テン年代アイドル論、あるいは・・・・・・・・・とはなんだったのか?

東京は、あらゆる計画をいつも裏切ったまちだ。(磯崎新『空間へ』)

ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である。(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』)

はじめに なぜいま「アイドル論」なのか?

 テン年代の前半くらいに、アイドル論やアイドル批評といったものが盛り上がりを見せたことがあった。いくつか具体例を列挙してみる。2011年、太田省一『アイドル進化論』。2012年、濱野智史『前田敦子はキリストを超えた』、小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史『AKB48白熱論争』。2013年、さやわか『AKB商法とは何だったのか』、安西信一『ももクロの美学』。2015年、香月孝史『「アイドル」の読み方』など。

 こうしたアイドル論の盛り上がりが生じたそもそものきっかけは、やはりゼロ年代の後半に、AKB48が目覚ましい活躍を見せていたことだっただろう。「RIVER」でオリコンウィークリーチャートの一位を初めて獲得したのが、2009年。そして翌年の8月に「ヘビーローテーション」がリリースされたころには、すっかり「国民的アイドル」として世間に定着していたように記憶している。こうしたAKBの快進撃が多くの人に様々な衝撃を与えた結果、その新しさやすごさを分析し、言語化しようとする試み、あるいはもう少し広く、AKB以後のアイドルやアイドルについての語りの分析をしようとする試みが、AKBのブレイクから数年遅れで現れてきた。先ほど列挙しておいたいくつかの著作がそれにあたる。

 もちろんアイドル論というものが昔からなかったわけではない。年代を遡ってみれば、平岡正明『山口百恵は菩薩である』(1979年)があるし、80年代アイドルを論じた稲増龍夫『アイドル工学』(1989年)は、アイドル論の古典と言ってよいだろう。しかしながら、特定のアイドルにかんするファン言説(例えば、どのアイドルが好きとか嫌いとか、曲がいいとか悪いとか、グループの苦労してきた歴史とか、○○ちゃんは~~なので推せるとか)にはとどまらないような文章が、テン年代の前半ほどたくさん書かれたことはあまりなかったのではないか。

 ではその後、テン年代の後半に入ってからはどうなったか。もちろんアイドル論は無くなってなどいない。例えば、塚田修一・松田聡平『アイドル論の教科書』(2016年)や西兼志『アイドル/メディア論』(2017年)などが出版された。また、『「アイドル」の読み方』の著者である香月孝史は、継続的に乃木坂46にかんする論考を発表している。しかしながら、テン年代のAKB以後のアイドル、その中でもとりわけ「地下アイドル」や「ライブアイドル」(以下では「地下アイドル」という呼称のみを用いる)と呼ばれるような一連のアイドルの展開にかんして、まとまった文章が書かれたことはあまりなかったようにおもえる(個々のアイドルにかんするファンブログなどは無数に書かれてきただろうが)。そしてこの文章を通じて行われるのは、そんなAKB以降の地下アイドルシーンにおいてどのような試みがなされてきたのかについて、ささやかな言語化を試みることである。

 つまりはこういうことだ。ゼロ年代にAKB48というアイドルに衝撃を受けた人たちがテン年代の初頭に行ったような作業を、テン年代のアイドルについても行うということ。とはいえこの作業はどう考えても一人のアイドルオタクの手には余りまくるわけだが、幸いにも導きの糸は存在する。しかもアイドルシーンの内部に。これこそが、「テン年代アイドル論」というタイトルの後に、「・・・・・・・・・とはなんだったのか」という問いが続いている理由である。

 ・・・・・・・・・とは、2016年に活動を始めた、いや、正確には「観測」されるようになったアイドルグループのことで、ドッツやdotstokyoなどと呼称・表記されることが多い(以下ではドッツで統一)。私の考えでは、ドッツの活動はそれ自体がテン年代のアイドルの批評になっており、それゆえにドッツとはなんだったのかを検討していくことで明らかになる内容は、テン年代のアイドルについてのひとつの批評でもある。その証拠に、ドッツには複雑なコンセプトがあり、なんとわざわざコンセプト担当なんて人までいる。彼の名前は古村雪といい、東浩紀が設立したゲンロン主催のアートスクール(主任講師は黒瀬陽平)を受講し、その成果展においてアイドルをテーマにした作品を出展して最優秀作品に選ばれたという経歴を持つ(あの浅田彰にも激賞されたらしい)。

 以上の経歴から容易に推察されることではあるが、ドッツのコンセプトは東浩紀に端を発するゼロ年代の思想からの多大な影響を受けている。しかしながら、古村がドッツのコンセプト担当として書いたいくつかの文章においては、東浩紀といった固有名が登場することはない。それゆえこの文章では、ドッツのコンセプトに影響を与えたと考えられる幾人かの思想家・批評家たちを取り扱っていくことになる。この文章の目次をみるとやたらにアイドルとは無関係そうな人名が並んでいるのは以上のような事情による。

 さてここまで、この文章を書く動機として、テン年代の地下アイドルについての批評がこれまでなかったことを挙げ、その後で、そうした批評を行うために、その活動自体がテン年代のアイドルの批評にもなっていたドッツについて考察する必要性に言及した。しかし本当のところを言えば、この文章を書く何よりのきっかけは、そもそも私がドッツのオタクだったところにある。ドッツを知ってもらいたい、そしてメンバーに喜んでもらいたい、というオタク心こそが、以下のすべての記述の根底にはある。であるからには、この「テン年代アイドル論」はどうしても偏ったものにならざるをえない。しかしその一方で、そうであるからこそそれなりの強度もまた有している、そう信じたい。そして本当にこの文章がそういった強度を持つことができたとすれば、他の人がまた新たな別の「テン年代アイドル論」を書きたくなってしまうかもしれない。そのためにもこの文章は書かれた。

