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【短編】たちつてとてと

ひいおばあちゃん、もとい、ひいちゃんの脳の整理をするために in したら、いきなり半裸の男性の姿が、私の視界に飛び込んできた。

「おわっ」

衝撃で強制outしちゃったけど、大丈夫かな、データ飛んだりしてないかな。
目のやり場に困るなぁ、こりゃあおばあちゃんもママも「気まずいから」って同席しない訳だわ。

ひいちゃん、「肉体の時代」に生まれ育ったひとだから、仕方ないけれど。

私は3年前ひいちゃんに、「アタシが死んだらさ、サキナが遺情報整理お願いね」と、役目を仰せつかっていた。
私が、死んだひいちゃんの脳に in して、ひいちゃんが遺した記憶データの中から、おばあちゃんを筆頭とする遺族が「残しておきたい」と思う記憶データだけを出力する。
それが、遺情報整理。

普通は、100 歳過ぎたあたりからじわじわと、いらない記憶を消去したり、カテゴリ分けしたりする。
昔ことばでいうところの、 シュウカツとか、ダンシャリとかってやつだ。
でも、ひいちゃんはその一切を放棄した。
サキナがちょっとだけ覗いて、全部消してくれりゃいいよ、って。

恐る恐る再び in してみた。
よくよく見れば、それは三次元の男性じゃなくて、「ザッシのグラビア」 だった。つまりは、写真。

「やばー!!罪!罪!!萌え罪で逮捕」
「やばくないこれコンビニで売っていいやつ!?」

若い女性、というか女の子の、耳をつんざくような声が聞こえる。
視界を広角に切り替えたら、 右隣には、 白いシャツを着て胸元にチェック柄のリボンを付けた女の子が、 頬を紅潮させて立っている。
その紅潮は、 多分内側から滲み出たものだけじゃない。人工的なピンクを丸く振り撒いている。この子、きっとひいちゃんのご学友どのだ。

冷静に状況を観察していたけれど、私は「ザッシ」の実物――いや、ひいちゃんの視界を通したものだけど、初めて見た、ということに気が付いた。
触覚をオンにする。それと同じタイミングで、ひいちゃんが雑誌を持ち上げ、顔を近づける。ご学友が、笑いながら声を上げる。

「えーそれダメなやつ!出版社側もドン引きするやつー!」
「いや供給には真摯に向き合うべき」

視界はともかく、手の中のザッシは、思ってた以上に重量感があった。そのくせ、1 ページ1ページは心許ない薄さで、「カミノホン」 のざらっとした質感とは違う、つるつるした感触だった。
画質はすっごく荒いんだけど、それが却って味がある、と言えなくもない。

今じゃあ考えられない。男女問わず、肌を露出した写真がメディアに乗ることも、そもそも「肉体」と言うものにここまで興奮することも。

急激な科学技術の発達やら、感染症対策やらで、もう今や、肉体的接触は相当な理由がない限り、しない。 パートナーとのコミュニケーションも、 単に脳波や脳内物質の分泌に干渉し合うだけのものになった。生殖も、肉体を介するなんてリスクは取らない。


ひいちゃんの時代には、 肉体って、 魅力的で高揚させて、 写真なんていう二次元に落とし込んでまで感じたいものだったんだと思うと、不思議な気分になる。

右側から、「何やってんのぉ」と低い声がした。ひいちゃんとご学友は、サッとザッシの上に紙袋を広げ、さらにバッグを乗せる。
浅黒くて背の高い、スッとした目が印象的な、男の子が立っていた。
ご学友はニヤニヤしながら、お迎えですよーと言っている。

ひいちゃんの視界が急激に揺れ、 机の脇のカバンにあたふたと、 筆記具がパンパンに入った小さなポーチを投げ込む。ガタガタと音を立てながら、ご学友に、じゃまたラインするから!と言って、浅黒い彼のもとに駆け寄っていった。

