絵画は目で観るだけじゃないーー「音で観る」を考える

放送の様子はこちら(下記サイトでは音声配信も行っています)。
「絵画は観るだけではない〜「音でみる」を考える」(Screenless Media Lab.ウィークリー・リポート)2019.9/27 TBSラジオ『Session-22』OA

 Screenless Media Labは、音声をコミュニケーションメディアとして捉え直すことを目的としています。今回は観ることと聞くことの関係性について、考えていきたいと思います。

◾絵画は目で観るだけではない

 最近、ハフィントンポストの記事で、全盲の方で年に何十回も美術館に通う方を取材した記事がありました(以下のリンクから記事が読めます)。

 全盲の白鳥さんは生まれつき弱視で10歳の頃に完全に視力を失い、色については概念的にのみ理解しているといいます。白鳥さんは、生まれつきほとんど目が見えず、全盲になってからもそれが普通だったので、晴眼者が言うような「大変さ」を、自分ではとくに感じなかったと言います。

 しかし、社会は障害者は弱者で健常者は強者、という観念が強く、実際、健常者に負けないよう努力することを求められてきたといいます。その後大人になって美術館にデートに行ったことがきっかけで、美術館をめぐるようになったと言います。

 白鳥さんは、見える人、つまり晴眼者と一緒に美術館に行き、対話しながら絵画を観るといいます。おそらく多くの人は、晴眼者の介助によって、見た気持ちになることだと考えると思います。

 美術館のスタッフと美術館をめぐり、スタッフの方が言葉で絵画を説明します。ですがある時、スタッフの方は湖があると説明しようとしたところ、実は細かくみると、湖ではなく葉っぱだったことに気づいたそうです。目でみえているはずなのに、よく見えていなかったと、晴眼者のスタッフの方が気づいたそうです。

 晴眼者は言葉で伝えるために、作品を咀嚼して、考えることが必要になります。同様に、話を聞く白鳥さんもまた、対話を通して、言葉から細部に至るまで、絵画を楽しむことができるといいます。サポートするはずだったスタッフの方は多くのことに気づき、「助けてあげる」と「助けられる」の固定した関係を超えることになるといいます

◾みんなで鑑賞する「ソーシャル・ビュー」

 こうした点について、美学、現代アートが専門の伊藤亜紗さんの著書『目の見えない人は世界をどう見ているのか』では、視覚に障害がある方との絵画鑑賞ツアーに参加した体験談が語られています。視覚に障害がある白鳥さんを含め、複数人で絵画を鑑賞しながら対話することを、伊藤さんは「ソーシャル・ビュー」と名付けています。

 絵画の中に「野原」があることと、「湖かと思ったら野原だった」と、話しながら気づくプロセスは、別物です。私たちは、目でみえていても勘違いをしていることが多くあります。また同じ青色をみても、冷たいと感じたり、落ち着くと感じる人がいます。

 ソーシャル・ビューはこうして、正解のない、絵画を通したライブを、見える人、見えない人が一緒に体験するものです。観ることにとらわれず、何が書かれていて正解なのかといった「厳密さ」にとらわれないあり方が、そこでは生じているのです。

 視覚情報は人間の情報の8割から9割を占めると言われますが、多くの情報の中で、見落としてしまうことも多くあります。耳や、会話など、音を使ったコミュニケーションは、私たちが見ていなかったもの、あるいは、見ようとしなかったものを、伝える表現形式でもあるのです。

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