1. ゼロ年代の思想──東浩紀の「ひとり勝ち」

 すでに述べたように、本論の主題であるドッツというアイドルグループのコンセプトの背後には、東浩紀に端を発する現代日本の批評の文脈がある。であるからには、東への言及を避けることはできない。ただし東の思想全般をここで要約することは不可能であるから、次節以降での議論と関わりのある範囲で言及していく。まずは、ゼロ年代の思想において東浩紀は「ひとり勝ち」であった、という佐々木敦による判定が意味するところを確認することから始めたい(なお本論では、思想と批評という言葉を、置き換え可能なものとしてかなりルーズな仕方で使っていく)。

 佐々木敦は『ニッポンの思想』において、次のように書く。

「ゼロ年代」になると、以前と同じ「ボード」では、もうもたないことが明白になります。〔中略〕そこでふたたび、新しく「ゲームボード」を設定し直さなくてはならなくなったのです。そして筆者が思うに、ただひとり東浩紀だけが、その「再設定」に成功したのです。(佐々木敦『ニッポンの思想』)

まず確認しておきたいのは、佐々木がゼロ年代を東浩紀の「ひとり勝ち」と判定する理由を、「ゲームボード」の「再設定」にこそ求めているということだ。つまり、「「なにが思想的だと思われるか」という問いに、それまでとはまったく別の答えを確保する試み」を行ったがゆえに、東は「ひとり勝ち」をしたという判定が下されている。

 では、いかなる状況がこうした再設定を東に強いたのか、また東はこの状況にどのように対応したのか。これらのことについても手短に触れておかなくてはなるまい。まずゼロ年代における思想・批評をめぐる状況とは、一言で言えば、批評がその普遍性を失った状況に他ならない。こうした状況は、東が『動物化するポストモダン』においても援用している、万人が共有できるような「大きな物語」の崩壊から無数の「小さな物語」の乱立へという構図に対応するものでもある。

 大きな物語から小さな物語へ。90年代の思想・批評という領域におけるこうした状況の一例として、東は批評の「棲み分け」を指摘した。すなわち、浅田彰に代表されるようなアカデミックな批評と福田和也に代表されるようなジャーナリスティックな批評との「棲み分け」である。もう少し砕いて言えば、前者はフランス現代思想を背景にしたいわば敷居の高い批評であり、後者は決して易しいわけではないものの雑誌や新聞などを含めた色々な媒体でとにかくものすごいペースで文章を書くというスタイルの批評だった。そしてこれら二種類の批評の間に分断があること、それゆえにどちらもがその影響力を失っていること、こうした状況を東は批評の「棲み分け」と名指した。

 この批評の「棲み分け」という問題に対する東の解答は次のようなものだった。

アカデミズムとジャーナリズムの分割を攪乱し、細分化した小さな「批評」たちの文脈を横断するためには、また別の言葉、思考のための新しい文体が必要とされるだろう。(東浩紀『郵便的不安たち』)

こうした東の姿勢がよくうかがえるのが、「いま批評の場所はどこにあるのか」というシンポジウムにおける東と浅田とのやり取りである。佐々木の『ニッポンの思想』からの孫引きになってしまううえに少し長いが引用しておく。

東 浅田さんと僕とで意見がただ一つ異なるのは、浅田さんは、良いテクストはどこかにポンとあったら誰か読むだろうっていう話なんですよね。
浅田 いや、読まないかもしれない。それは仕方がないでしょう。
東 読まなかったら、事後的に見ると単に消えたものですよ。
浅田 消えても仕方がないでしょう。
東 それはある種のニヒリズムなのであって、書きたい僕としてはそういう立場を取るわけにはいかないですよ。
浅田 僕はニヒリストであると自認するけど、誠実にやろうと思ったら、まじめに書いて、後は海に流すしかないと思いますね。
東 だから、僕はまじめに書いてますよ。
浅田 だから、それでいいじゃない?
東 僕はそうしているわけです。それで、プラス・アルファのこともやっている。それで誤配可能性が高まるんだったらいいじゃないですか。

ここでの浅田に対する東の批判は、アカデミックな浅田がジャーナリスティックな視点、すなわち、批評を市場に流通させるという視点を持たないという点に向けられている。そしてこのことは、佐々木が指摘しているように、「コンスタティヴ」と「パフォーマティヴ」を区別することはできない、という論点と関わっている。これは、東がジャック・デリダの議論をもとに『存在論的、郵便的』において論じたものであるが、簡単に言えば、どれほど著者がまじめに考え抜いて文章を書いたとしても、それは常に思わぬところへと「誤配」され、思わぬ形でふまじめに理解・消費される可能性から逃れることはできない、ということだ。だからこそ、文章が流通して事後的に生まれる効果のことも批評家は考えておく必要がある、これが「パフォーマンス」を重視するということである。このような意味において東は浅田と一線を画した。

 東が『存在論的、郵便的』を書いた後、『動物化するポストモダン』を始めとするオタク評論へとかじを切り、さらには「あずまん」という愛称で呼ばれるほど積極的に、様々な場面で「パフォーマンス」をしていたのにはこのような背景があった。言いかえると、批評がその普遍性を失って、単なる趣味の一つとなったという90年代の情勢(批評の「趣味化」「サブカルチャー化」)を認識した上で、「オタクたちをあるていど巻き込んで市場を拡大するほかない」と考えたからこそ、書いたらそれでおしまいの浅田とは違って、「パフォーマンス」まで込みの言論活動を東は行っていったのだ。

