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黒部峡谷鉄道トロッコ電車の旅

「GW、どこ行こっか」

という会話を、GW初日にしたことがある。無論、どこにも行けなかった。しまなみ海道へ行ってはどうだろう、高野山を訪れてみてはどうだろうと幾つか案は出るのだが、宿や交通手段を考慮すると些か不安な気持ちに襲われ、「また今度にしよっか」と落ち着くのである。GWの予定はGWが始まる前に立てよ、という可愛らしい教訓と、無計画な自分たちを揶揄する笑い声に包まれて作戦会議は幕を閉じたのだった—。

「秋だね」

この台詞を使う時がようやく来た。いや、来たのか?「秋だったね」と言う方が正確なほど、季節は俄に移り変わってしまった。GWに上手く旅に出られなかった友人と私は、蝉が鳴く間ずっと待ち望んでいた「紅葉」の景色を見に行こうと、再び計画を立てることにした。もとい、無計画さは変わっておらず、今度の旅も車や宿の手配をしたのは出発の前日。それでも、無計画というのは最高の計画であり、「とりあえず」手を打って後で修正していく方がはるかに柔軟な旅になる、というのもまた一つの教訓であった。

旅の目的地は、黒部である。

紅葉を目的とした旅というのは、期待と不安の混じり合う旅である。色づき始める時期は地域によって異なり、いつまで見頃なのか、そして当日の天気は問題ないのかといったことを気にしながら旅路を往かなくてはならない。おおよそ、恋人同士の旅には一番不向きな部類の旅ではないだろうか。同時に、失敗したときに「ああ、今度こそお前たちの一番きれいな姿を拝ませてもらうぞ、紅葉め!」という強い復讐の念が芽生え、リトライするマインドになりやすいのも紅葉の旅である。

今回の旅では—。

その不安は杞憂に終わった。前日に約300kmの車の旅を済ませ、魚津に宿泊していた私たちの目の前には、晴れ渡たり僅かに霞がかった日本海と、朝陽に燃える山々があった。宿から黒部渓谷鉄道の出発地点である宇奈月駅までの道を、太陽に向かって走る。眩しくて仕方がない。けれどその眩しさがたまらなく嬉しかった。細まった目には、今日の日の眩しい思い出が差し込み始めていたのである。「とってもいい天気だね!!」こう言わずにはいられなかった。

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トロッコ電車に乗るのである。もうこのフレーズからしてワクワクする。地下鉄でもタクシーでもなく、トロッコ電車なのだ。このトロッコに対する感情は、おそらく幼稚園児のころからまったく変わらないのだろう。いくら歳を取ってもこのワクワクは変わらないものなのだ。例によって予約は出来ていなかったので、第二便の当日券を購入することに。少し左に寄せすぎた車を置いていき、駅へと急ぐ。この時、トロッコ用にと持ってきていたウィンドブレーカーを車中に置いてきたことを後に後悔する。

駅舎では行列が出来ていた。切符の列かな、そう思い並んでみると、最後尾だったお姉さんが「切符なら向こうです」と声をかけてくれた。どうやら、改札待ちの列だったようだ。お姉さんに礼を言い、窓口へ走る。走る間に、なんて優しい人だろうと振り返る。最後尾、かくあるべし。列があったらとりあえず並んでみるような与太郎にとってはなんともありがたい人だった。

席は残っていた。終着駅の欅平までのチケットを手に入れると、既に改札は開き、入場が始まっていた。4号車くらいだったと思うが、吹きさらしの屋形船に車台をつけたような(トロッコといえばどれもそうだが)車両に乗り込む。まもなくして、電車は声を荒げ始めた。

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トロッコ電車の旅は、この上なく愉快だった。青空と済んだ水面、色とりどりの紅葉の中を、自らもその山肌の一部であるかのようにオレンジに染まったトロッコが走り抜けていく。マスクの下で口元を緩ませ、笑っている自分がいた。都会では味わえない体験に心から感動した。なんて素敵なところなんだろう。ところどころでトンネルにさしかかると、トロッコが鼓膜が破れるんじゃないかと心配になるくらい音を出す。隣の人の声も聞こえない。しかしトンネルを抜けるとそこは…である。川端康成はこのトロッコ電車に乗ったらなんと表現しただろうか。湾曲した暗闇のアーチの額縁に、これでもかと色彩がはめ込まれていた。

いくつかの中継点を経て、欅平まで電車は登ってゆく。が、紅葉に慣れてくると寒さが襲ってきた。出発した瞬間から寒さを感じていたのだが、これが後半になってくるとさすがに堪えた。陽に当たるとマシだが、常に風を感じるのでとにかく寒い。友人と肩を寄せ合って、おしくらまんじゅうしながら登っていく。その間にも、機関車さんはシャキシャキと仕事をこなすのであった。欅平についたらまず温泉に入ろう、という合意が図らずして形成されていった。

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機関車が役目を果たすと、なんとも秘境といった感じの駅に着いた。欅坂という表記が駅構内にあったので欅坂46(今は櫻坂)の聖地になってもいいのかなと思ったが、これほどまでに山奥へ巡礼の旅をするファンはそうおるまい。紅葉をバックに、欅平の看板とパシャリ。撮ってくれた母娘もお礼にパシャリ。良い旅を。駅舎の屋上へのぼってパシャリ。さぁ、温泉はどこだ!

