不機嫌になるとキレて回り、最終的に号泣。不注意も多く、忘れ物も多い。物の管理ができないが、整理整頓はかなり好きなようで、よく片付けをしようとするが、時間の観念がなく、夕方の遅い時間や食事の前などに唐突に開始される。止めると不機嫌一直線。勉強面でのケアレスミスもかなり頻発し、また文章問題を苦手としており、そもそも何を問われているのか分からず宿題を進められない、自分の解答への自信が過剰で間違いを受け入れられないので、指摘されただけでプリントを破く勢いで消そうとしたり、ぐちゃぐちゃに丸めようとする、という状態での自粛期間の課題に私の方が参ってしまった。とにかく彼の機嫌に私と妹達が振り回され、喧嘩の火種を量産。だがその一方で、とてつもない努力家で、根性がある。そして本当に優しい心根の持ち主なので、今後気分だけで誤解される場面が出てくるのを懸念している。
■長女小二。赤ちゃんの時から無言の人。声を上げて笑うことはなく、またくすぐった箇所が限られているのか、はたまた我慢強いだけなのか、今も不明である。緊張から他人の前で発言ができず、一年生の一年間、教室内で発言することはほぼなかったという。家での姿は「ガサツ」と言える。とにかく荒っぽく、またじっとしていることが苦手。勉強に集中することもできないので、苦手な算数や漢字の練習を前にするだけで床に寝転がってしまう。また感情がマイナスの方に昂ると俯き号泣し固まるので手が付けられない。優しくしても怒っても効果なし。自分のルールに愚直で、「これは大切」と思ったものだけは他人の干渉を許さず、兄妹にルールを強制し、よく揉めてしまうが、理解されないことが多く、突破されるので、やはり良く拗ねて泣いている。自分のやりたいことしかやらない傾向があり、できることなら何もしたくないと公言している。それをズボラと他人に指摘されるだろうと私は感じている。自主性もなく「なんでもいい」とよく口にするが好き嫌いは激しいため、「お、お前、なんでもよくないやないか……!」というツッコミを入れることも少なくない。
■次女年長。かなりのおませさん。そしてどこを見ても発達が早い。歩くのも話すのも早く、また「しっかりしている」という評価をいつも貰い、月齢の一つ上に見られる。今は毎回必ず「今小学生?」と訊かれる。幼稚園に入る前も「年少さん?」「年中さん?」と訊かれていた。考え方もかなりはっきりしており、話し方もやや大人びていて、「それってつまり○○ってことだよね」などと総括することを好んでいるように思う。絵を描くことも好み、また得意なようで、平仮名も既に一応読み書きできるので、お手紙をよくくれる。が、鏡文字や反転文字、そして「音」で日本語を認識しているようなのでかなりの頻度で誤字や誤用、理解していないことが判明してきている。また理解している表記も思い出せないようで、「ミ○キー」「ミ○ー」を「ミキッー」「ミィニー」などと書き間違えることも多いが、これは月齢に伴って落ち着く可能性もあり、不完全な面が多いので読み書きの検査をする予定。兄妹唯一の心理検査済みだが、やはり発達の傾向には差が大きく、就学すると恐らく支障を来たすだろうとのこと。その時に「私はどうせ駄目だ」と精神的なストレスや自己嫌悪を抱く虞があると懸念され、できるだけ早い段階でのフォローを、との結果を既に有している。元々イライラする頻度が多い子だが最近はとても情緒不安定なように見える。キレやすさに兄妹全員が戸惑い、また扱い難そうである。衝動性や多動性が気になる点。思い付きで行動し、片付けも苦手なので部屋は散らかり放題である。
■三女年少。市の健診で兄妹の中で唯一「言葉の発達が遅い」と指摘された。一歳過ぎてもなかなか単語も出てこず、二歳過ぎても二語文を話さず、三歳過ぎても受け答えをしなかった。三歳半を過ぎてようやく会話が成立し始めたものの、自分の言えない単語はとにかく言いたがらず、無言で逃げてしまう。癇癪も酷く、嫌なことは死ぬ気で嫌がる。音にも敏感で、赤ちゃん時代から大きな音にびびっては泣き喚いていた。トイレ、電車、バス、全てパニックを起こしてきたし、今も苦手なようだ。コミュニケーションが取り難く、またトイレを怖がってパニックを起こすのでトイレトレーニングが進まず、洋式のオマルを購入したものの、オムツの他に排泄することが怖いみたいで、思うようには進まない。この半年は意思表示をしないと他三人の我の強さに負けてしまうことを理解したのか、急速に発言するようになった。が、相変わらず暴君っぷりは健在で、誰も手を付けられない状態を私が宥めるしかない(が私にもどうすることもできないことがほとんどだ)ので、心身共に疲弊感がやばい。末っ子特有の「やってもらって当然」の感じもあるかもしれないし、まだ年齢的にも発達が安定していない可能性もなくはない、らしい。

 こんなものだろうか。ちょっと愚痴みたいになってしまった気もするが、毎日ざっとこんな感じなのでそりゃパニック状態真っ只中、家事をこなすことも難しい日は出てくる。四方八方がしっちゃかめっちゃか、あっちがキレ散らかし、こっちが泣き喚き、そっちが「あれは何?これは何?」の質疑応答、誰かが怒鳴り誰かが泣いて誰かがゲラゲラ笑っている。そんな環境が三月末日から延々と続いた。