 そして佐々木が東浩紀の「ひとり勝ち」を主張した理由は、東が「パフォーマンス」のことまで考えて、批評というゲームのルールを意識的に再設定したところにあった。ただし注意しなければならないのは、東はジャーナリスティックな福田からも一線を画していた、ということだ。東は単にジャーナリスティックに、つまり流行りのアニメやゲームの話に安易に乗っかって話題をさらおうとしたのではない。そうではなく、オタク的な話題を扱うことによって、オタクたちを予期せぬかたちで批評のほうへと引きずり込もうと試みていた。これこそが、「オタクたちをあるていど巻き込んで市場を拡大する」ということであり、「誤配」を生み出すということだろう。

 こうした東の戦略は、ゼロ年代の終わり、2009年になっても変わっていなかった。『ゆるく考える』に収録されている「娯楽性について(2)」という文章の中で東は、「パフォーマティヴな効果」を考慮した上で批評を書く必要性を、「娯楽性」という言葉を導入して再度主張している。

娯楽性とはなんでしょうか。それはひとことで言えば、こちらにふまじめにしか接してこない人間を、掴み離さない能力のことです。〔…〕これからの思想や批評は、誤配可能性を宿すためにこそ、一定の娯楽性を宿さなければらない。(東浩紀『ゆるく考える』)

この時点で東は、いわば批評の娯楽化を主張していたと言える。そして少し先回りして書いておくと、この批評の娯楽化に対して、アイドルによる「パフォーマンス」という娯楽の批評化でもって応じたのが、これから論じていくドッツの試みであったと言えるだろう。しかしこのことを確認していくためには、やはりドッツ以前のアイドルやアイドルについての思想・批評について様々に確認しておく必要がある。次節ではまず、ゼロ年代のアイドル、AKB48を取り上げる。そこでは、本節で言及した佐々木による「ゲームボード」の「再設定」がもたらす「ひとり勝ち」という観点から、AKB48の分析を行っていく。

2. ゼロ年代のアイドル──AKB48の「ひとり勝ち」

 ゼロ年代におけるアイドルといえば、やはりAKB48だろう。2005年から活動を開始したこのグループは、とりわけゼロ年代の終わりからテン年代前半にかけて目覚ましい活躍を見せた(初のオリコンウィークリーチャート一位の獲得が2009年)。ここでは活動開始時期も踏まえてゼロ年代のアイドルと位置付ける。とはいえCD売上を始めとした活躍のみによっては、AKB48の「ひとり勝ち」を言い立てることはできないだろう。こういう水準の議論であれば、「いやAKBのCD売上などインチキで価値がない云々」といった反論に巻きこまれざるをえなくなる。だからこそ、ここではアイドルという領域における「ゲームボード」、すなわち「なにがアイドルだと思われるか」という前提の「再設定」を行ったという観点から、AKB48の「ひとり勝ち」について検討する。

 では、AKB48は「なにがアイドルだと思われるか」という問いに対してどのような回答を示し、「ゲームボード」の「再設定」を行ったのか。それはよく知られているように、「会いに行けるアイドル」という答えを提出することによって、であった。より詳しく言えば、AKB48は、テレビをはじめとするマスメディアとは切り離すことの出来なかった従来のアイドルのゲームボードを離脱し、インターネットやAKB劇場におけるコミュニケーションの近接性を売りにすることで、新たなアイドル像を提示したのだ。そしてAKB48が、CDがよく売れている「国民的」アイドルグループとなっただけでなく、従来のアイドル像との大きな断然を含んでいたからこそ、次節で取り上げる宇野常寛や濱野智史をはじめとする論者たちは、テン年代の前半に盛んにAKB48のことを論じるようになったのだろう。

 ただし、併せて強調しておかなければならないのは、AKB48はこうした断絶を含んでたとはいえ、過去の様々なアイドルと無関係であったわけではない、ということだ。それどころかむしろ、『僕たちとアイドルの時代』でさやわかが的確に指摘しているように、AKB48とは「過去のアイドルがやってきたことを総合した」グループであった。具体的にどのような点を総合したのかについてはさやわかの分析を参照して頂きたいが、少なくとも、アイドルに限らず、何か新しい試みというものは、過去の様々な蓄積を参照したり、意識的であれ無意識的であれそれらから影響を受けたりすることから生まれてくるということは間違いない。この点については、テン年代後半のアイドルであるドッツについて論じる際にも改めて強調していくことになるだろう。

 さて、AKB48が以上のような意味での「ひとり勝ち」を成し遂げ、その地位を確固たるものにしていたテン年代の前半には、すでにアイドルシーンにおいてまた新たな展開も進行していた。すなわち、AKB48のような「地上アイドル」に加えて、無数の「地下アイドル」グループが結成され、「アイドル戦国時代」なる言葉が生まれるくらいには盛り上がりを見せていたのである。テン年代前半のアイドルシーンについて、詳しくは第4節で取り扱うが、この新たな展開をもたらしたのはやはりAKB48だった。なぜこんなことが言えるのかといえば、AKB48 の「会いに行けるアイドル」というコンセプトには、あるジレンマが含まれていたからなのだが、これ以上の記述は第4節で行うこととして、まずは次節で「ゼロ年代のアイドル」の思想、すなわち宇野と濱野によるAKB批評について見ていこう。