彼と、ひいちゃんと、ひいちゃんに取り憑いた私は、並んで大通りを歩く。わっ、クルマじゃん、あれデンチュウってやつじゃん、といちいち感激しながら。

ひいちゃんの視界は相変わらず定まらなくって、 彼の喉仏を見て、 左手を見て、 口元を見て、また左手を見て。ひいちゃん何考えてんだろって、つい気になってしまって、私は、何層にもレイヤーが重なる、ひいちゃんの心を覗いてしまった。

レイヤーの1 枚目。いいかな、もう 2 か月経つしさ、手ぐらい、いいんじゃない?
2 枚目。 ていうか。こいつ全然そういう感じ出さないよね。 炭酸入りコーヒーがまずいとか、そんなのどうでもいいんだけど。
3 枚目。あたしのことどう思ってんのかな。なんか、ノリで付き合ってるだけなのかな。
4 枚目。なんか、疲れたかも。

ひいちゃんが、 オトメしている。 これはほんとに、おばあちゃんやママが見ちゃダメなやつ。
ひいちゃんは、 私がこうやって、ひいちゃんのレイヤーをめくることも織り込み済みで、 遺情報整理を任せてくれたんだろうか。

「あのぉ。俺らさぁ」
彼が急に、もったりと喋りだした。
「そろそろさぁ。手とか繋いでも、いいんじゃないですかねぇ」

ひいちゃんの心の一番上に「えぇっえっえっえっ」という新規レイヤーが追加された。
「あー、うん」
ひいちゃんの声の後、ややあって、右手に、かさかさとした節くれだった感触がした。

瞬間、ひいちゃんの 5 枚のレイヤーが結合された。

私は、オッケーオッケーと思い、一旦 out した。
out 際、浅黒い肌の男の子は、ひいおじいちゃんよりずいぶんと背が高い、と言うことに気が付いた。

唐突にひいちゃんの(たぶん)高校時代にお邪魔して、センチメンタルに浸ってしまったけど、私は当初の目的を思い出した。
おばあちゃんもお母さんも、 ご要望は「自分が生まれた日の記憶データを出力してきて」ということだった。

ちょっと遡りすぎた。
再度 in してグイ、とカーソルを動かしたら、小さな小さな手と、その手に握らせた大人の指が見えた。たぶんこれは、 生まれたての赤ちゃんと母親。赤ちゃんはおばあちゃんか、ママか。
と思ったけど、すぐに思い違いだ、と判った。赤ちゃんに握らせたひいちゃんのものらしき指は、肌がビニルのようにピカピカとしていて、皺が寄り、茶色いシミもバラバラとあった。
この赤ちゃんは、きっと私だ。

今度は行き過ぎたかぁ。そう思ったけれど、 私は閃いた。ひいちゃんは私の手に触れながら、おばあちゃんやママが生まれた日のことを、思い出してるんじゃないか、って。
私は(ひいちゃん何度もごめんね)と心の中で詫びながら、ひいちゃんの心のレイヤーを捲った。

1 枚目。サキナ、はじめまして。まさか曾孫まで見られるなんてなぁ。ちょっと長生きしすぎじゃない?
2 枚目。マキナすっごい強い!エリナはこんなじゃなかったよ?孫って、もうひたすら可愛いだけなんだな。エリナの時とは随分違うなぁ。

1 枚目は紛れもなく私。そして 2 枚目は、マキナだから、私のママ。3 枚目を捲った。

3 枚目は、指を握らせてはいなかった。赤ちゃんを抱っこして、ずっと一定のリズムで背中をトントンと、軽く叩いていた。
トントン、のリズムに合わせて、ごめんね、ごめんね、と、ひいちゃんは唱えていた。

3 枚目。ごめんね。ママなのに、全然うまくおっぱいあげられなくてごめんね。
なんで泣いてるのか、全然分かんなくてごめんね。
「可愛い」より、「怖い」の方が断然おっきくて、ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。