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今回お世話になったのは駅からすぐの猿飛山荘さん。声をかけると「お風呂ですか?」と訊かれ、首を縦に振る。体は冷え切っていた。お金を払うとすぐ後ろを指して、「そこからどうぞ」と。こんなところに入り口があったのか。ロッカーもなく、脱衣所と湯舟が同じ空間にあるまさに「露天風呂」といった感じであった。このテの風呂は初めてだが、そんなことはどうでもいい。先客はいない。上着を脱ぎ、ズボンを脱ぎ、生まれたときの姿にもどって湯を目指す。湯があるからこその行為である。湯舟は、私のつま先を弾いた。痛い。温度差がありすぎて痛い。でもお構いなく体を沈めていく。

「ふぅ~、、、」

北島康介さん、あんたに負けないくらい気持ちよかったよ。冷え切った身体に熱が伝わり、力が抜けていく。目の前の紅葉を独り占め。最高です。湯舟につかりながら「こんなのありですかぁ~」って感じ。口には出さないけれど。本当に気持ちよかったのです。気になる人は、ぜひ紅葉の季節に朝イチのトロッコ電車に乗ってここの湯に浸かってみてください。後悔はさせません。

湯から上がると寒さはどこへやら。友人と合流して、ルンルンで河原園地へ。そこからまた駅へ戻り、今度は奥鐘橋を渡って祖母谷温泉の方向を目指す。帰りのトロッコ電車の予約があったので、名剣温泉でお昼を頂いて引き返すことに。3人で1匹の岩魚をつつきながら、各々蕎麦をすする。岩魚はあっという間に骨になった。どんなにお金持ちになっても、魚を綺麗に食べつくすこの心意気だけは忘れたくないものである。頭だけになった岩魚をあとに、スタスタと駅までの道を急ぐ。

帰りのトロッコ電車も吹きさらしの普通客車。今度は途中の鐘釣駅で途中下車することに。

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鐘釣では、河原に湧いている露天風呂で足湯を味わった。本流は冷たいのに、隔絶された溜まりの部分はあったかい。靴を脱いで、裾をまくって。黒部川の不思議な自然を体で感じ、またも帰りの予約に置いていかれないように駅への道を戻る。

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お昼下がりだったが、登ってくる電車にはたくさんの人が乗っていた。ところどころ手を振ってくれる人がいる。私たちはそれに全力で応えた。「楽しんできてね」ちょっと先輩面していたのかもしれない。下り(正確には宇奈月行が上り列車)の電車がホームに入ってくる前に、駅員さんが電車と一緒に3人の写真を撮ってあげようと言ってくださった。とても気さくな方だった。撮ってくれた写真の出来栄えにもまして、駅員さんの優しさが胸に残った。

帰りの列車は最後尾の車両で、私たちのひとつ後ろの席では車掌さんがアナウンスをしていた。名所ごとにかかるあの「みなさぁ~~ん!ここでクイズでぇす~!」という女優・室井滋さんのウキウキなアナウンス(決して誇張ではない)も、車掌さんがボタンを押して流しているようだった。

「ここでクイズでぇす~!『くろべ』という地名の由来はどこからきているでしょう?」

答えはアイヌ語で「魔の川」を意味する「クルベツ」が訛って黒部になったのだという。室井さんが「でもどうしてこんなところでアイヌ語がぁ~?」と続けた瞬間、車内放送は駅接近のアナウンスに切り替わった。おそらくあの車掌さんが少し遅れたタイミングでクイズの放送をかけてしまったのだろう。私たちはなぜアイヌ語が富山の山奥と関係しているのか気になって仕方がなかった。未だに分かっていない。どうしてくれるのか。

魔の川。黒部渓谷鉄道に乗ってみて、この秘境を切り開いた人間の努力と苦労に想いを馳せずにはいられなかった。トロッコでも1時間半ほどかかる道のりを、電源を求めて人々は開発していったのである。特に黒部川第四発電所(黒部ダム)は世紀の大工事だったことで有名だ。道中にあるいくつかの発電所には関西電力の文字があるし、何を隠そうこの黒部渓谷鉄道もまた関西電力の100%子会社なのである。相当な困難を乗り越えた歴史がそこにはあった。それでも、関西電力における水力発電の割合は約10%にすぎない。

なんとかしてこのクルベツの水を治め、エネルギーを得たい。この人間の営みを、黒部の紅葉はどんな気持ちで見つめてきたのだろうか。純然たる自然の美しさは、未開の秘境にのみ残るのかもしれない。しかしその美しさに触れようと欲すれば、未開の秘境はもはや未開ではいられないのである。そんな相克を黒部で目の当たりにした気がする。

電車は宇奈月へと戻ってきた。

帰りの列車は高くなった陽のおかげもあって比較的暖かかった。友人が隣でうとうとしてしまうくらいだった。それでも、風に当たった身体を癒そうと、宇奈月でも温泉に入ることにした。残念ながら男湯からはトロッコ電車が渡る鉄橋を見ることはできなかったが、トロッコ電車の想い出を振り返ると十分なくらいポカポカした。

湯から出ると、車の旅が再び始まった。金沢ではとても美味しい、人情にあふれた居酒屋(酒と食遊人 みなと)に立ち寄った。刺身の桶のつまを食べきったことを女将が誉めて下さったことが印象に残っている。金沢でまた行きたいと思う店に出会えたことは幸せだった。そこから宿のある石川・加賀へと向かい、旅館で身体を休めたのだった。

総じて、黒部峡谷の旅は素晴らしいものだった。

もう、訪れることは無いだろうとも思った。それほどまでに、恵まれた旅だったのである。天気も紅葉もリベンジする要素は全くなかったし、もう一度行くことでこの想い出に傷をつけるようなことはしたくないとさえ思えた。それでもなお、再び訪れることがあるかもしれない。今度はどんな原動力が私を黒部へ向かわせるのだろう。それはそれで、楽しみだ。

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