3. 「ゼロ年代のアイドル」の思想──宇野常寛、濱野智史

 この節では宇野と濱野が、AKB48にどのような可能性を見出していたのかということを明らかにしたい。とはいえ彼らの議論は、東の『動物化するポストモダン』の議論の延長線上にあるものなので、まず東の議論を手短に紹介するところから始める。なお本節の以下の記述は、以前書いたブログ記事(「Tokyo in Books――・・・・・・・・・の思想的背景について」)の一部を再構成したものとなっている。

動物の時代と環境管理型権力

 『動物化するポストモダン』において東は、大澤真幸による時代区分を引き継ぎながら、1995年以降を動物の時代と規定し、この時代のオタクについて分析を行った。動物であるとは、もはや満たされても消えることのない欲望を持つ人間ではなく、特定の対象について、それが充足されれば満たされる単なる欲求(例:おなかがすいたのでご飯を食べたら満足)しか持たないということだ。東はこのことを、オタクがどのようにして「萌える」のかを例に挙げて説明している。オタクが萌えるのは、キャラクターにおける猫耳のような紋切り型の「萌え要素」と呼ばれるものに対してであって、そこではもはや物語のストーリーがどうこうといったことは二の次でしかない。このとき、オタクはそれら「萌え要素」が登録されている「データベース」に接続している。ゆえに東はこうしたオタクの行動様式を「データベース消費」と呼んだ。

 整理すると、大きな物語の消失によりもはやオリジナルもコピーも無くなったシミュラークルの層がある一方で、「シミュラークルとは決して無秩序に増殖したものではなく、データベースの水準の裏打ちがあって初めて有効に機能している」 。シミュラークルの世界は決して何でもありなのではなく、データベースへの参照によって良し悪しが決まっている。このように、『動物化するポストモダン』は、大きな物語が失われた時代=ポストモダンにおける消費社会論であった。もちろんこれはみんながオタクになったという話ではなく、また反対にオタクという限られた人たちの特殊な事情について論じているのでもない。こうした分析を通じて、ポストモダンの新たな人間性を、つまり「データベース的動物」というあり方を、析出する試みであった。そして、以上のような東による消費社会論は、実は権力論と対になっている 。ではそれはいかなる権力論か。

 『動物化するポストモダン』のシミュラークルとデータベースの二層構造は、前者において自由にシミュラークルの戯れを行うと同時に、後者がそうした戯れを管理するという構造になっている。つまりそこには「自由と管理の二層構造」があるのであり、権力論は後者の「情報管理のシステム」についての分析を行うものになる。そして、こうした管理を行う権力こそ、「環境管理型権力」と呼ばれるものに他ならない。

 この環境管理型権力は、フーコーやドゥルーズの議論を下敷きにしているものなので、これについてはフーコーの「規律訓練型権力」という概念と対比させながら確認しておきたい。まず規律訓練型権力とは、学校の教育などを通じて規範を個人に内面化し、自ら進んで社会の規範に従うように仕向けるような権力である。このようにして規律訓練型権力は価値観を共有させようとするが、何度も見てきたようにポストモダンにおいては大きな物語は消失しているから、こうした戦略はもはや有効ではない。そこで次に管理社会がやってくる。そこでは個々人の価値観の多様性(シミュラークルの層に対応)が認められる一方で、人々の動物的な部分に働きかけることで管理が行われる。有名な例として、マクドナルドが椅子を固くすることで客の回転率を上げるというものがある。

 こうした権力を東は批判しているのだろうか。そうではない。2003年の時点で、東は次のように述べている。

 それ〔=環境管理型権力〕は、良く言えば、多様な価値観を共存させる多文化でポストモダンなシステムです。しかし、悪く言えば、家畜を管理するみたいに人間を管理するシステムでもある。この二つは同じことなのです。 (東浩紀、大澤真幸『自由を考える――9・11以降の現代思想』)

以上のように、この時点の東は環境管理型権力に対して両義的な態度をとっている。しかしその後の東の歩みから判断すれば、こうした環境管理型権力を所与として、その中でいかに環境あるいはアーキテクチャを良い方向に改良していくか、という方向に向かったと考えられる。それゆえに、ショッピングモールや観光といったテーマについて議論を行うようになったと考えられる。

新しい想像力と拡張現実の時代

 宇野の議論へ移る。以上のような東の議論を、2008年の『ゼロ年代の想像力』において批判した人物こそが宇野常寛であった。ただし、東を批判しているとはいえ、あるいは批判しているからこそ、宇野の議論における東の影響力は計り知れないものであり、その批判は東の議論と大きな枠組みを共有していると言える。では、宇野による批判とはどのようなものだったのか。それは端的に言えば、東が設定した動物の時代にさらに細かな区分を加えて修正するというものだった。具体的には宇野は、1995~2001年までの「引きこもり/心理主義」の時代と、2001年以降の「決断主義」の時代という区分を新たに導入する。以下では、この二つ時代がどのようなものであるのかを確認していきたい。

 まず、「引きこもり/心理主義」の時代を理解するために、宇野による二つの『新世紀エヴァンゲリオン』についての解釈を辿っておく。一つ目の『エヴァゲリオン』は1995~96年にテレビで放映された『エヴァンゲリオン』を指す。その最終回で主人公のシンジは、父から課せられたロボットに乗って「使徒」を倒すこと(=「社会的自己実現」)を拒絶し、自らの内面に「引きこもる」ことを選択する。こうしたシンジの選択は、努力をすることで社会的自己実現をはたすというかつて機能していた回路が、大きな物語の消失によってもはや機能不全に陥っているということを反映している。