ひいちゃん、おばあちゃんは今だって、疲れたら不機嫌になるし、栄養が切れてきたら「はーめんどくさい」って渋々準備してるよ。ひいちゃんのせいじゃないんだよ。

でも、 私がこんな言葉をかけるまでもなく、ひいちゃんの中で、赤ちゃんだったおばあちゃんとの日々は、 プリンの底のカラメルみたいな、 幸せのレイヤーのいちばん下にある、ほろ苦い記憶になっていた。
私は、これはセットにするべきだなって思って、丸ごと出力した。

そろそろ帰りますか、と思って out しようとしたら、また誤操作で、私が生まれる数ヶ月前に飛んでしまった。

ひいちゃんはまた、 赤ちゃんに指を握らせていた。 生まれたてじゃなさそうな、 ケラケラとよく笑う、くりくりの髪の赤ちゃん。
あ、これ向かいの家のヤマトだなぁ、と気付いた。誕生日的にも、この髪質的にも。

ヤマトの手はヨダレでべちゃついてて、ひいちゃんの手越しにその感触が分かる。うえー、勘弁してって思ったけど、ひいちゃんはそんなこと気にせず、可愛いなぁ元気だなぁ、マキナの子もこんなに元気に生まれて欲しいな、って考えてた。
べちゃべちゃの下にあるヤマトの手はふわふわで、でもギュッと、 離してくれそうになかった。

ヤマトには、もう随分会ってない。進学で地球に行ってしまったから。

会いたいな、なんて思わない。
ヤマトとは根本的に、脳が合わないんだ。子供の頃は、いきなり近づいて「ワッ!」って脳波を揺らしてやったりしてたけど、 成長するにつれて、それは特別な人にしかしてはいけないのだ、と言われるようになった。
そういう戯れが無くなり、ちっちゃい頃から喧嘩してまた遊んでを繰り返してた私たちは、ただの脳のつくりが合わない他人になった。

会いたいな、なんて、思わない。
でも、 ひいちゃんが手を繋いだあの浅黒い肌の彼と、 赤ちゃんの頃のヤマトの手と。その感触が残ってるうちに、今を知りたい、と思った。
ひいちゃんが味わわせてくれた、肉体の片鱗。
あのべちゃべちゃでふわふわの手は、 今どうなっているんだろうと、 興味が湧いた。これはもう、シンプルに、人体への興味。

ヤマトに、コネクトしてみた。いきなり顔見せたくないし、音声だけで。

「……何」
「え、何となく。今いいの」
「はぁ、まあいいけど」

早速後悔した。ここまで鬱陶しそうにされるなんて。 私何もしてませんけど?変な気まぐれ起こすんじゃなかった。

「あのさ、3D に切り替えてもさ、いい?」
「えっ、ダルぅ……」
「あっそ、じゃあいいです。切るよ」
「や、まぁ、別にいいけど?」

終始上からなのが鼻につくけど、意外にもヤマトは応えてくれた。

「そん代わりさぁ、補正すんなよ。みんな同じに見えるし」

ドキッとした。私は、コネクトの時は必ず輪郭は尖らせ、目は大きく補正するから。

「はっ。ヤマト相手に補正してもしょうがないし。そっちもね」

何も言わず 、ヤマトは切り替えた。やっぱ髪がクルクルの、ひょろりとした、色白の男の子が出現した。そいつは

「お前、顔丸ぅ」

と片頬で笑った。また、興味本位で声を掛けたことを再び後悔した。

「で?なんでわざわざコネクトしてきた訳?」

私はざっと事の経緯と、「ヒトの成長に伴う皮膚の変化を検証したくて」ということを話した。

「具体的に、何がしたいかっつってんの」
「……そういう言い方しか出来ないんだね。19年間生きてて引き出し 1 個しか持てなくてかわいそ」
「うぜ。質問応えろよ」

もうヤダ。強制終了したくてたまらなくなったけれど、もう会話する理由なんてない私たちの、これが最後のコネクトになるかもって思ったら、妙にプレミアを感じて、逃げる気をなくしてしまった。
すっ、と、右手を胸の辺りまで上げて言った。

