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[未来志向vsイマ志向]ずっと、未来志向で生きてきた

ずっと、未来志向で生きてきた。

元来、計画的でまじめな性格である。
小学生の高学年から大学進学くらいまでの間は、「将来の役に立つだろうから」「将来の選択肢が広がるから」という理由で、世間で言ういわゆる”がり勉”に該当するくらいに勉強をしてきた。大学生になってからも、もてあます時間の使い道としてなにか有意義なことをしなくては、と思い公認会計士の勉強を始めた。

はっきりとした志望校や就職先があるわけでもなく夢があるわけでもなく、今となってはよくあれだけ頑張れたものだと思うけれど、何も決まっていなくて未来が見えなかったからこそ、勉強しかしておくべきことが思いつかなかったのだとも思う。資格など、なにか形あるものがあれば、自分は頑張ったのだと言えるし、達成感が得られる。

一方で、勉強さえしておけばいい、と思っていたわけでもなかった。人生を「充実」させなくては、と強く思っていた。
日々の時間をめいっぱい、勉強や部活、友達との遊びで埋められると満足した。また、大学生になりたての頃は、今しかできないことをいっぱいしようと思った。授業、サークル、バイト、恋愛。

おそらく、無為に時間を過ごすことが怖かったのだと思う。
特段の趣味もなかった私は、なにかに没頭するというよりは、「充実した一日を過ごした」と言えるかどうかを気にして生きてきた。なにかしら「これをした」と思えるものがないと不安だった。自分が楽しいかどうかは二の次。
未来の自分に「なんであんな無駄な時間の過ごし方をしたのだろう」とだけは思われたくなかった。

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これまで未来志向で生きてきた私だけれど、最近は少し考えが変わってきた。

きっかけは、今を全力で生きている人たちに出会ったこと。
興味本位で入ったオンラインサロン「箕輪編集室」では、「努力は夢中に勝てない」と言う箕輪さんを筆頭に、みんななにかしらに熱中して、ある意味常識外れに生きていた。彼ら彼女らは、ただ自分の好きなことをしているように見えて、実は自分が人生において何がしたいかを考えつくし、そして実際に行動に移していた。勢いがあった。

その頃、私は会社というものに守られている実感があったから、なにかを変えようとしなくたって、そのままなんとなく生きていくこともできたと思う。
でも、よくわからない違和感があった。現状維持で頑張り続けることは、将来のためにはなるだろうけれど、それは本当に自分が望んでいる将来なのだろうかー。

結局、私は転職をした。最終的に今の会社で働こうと決めたのは、「今、この会社に入らないと絶対に私は人生後悔する」と思ったからだった。
これまでの人生の中で漠然と抱いていた「こんなことがしたい」「こういうことのために働きたい」という思いが、ここなら叶えられそうだと思った。

今、私には仕事でも仕事以外でもやりたいことがたくさんあって、私の持てる力では足りないくらいである。
モチベーションは相当高い。モチベーションというよりも、やりたいからやっているという感覚。
でも、不思議なことに、「頑張っている」という感覚はまるでない。

また、将来に対する不安がほとんどない(ような気がする)。未来のことは未来の自分任せである。
見えない未来を不安に思うあまりに今やりたいことを後回しにして、本当にやりたいことをやらないままに人生が終わってしまうことのほうがリスクだと考えるようになった。

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イマ志向で生きている今がとても楽しいな、と思うと同時に、ふと、
“未来の可能性を少しでも広げておかなければいけない、充実した毎日を送らなければならない”
そんな強迫観念に縛られていた私の学生時代はかわいそうなものだっただろうか、と考える。

逆説的ではあるけれど、今まで未来志向で生きてきた恩恵を、全力で感じているのが今である。
―莫大な時間と集中力を使って、積み重ねてきたものは大きい。
―体系的に詰め込んだ知識も大きい。
―学生という学びに集中できる時間はものすごく貴重である。

一方で、そんな恩恵を取り崩してばかりいるわけでもないのだ。
今は今で、やりたいことをやりきるために(そしてなにより自分が楽しむために)、最大限の努力を積み重ねている。
「将来の役に立つこと」や「なにかしらつぶしの利くこと」に対する努力ではなく、ただ、「今やりたいこと」のためにする努力である。

今、一番モチベーション高くできること。自分が一番幸せに思えること。
将来の役には立たないかもしれないけれど、これをやらなきゃ人生後悔するかもしれないこと。

そんなことのためにする努力だから、妥協はできればしたくない。
方向性は違えど、”未来志向の私”に負けず劣らず”イマ志向”の私も努力家のようである。

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ずっと、未来志向で生きてきた。
「頑張る」のが好きだった。
「頑張っている自分」は肯定しやすかった。

それは、きっと間違っていなかった。
実際、今の私は過去の自分に死ぬほど感謝している。

でも、これからは、イマ志向で生きていく。
未来のために頑張るのではなく、“イマ”を好きに生きる。全力で。

明日、私が何を考えてどう生きているかはわからない。もしかしたら道を引き返したくなっているかもしれない。
でも、その時はその時だ。まあなんとかなるでしょう。よろしく、明日の自分。