 しかし、1997年公開の『Air/まごころを、君に』という『エヴァンゲリオン』の劇場版の結末では、世界は滅亡し、シンジはヒロインのアスカと二人だけでそこに残されるが、アスカはシンジを「キモチワルイ」と言って拒絶する。これは、「ポストモダン状況下においても、人は時に傷つけあいながらも他者に向き合って生きていくしかないのだ、というシビアだが前向きな現実認知に基づいた結末だった」 として、宇野は評価している。ゆえにここに現れている思想は「引きこもり/心理主義」の時代と区別され、「九五年の思想」と呼ばれる。

 とはいえ、『エヴァンゲリオン』劇場版を始めとする「九五年の思想」はすぐに挫折したのだと宇野は言う。そしてこの挫折を象徴するのが「セカイ系」と呼ばれる一群の作品である 。アスカに拒絶されるというような結末を受け入れることができないがゆえに生み出されるのがセカイ系の作品であり、それは「引きこもり/心理主義」時代の完成形だと言える。こうした作品における想像力を宇野は「古い想像力」と呼び、ゼロ年代以降の「新しい想像力」と区別する。ではこの新しい想像力の時代はどのようなものなのか。

 ゼロ年代に入ると、小泉政権による構造改革によって格差が広がっているという意識が広がった。するとシンジのように引きこもっていては生き残れない、という「サヴァイヴ感」が生まれてくる。以上のような情勢を宇野は次のようにまとめている。

世の中が「正しい価値」や「生きる意味」を示してくれないのは当たり前のこと=「前提」であり、損な「前提」にいじけて引きこもっていたら生き残れない――だから「現代の想像力」は生きていくために、まず自分で考え、行動するという態度を選択する。たとえ「間違って」「他人を傷つけても」何らかの立場を選択しなければならない――そこでは究極的には無根拠であることは織り込み済みで「あえて」特定の価値を選択する、という決断が行われているのだ 。(宇野常寛『ゼロ年代の想像力』)

こうした生き残るために決断をしなければならないような時代を、宇野は「決断主義」の時代と呼んだ 。そして宇野は、ゼロ年代にセカイ系にかんして評論をし、評価もしていた東を、「古い想像力」を評価し続けることでこうした時代の変化を取り逃がしている、として批判した。とはいえ繰り返すが、両者の問題意識は非常に似通っている。このことは次のような宇野の記述からもはっきりと窺える。

私たちは、多様すぎる選択肢の中で(もちろん、これはあくまで単一化の進むアーキテクチャーの枠内での選択である)から無根拠を踏まえた上で選択し、決断し、他の誰かと傷つけあって生きていかなければならない。この身も蓋もない現実を徹底して前提化し、より自由に、そして優雅にバトルロワイヤルを戦う方法を模索することで、決断主義を発展解消させてしまえばいいのだ。ひとつの時代を乗り越えるために必要なのは、それに背を向けることではない。むしろ祝福し、めいっぱい楽しみながら克服することなのだ。 (宇野常寛『ゼロ年代の想像力』)

ここに現れている宇野の姿勢は、先ほど紹介した東の環境管理型権力に対するそれと酷似している。さらに興味深いことに、この引用箇所の直前では、社会学者の稲葉振一郎がフーコーについて述べている文章が引用されている。その要旨は、権力に抵抗するのではなく、それをいかにうまく活用するのかを考えるべきだ、というものだ。これに賛成している宇野は、フーコーの権力論を前提としながら、彼が明らかにした権力の仕組みに抵抗するのではなく、それを所与として受け入れた上でいかに良い方向へと作り替えていくのか、という問題意識を有する点でやはり東と一致している。

 さらに宇野は、2011年の『リトル・ピープルの時代』において、95年以降の時代を、大澤の「不可能性の時代」とも東の「動物の時代」とも「半歩ずつずれたもの」として、「拡張現実の時代」を提唱した。ここで言われる拡張現実とはどのようなものなのか。長くなるが宇野による説明を引用しておく。

冷戦が終わり、やがて貨幣と情報のネットワークが国家たちよりも上位の存在として定着していったとき(グローバル資本主義)、世界を支配するもっとも「大きなもの」はビック・ブラザー(疑似人格化し得る国民国家)ではなくなった。ビック・ブラザー亡きあとのリトル・ピープルの時代――それは、世界が非人格的なネットワークによってひとつにつながれた時代、世界に〈外部〉が存在しなくなった時代だ。このとき、〈現実〉に対置し得るものはかつての意味での〈虚構〉ではあり得ない。かつてのように、失われた大きな物語を埋め合わせるために〈ここではない、どこか〉=〈外部〉に消費者たちを誘う「仮想現実」ではもはやあり得ないのだ。〔…〕そんなときに〈反現実〉として作用するもの、それが私たちの想像力によって彩られ、多重化した〈いま、ここ〉の現実、すなわち〈拡張現実〉なのだ。(宇野常寛『リトルピープルの時代』)

こうした主張があった上で、宇野は現実を多重化して拡張するものとしてAKB48を評価することになるのだが、AKBについての議論を見ていく前に、その時の共闘者と言える濱野の議論についても、簡単に触れておきたい。

