「意識高い系」を紐解いてみる
はるか昔に書いた下書きが残ってたので公開してみます。ボランティアとかやってたりするとよく言われるやつですね。
はじめに
なんとウィキペディアに説明が載ってたので紹介します。
意識高い系とは、自分を過剰に演出するが中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。
まあまあ悪意があって笑いました。
言われる側は悪くない
何となく個人的な所感になってしまうのですが、「意識高いね~」と言われる人は、早くから知識を身に付けたり、広い視野を持って色々なことに挑戦したりと、いたってまじめな人が多いなという印象があります。アンテナが高く、行動力や挑戦意欲のある人。高校生の頃、誰よりも早くテストや模試の勉強に取り掛かる同級生を周りの人は「あいつ意識高いな」と揶揄していましたが、実際いい成績をとっていた印象があります。テスト3日前から全力で覚えて、終わったらすぐ忘れるを繰り返していたかつての私とは大違いです。シンプルにすごいなと思っていました。
大学生になると、ボランティアや学生団体をやってる人が「意識高い」と言われていた気がします。私は教育NPOに所属していましたが、「NPO」というのがパワーワードなのか何なのか、そういう言葉をかけられたことが何度かあります。私自身は意識が高いという自覚はなく、純粋にやりたいことをやってるだけだったので、傍から見るとそう映るのかと意外に思ったことを覚えています。だんだん「意識高い」と言われるのが面倒くさくなってきて、「サークルみたいな感じだよ~」と適当にごまかしてたこともありますね。「サークル」という響きはいかにも大学生らしく、先入観なく受け取ってもらいやすいワードなのかもしれません。
一方で「意識高い」と揶揄する側に意識高いと言われる人はいなかったように思います。言われる側の人は自身の行動基準が当たり前になっているので、周りにそういう人がいても特別意識の高さを感じないのではないでしょうか。
手を抜くことを正当化してるだけ
こう考えると、「意識高い人」という言葉は、行動力のない人が「あいつ意識高いよね」と揶揄することで一生懸命取り組んでいる人との間に一線を画し、「自分は彼らとは違うから」とサボることを正当化しているだけなのではないかということに思い至りました。頑張らない理由を作っているだけ。
そうすればもしうまくいかなかったときに「別に意識高くやってたわけじゃないし」と自分を擁護する理由ができます。そうやって自身を護りにいってるだけなんじゃないかな、とか考えてました。
「意識高い」という言葉に虚像をみる人
もうひとつの「意識高い」世界にいるのは意識高いと見られたい人だと思います。これは結構ウィキの説明に近いものがありますが、「意識高い自分」という虚像を作ってSNSなどで発信することで、自分は意識が高いんだと錯覚している人もいるなという話です。良し悪しではなく個人のスタンスだろうと思うのでそっとしておきますが、個人的には身の丈に合った自分でいたいですね…疲れそう…というただの感想でした。
おわりに
よくない印象を与えることばというのは、その前提に隠れた負のイメージがあるという話です。誹謗中傷は分かりやすく「よくないことば」として認識しやすいですが、一見相手を褒めているかのように見えるものもあるので、ことばは難しい、奥深いなと思いました。いつもこういう前提推意みたいな話に引っ張られますね…
ちなみに前提推意の話はこの記事でしています。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
おしまい。
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