 それが劇的に変化したのはやはり服薬のお陰だ。
 まず長男には18mgのコンサータ。長女にはストラテラが処方された。長男は「飲んでみたい」とノリノリであったし、長女は元々の気質から少し迷っていたものの、「こんな風に楽になるかもしれない」という希望的な話を聞いて自分で結論を出すことができた。そして体質的にもそれぞれ合っていたようで、特に大きな副作用もなく、服薬は現在続いており、本人達に落ち着きが見られ、また精神状態の安定も感じられる。ただ長女の方はやはり少し泣くことが増え、慣れるまでの、そして増量していくタイプの薬なので、そういう時間がかかることを改めて認識している。
 長男の情緒の安定がやはり一番大きいかもしれない。以前まで、何が引き金になったのか分からないレベルで、妹にキレまくっていたが、今は少しくらいなら怒らずに会話できるようになり、また自分が悪かった時も認めて、妹に謝れるようになった。私に対しても良い意味でも悪い意味でも甘えるだけでなく、一人の人間として接してくれる感じがある。
 私なりに彼等の生活の中から言動を収集し、そこに伴う思考や感情を分析し、それを無視しないようなコミュニケーション方法の試行錯誤を繰り返してはいるが、それでも毎日の積み重ねで嫌になることも少なくはないし、反対に、彼等がいるから私はまだこの世界に留まっている、ということも事実だ。彼等がいなければ、とっくにおさらばしていた。実際しようとしたし、できなかった。助かってしまった。それだけ。思うようにいかなかった。それだけ。
 私なんかが母親でごめんね。という感情がべっとりと張り付いている。「発達障害者が結婚して子供を産むなんて」という旨の発言を目にすると苦しくなる。申し訳ない、うちは夫婦共にグレーゾーンです、結婚すべきではなかったかもしれないし、子供も産むべきではなかったかもしれないし、四児にまでなる前にどうにかすべきだっただろう。でも現実は今「こう」だ。現状を打破できなければ私達家族の未来は潰える。私の完全なエゴだが、子供達には笑っていて欲しいし、「生まれてきてよかった」と思っていて欲しい。「こんな世界に生まれてきたくなかった」「早く死んでしまいたい」なんて感情と付き合っていくのは、私だけで充分すぎる。
 その為にも、できる範囲での可能性は拾っておきたいし、試していきたいと思っている。全て彼等の為であり、その彼等が笑って生きているのを見たい私の為である。服薬はその手段の一つだ。とりあえず効果があり副作用がほとんど見られないことで、先生からも「二〜三年続けてみよう」と指示をして頂いた。本人からの拒否が出るまではこのまま服薬してもらおうと思っている。この小学生低学年時期から服薬を開始して、言動や思考の癖を導きやすくすることで、後々の服薬が必要なくなる可能性もあるらしい。本人の苦痛や負担が少なくなるのなら、それがいい。その連鎖で家族も楽になるのなら、それがいい。

 私のエゴだろうか、ということを常日頃考えてしまう。私の押し付けなのではないか。私の勝手なお節介なのではないか。
 でもその一方で、明らかに子供達から笑顔が増えたり、スライムみたいになる=素の姿で暮らせるようになったり、私にだけ見せる甘えん坊モードや阿修羅モードがあったり、「ママだいすき」って毎日手紙をくれたり、「ママすごいね」「ママはえらいね」って毎日褒めてくれたり、とにかく彼等から溢れている愛情に触れる瞬間が増えて、……戸惑いが止まらない。嬉しい気持ちを存分に楽しむ前に、「でもそれは『私だから』ではないのでは」とか「でもそれは私の機嫌一つで終わるのでは」とか、不安や恐怖や混乱がすぐにひょっこり顔を出す。これが私にとってはとてつもなく苦痛で、この感情の矛盾を体験せずにいてくれ、と切に願っている。自己肯定感、という彼等の大切な土台を私が踏み躙ることは私が許さない。……重い。重いなぁ。母の愛、というには重すぎて、そして、これを押し付けたら、強制させたら、それはきっと私や夫の両親の中にあったものと似たようなものになってしまう気がする。
 だからこれは彼等にはぶつけずにいようと思っている。私の心の重石だ。浮遊せずいられるよう、彼等に寄り添えるよう、私を現世に結び付けておく足枷。とても邪魔で仕方がなくなることもあるけれど、でも、なくなったらきっと恐ろしいことが起きる。
 「私はたまたま彼等を産んだだけ、彼等もたまたま私から生まれただけ、設計図が半分同じなだけの、違うパーツで組み立てた違う個体」だという認識を、私は今後の一生、何度思い返すだろう。出来る限り、ずっと脳内に刻み込んでいて欲しい。私とは違う、だから、幸せになっていい、幸せになって欲しい、幸せになれる。そういう呪いにも似た想いを私は、彼等に対して抱き続けるのだろう。そうであって欲しい。私は私に、これ以上、失望したくない。
 その為にも、私は今後、子供達と各自の発達傾向についての話も記録していこうと思う。私自身のことは以前から書こうと思っていたから、そのついで、みたいな感覚でもある。何より、育児において発達傾向の濃い子供との生活の難しさやもどかしさには、私自身が苦しんだから。多分、母もそうだったはずだから。勿論、育児の苦労に上下はないと思っているし、発達に限らず、様々な障害が存在しそれに巻き込まれることや、また健康体そのものだからといって苦労がないなどとは思っていないし、重々承知している。その上で、「目に見えない」し「本人の自覚も難しい」から、脳の機能によるものだと理解していても、目の前の生き物である「我が子」を理解できない時、子供の前にまずは「自分」を理解できない時のサポートが出来たら嬉しいなぁ、などという高尚な理想だけは高い私である。そしていつか子供達が自分自身や、兄妹や私達夫婦、更に彼等自身が子供を持つことやパートナーと生活することになる時が来たら、役立てたら何より幸福だろうと思う。未来に向かって投機し、それらを未来の自分がもう一度手に取れるように。
 2020年8月の、家族六人で初めて過ごす夏休みの始まりに。

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