アーキテクチャとアイドル

 濱野の主著といえば、2008年に出版された『アーキテクチャの生態系』だろう。濱野が言うアーキテクチャとは、要するに東が環境管理型権力と呼んでいたもののことであり、『アーキテクチャの生態系』という本は、インターネット上の様々なアーキテクチャを分析すること、さらにそれを通じて日本のアーキテクチャは独自な進化を遂げており、その独自性には新たな可能性が含まれていること、こうしたことを示そうとした。具体的な議論の内容に踏み込む余裕はないが、この可能性とは、簡単に言えばアーキテクチャ=環境管理型権力の設計によって社会をより良くする、ということに尽きる。実際濱野は次のように述べている。

もはや私たちは、なんらかのヴィジョンや合意を通じて、社会というもの変わるというイメージを抱くことが難しい状態にあるといわれます。筆者もそのように感じている一人です。そのとき、こうしたアーキテクチャの設計を通じて、社会をいわば「ハッキング」する可能性を信じることは、筆者にとって、単なるオプティミズム以上のものを意味しているのです。(濱野智史『アーキテクチャの生態系』)

東・宇野・濱野が同様の問題意識を持っていたことは、明らかだろう。そして宇野と同様にあるいはそれ以上に、この問題意識のもとでアイドルを評価したのが濱野だった。『アーキテクチャの生態系』の「文庫版あとがき」では次のように述べられている。

情報技術/情報環境が真の意味で「社会を変える」のだとすれば、それは(情報技術がバーチャルな空間に留まるのではなく)「身体性」とのよりダイレクトで密接な結合が必要である〔…〕。実は筆者にとって、この「情報技術と密接に接合した身体のあり方」こそが、現代日本社会における「アイドル」という存在である。いま日本では、アイドルこそが情報環境の生態系の変化にもっとも敏感な身体性の「器」なのだ。(濱野智史『アーキテクチャの生態系』)

以上のような宇野と濱野による議論を踏まえた上で、最後に両者のAKB48にかんする議論を辿っておく。

アイドル論壇の時代 

 AKBがその知名度を確固たるものにしていた2012年、AKBにかんする重要な著作が相次いで出版された。一つは、宇野と濱野が共著者に名を連ねる『AKB48白熱論争』(以下、『白熱論争』)であり、もう一つは濱野による単著『前田敦子はキリストを超えた』であった。ここでは、『白熱論争』の中から、アイドルと公共性、およびアイドルとソーシャルメディアというテーマに関わる議論に絞って取り上げておく。

 『白熱論争』において濱野はAKBが育む公共性について次のように述べている。

今までは公共性といったら、ちょっと頭のいい市民たちが勉強して啓蒙されて互いに議論をすることで、公共性が実現できるんだというのがハーバーマスとかの考えだったわけですよね。でもAKBのファンは違う。必死になって「ぱるるはこれだけゴリ押しされてるのに16位に入らないのはマズい」とか議論しながら、すごい勢いでCDを買っているだけ。〔…〕その判断や行動を通じて結果的に公共性をもった投票結果で、AKBの序列が決定されるわけです。 (小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史『AKB48白熱論争』)

大きな物語は失われているので、啓蒙によって共通の価値観を作り出していくという戦略はもう有効ではない。だから結果として公共性が生まれるようなアーキテクチャを設計する必要がある(例えばスマホのカメラのシャッター音を消せないようにすることで、盗撮を減らすことができるように)。そしてAKBこそそうしたアーキテクチャの一例であり、新たなかたちで公共性を生み出しているのではないか。ここで濱野はそう主張している。宇野も引用箇所の少し前で「もともと若いオタクに公共性がないのではなく、彼らと社会構造をつなぐ回路さえあれば、十分に公共性を発揮できる」と述べているが、この「回路」とはつまるところアーキテクチャに他ならず、両者は同意見だと言える。

 また『白熱論争』において宇野は、mixi、Twitterなどに代表されるソーシャルメディアへの期待をはっきり表明している 。当時は、震災直後のTwitterによる情報発信が注目されたり、「アラブの春」と呼ばれる一連の騒乱の拡大においてソーシャルメディアが活用されたりしたことから、社会的な問題にかんするソーシャルメディアに対する期待が現在よりもはるかに高かった。こうした時代の流れは、宇野の発言を後押しするものだっただろう。それゆえに宇野は、テレビという従来までのメディアに頼らず、ソーシャルメディアを利用してその人気を拡大させていった点においても、AKBを評価した。

 さて、以上で紹介してきたようなAKBについての思想に対する理解なしには、濱野がプロデューサーとなり2014年にその活動を開始したアイドルグループであるPIP(Platonics Idol Platform)についての思想的な評価を下すことはできないだろう。この作業は第5節で行うことになるが、その前にまず、濱野がAKBオタクからアイドルプロデューサーへと至るまでの、テン年代前半におけるアイドルシーンの展開に触れておきたい。

4. テン年代前半のアイドル──地上から地下へ

 前節では、AKB48に触発されることで生まれたテン年代前半のアイドルの思想について紹介してきた。しかしこのときすでに、アイドルシーンにおいてAKB以後の新たな展開が進行していた。この展開とは、地上から地下への移行といったかたちで表すことができるものであるが、すでに述べておいたように、この移行はAKB48のコンセプトが孕んでいたジレンマから自ずと生じたものであったと考えられる。以下、この地上から地下へという推移についてより具体的に確認していきたい。

 まず、AKB48の「会いに行けるアイドル」というコンセプトに孕まれていたジレンマとは何だったか。それは、「ゲームボード」の「再設定」によって従来考えられなかったアイドル像を提示することによって、実際にその「ひとり勝ち」がCD売上やライブ動員というかたちで実体的なものになっていくにつれて、今度は反対に、「ひとり勝ち」の要因であったはずの「会いに行ける」というコンセプトが、ますます有名無実化していくことになってしまう、というものだった(こうした事情を踏まえてか、ももクロが「今会えるアイドル」というコンセプトを掲げたが、やがてももクロに会うのも簡単ではなくなった)。