「手の平をさ、合わせてくれない?」

はっ?!と言ったヤマトを見て、私は、形勢逆転だなぁ、と考えていた。狼狽するヒトというものを、久しぶりに見たかもしれない。

「何何?そんな意識するー?」

私も、ヤマトの狼狽と同程度のダサい挑発をする。
もし私の曾孫が、この記憶を覗いたらどう思うんだろう。わー気まずい気まずい、って out するかも。

「いやまぁ、別にいいけど?手の平合わせるだけでしょ?」
「そ、合わせるだけ、だからヤマトさんでも大丈夫だと思いますよ?」

うざ。徹頭徹尾うざ、と言いながらも、ヤマトは、

「……手洗ってくる」

と背を向けた。

「は?3D 越しだよ?必要なくない?」
「ヤダ、なんかヤダ。お前も洗え」

渋々、私たちは手洗いタイムを取った。
私が戻ると、ヤマトは先に戻ってきていた。

「じゃ、ちゃちゃっとお願いします」

変な意味が発生しないように、私は抑揚も情緒も感じさせないように言った。
右手を上げ、少し前に出した。視線は、自分の手の甲に。
ヤマトは、フンと鼻で笑う。そして、左手をスッと出し、私の手の平に合わせた。

もうずいぶんと、手なんて酷使しない私たち、いや少なくとも、ヤマトの手は、赤ちゃんの時みたいに柔らかい皮膚をしていた。 ひいちゃんが手をつないだ彼の、かさついた皮膚とは全然違う。

だけど、その皮膚の下に、節くれだった骨があった。見えないけれど、あった。
私と全然違う骨があった。

もう、 男とか女とか、 役割は変わらないのに。みんな同じプロセスで生まれて育成される時代になったのに。 何で私とヤマトの骨は違うのだろう。 ヤマトは今、私の骨をどう感じているんだろう。

ただただ、 自分の手の甲を見つめ続けていた。 私が少し左に眼球を揺らせばヤマトの目が見える。そしてその時に、ヤマトもまた少し右に眼球を揺らせば。
でも、そんなことはしなかった。出来ない訳じゃない。しないだけ。

「もういい?」

私の答えを待たず、ヤマトは左手を下ろした。
どーも、おつかれさま。そう言って私は視線を左斜め下にずらし、ヤマトの喉で主張する、私にもあるはずだけど良く見えない、喉仏という骨を見ていた。

ね、曾孫さん。まだ見てる?
今やきもきしているでしょう。
7 枚目ぐらいのレイヤーを見て、何でこいつ何も言わないんだ、って。
まぁ、見てないかもしれないけど。

私は、ちょっと私の遺情報整理担当者のために、「オチ」というサービスを提供したくなった。

「ねぇ、ヤマトはさ、今の記憶、80 年後くらいにダンシャリする?」

はぁ?何言ってんだお前、って返ってくると思ってた。でも、返ってくる言葉はなくて、しばらくの沈黙の後、

「その時にならないと、分からん」

と、ぽつりと言った。

滋味深過ぎる。
きっと今よりずっとずっと合理化された未来には、 私たちの付けた精一杯の「オチ」 なんて、意味不明な言葉でしかない。
いや、もしかしたら、言語そのものが意味不明なのかもしれない。
そもそも、遺情報整理なんて習慣も、いつまであるか分かんない。

それでも、 私は、ひいちゃんが分けてくれた、 肉体の片鱗というものを確かに受け継いだ。
曾孫さんにこの瞬間が見つからなくても、今、それは、ここにあった。
ひいちゃん、私もね、ダンシャリなんてしない。
全部全部抱えて、そして死んでいくよ。




inspired by だいしきゅーだいしゅき / femme fatale

コッテコテのアイドルソングを基に、比較的真面目な短編を書く試み。

みたらし団子を買って執筆のガソリンにします