 以上のような流れの中で、テン年代に入ると、AKB48を始めとする「地上アイドル」に簡単には会えなくなったアイドルオタクたちの一部が、より小規模の「地下アイドル」と呼ばれるアイドルたちの元へと通い始めた。こうして無数の地下アイドルが乱立する状況が生まれ、「アイドル戦国時代」なる言葉も生まれた。これら多数の地下アイドルたちは、規模は地上アイドルと異なっていたものの、容易に会ったり、コミュニケーションしたりすることができるという近さを売りにしていた点において、やはり「会いに行けるアイドル」というAKB48によって設定された「ゲームボード」上で競い合っていることに変わりはなかったと言える。

 つまり、AKB48が新たに提示した近接性という魅力を知ってしまったオタクたちのなかには、AKBのメンバーと容易に会ったりコミュニケーションを取ることが出来なくなったという事態に耐え切れない一群の人々がいた。そこでAKBによる近接性を売りにするシステムはそのままに、それよりも小規模であることでこの近接性を当時のAKB以上にしっかりと担保してくれる数多くの地下アイドルが生まれ、オタクはそこに流れていった(なお、こうした流れに即座に反応し、しっかりめに地下アイドルのオタクになってしまったのが濱野であり、彼は2013年に、「地下アイドル潜入記――デフレ社会のなれのはて」という文章を書いている)。

 とはいえ容易に想像されるように、こうした地下アイドルの乱立は当然競争の激化をもたらすし、近接性を売りにするがゆえの弊害も生じていた。2013年の東との対談において濱野は、次のように指摘している。

いまライブアイドルの現場は、完全なダンピング合戦が起きています。削り合いもいいところです。〔…〕いまの地下アイドルも、五〇〇円くらいで接近してチェキが撮れたり、サービス過剰になっているところがあります。(濱野智史+東浩紀「アーキテクチャからアイドルへ――platonicsの新しい挑戦)

人気が出て規模が大きくなりすぎた結果、「このアイドルはおいしくない」と思われて、それまで応援していたヲタが離れてしまうんです。チェキも高くなるし、握手も長い時間はできなくなる。するとヲタたちは、ほかのまだ売れてないアイドルに流れていってしまうんですね。(同上)

濱野がPIPを立ち上げた背景には、テン年代前半における地下アイドルシーンにおける厳しい現状に対するこのような認識があった。そしてこの認識は、次節でPIPを批判的に検討することになるにせよ、テン年代も終わろうかとしている現在においてもなお妥当なものであると言える。

 とはいえ、もちろん悪いことばかりが起きていたわけではない。かなりの数のアイドルグループが誕生したため、他のグループとの差異化を図るために先鋭的な試みも多く現れた。以下では、テン年代前半における地下アイドルの極限的な事例として、BiS(Brand-new idol Society)を取り上げることにしたい。BiSのいわゆる第一期の活動期間は2010年から2014年までであり、すでに確認してきたAKB48以後の地下アイドルシーンの展開の真っただ中にあったグループだと言える。しかし、当然のことではあるが、この時期にBiS以外のアイドルグループも無数に存在していた。それでもなぜBiSを極限的な事例として取り上げるのか、このグループの何がそんなに新しかったのだろうか。

 香月孝史は、『「アイドル」の読み方――混乱する「語り」を問う』のなかで、BiSの当時のリーダーであったプー・ルイによる、BiSは「「アイドル」だと言い張るグループ」であるという発言を引用した上で、「これは、アイドルとは現在、「名乗り」によって成り立つものであることを示唆している」という指摘を行っている。つまりは、「歌や振り付けといった一定のパフォーマンス形式」を行っていて、アイドルであると名乗り、それが一定数のファンに受け入れられてさえいれば、どれほど従来のアイドル像(良くも悪くも)から乖離した活動をしていても、十分にアイドルたりうるという段階がBiSによって到来した、あるいはそうした段階にあることが可視化されたと言えるだろう。

 以上のようなテン年代前半の地下アイドルシーンの状況は、東によるゼロ年代の批評の状況にかんする次のような指摘を想起させる。すなわち、「ゼロ年代においては、観客=読者がそれを批評だといいさえすれば、なんでも批評になった」。そしてこうした状況がもたらされたのには、第1節ですでに紹介しておいたような、批評の普遍性という大きな物語が失われた、という背景があったのであり、それゆえに批評の趣味化あるいは娯楽化が生じたのである。同様に、アイドルシーンにおいても、ゼロ年代後半からテン年代前半におけるAKB48の躍進によって、「国民的アイドル」という大きな物語はかろうじて維持されていたが、それと同時に、前述したような「会いに行けるアイドル」というコンセプトが孕んでいたジレンマゆえに、地下アイドルという小さな物語が無数に乱立するという事態も進行していた。それゆえに、テン年代前半においては、観客=オタクがそれをアイドルだといいさえすれば、なんでもアイドルになった。繰り返しになるが、プー・ルイによる先ほどの発言は、こうしたことを示していた。

 かくしてBiS以降、アイドルの定義はもはや、「アイドルとはアイドルである」というトートロジ―に帰着したのだと言うこともできるだろう。そしてここから、アイドルというジャンルにおける(楽曲やアイドルのキャラなど様々な側面における)自由度が飛躍的に上昇すること、また同時に、アイドルになったりアイドルを運営したりするハードルが下がること、これらが帰結した。それゆえ、BiS以後の地下アイドルシーンにおいては、(BiSに引き続いて)もはや近接性という魅力だけにはとどまらないような多様な魅力を備えたグループがいくつも誕生していったと同時に、他方では非常に杜撰で志が低いと言わざるを得ないようなアイドルグループやメンバーも生まれることにもなった。次節では、こうしたBiS以後のアイドルのなかでも最も意欲的な取り組みを試みたグループの一つでありながら、今なお悪い意味で語り継がれているグループ、PIPについて検討を行っていきたい。

5. 『「ゼロ年代のアイドル」の思想』の実践──PIPの功罪

 PIP(Platonics Idol Platform)、2014年6月に活動を開始したアイドルグループで、プロデューサーはすでに幾度も言及してきた濱野智史、コンセプトは「アイドルをつくるアイドル」。2017年の2月に「濱野智史の告解と懺悔――PIPとは何だったのか」という仰々しいタイトルのニコニコ動画の生放送で、プロデューサーである濱野から公式な解散宣言がなされたが、2016年にはすでに、事実上の解散状態に陥っていた。濱野がAKB48、さらには地下アイドルシーンへの潜行を通じて練り上げていった思想の実践であったPIPという試みは、一言で言えば見るも無残な失敗に終わったと言える。

 ではなぜわざわざPIPを取り上げるのか。理由は二つある。一つ目。ドッツ運営にはもともとPIPのオタクであった者が複数名いたこと。それゆえドッツの活動は、PIPのコンセプトや実践との比較を行うことでその含意がより明確になるものが多い。二つ目。これは世間一般的なPIPへの見方ともおおむね一致するようにおもわれるが、このグループがやろうとしていたこと自体は、評価できるものが多いということ(その結果がどのようなものであったにせよ)。それゆえ以下では、PIPの良かった点・悪かった点、それぞれに言及していくことになる。

 ただしPIPの悪かった点を指摘するに際して、この文章では次のようなやり方を採ることはない。まず、PIPの失敗を、濱野が学者あるいは思想家であったこと自体に求めることはしない。つまり、濱野は結局のところ学者・批評家(思想家)であり、アイドルをもとから自分の研究や思想の材料程度にしか捉えておらず、それゆえに無残な失敗を招来させた、というように考えることはしない。これでは「勉強しかできない奴の頭でっかちな考えは、現実では何の役にも立ちはしない」といった程度の話にしかならない。そうではなく、濱野が批評家であったからこそ、PIPの背後にあった思想にこそ焦点を当て、その良かった点・悪かった点を批評(=境界画定)する必要があるはずだ。

 以上の話とある程度かぶるが、PIPの失敗を濱野の人格的な問題のみに帰することも避けたい。そもそも私は濱野の知り合いでもないし、PIPの現場にも通っていなかったから、彼の人格について何かを述べるには適任ではない。しかしそれ以上に、PIPの失敗を濱野の人格の問題に矮小化させてしまえば、PIPの「可能性の中心」を決定的に取り逃がすことになってしまうだろう。この主張は、濱野に対しても向けられたものである。というのも、「濱野智史の告解と懺悔――PIPとは何だったのか」において濱野は、自らの人格を卑下するような発言を繰り返すばかりだったからだ。そうした態度に、ある種の誠実さを感じないわけではなかったが、社会学者・批評家である濱野がなすべきは、そうした告解でも懺悔でもなく、PIPの思想について自らの手で批評を行うことであったはずだ。いや実は、濱野はそうしたPIPにかんする論文を発表すると明言していた。しかし現在のところその論文は発表されていない。以下の記述は、濱野がやるべきことを彼自身がやらないので、オタクが不十分であることを百も承知で勝手にそれをやる、といった側面がある。

 では本題に入っていく。何よりもまず、PIPが決定的に新しかったのは、この節のタイトルが「『ゼロ年代のアイドル』の思想」の実践となっていることからもわかるように、AKB48以降のアイドルの展開の中で生まれた思想=コンセプトが、その実践=活動の背後に控えていたという点だろう。もちろん他のアイドルにもコンセプトがあることは多いが、それは基本的にグループの特徴を一言でわかりやすく表したキャッチコピーに他ならない。批評家である濱野が練り上げたコンセプトを備えたPIPは、こうした点について確実に他のグループとは一線を画していた。

 こうしたことは、BiSが露呈させたような、観客=オタクがそれをアイドルだといいさえすればなんでもアイドルになるというテン年代のアイドルシーンにおいて、従来までとはまた違った仕方でアイドルの可能性を拡張する、ということを意味していた。そしてそれゆえにPIPの試みは、従来のアイドルオタク以外の層に訴求することを試みるものであったし、こうした試みの背後には、前節ですでに引用しておいた濱野による地下アイドルシーンに対する現状認識があったのだろう。しかも同じ対談で濱野は、ちゃんと次のように述べていた。

platonicsを成功させるためには、新しいお客さんを連れてこないといけません。「いままでアイドルに興味なかった、けどハマっちゃった」という層ですね。ぼくはそっちの開拓に注力するつもりです。もちろん、既存のヲタ層も大事にしますけど。(濱野智史+東浩紀「アーキテクチャからアイドルへ――platonicsの新しい挑戦)

こうした、既存のアイドルオタク以外にも訴求したいという思いは、確実にドッツにも引き継がれていくことになる。

 続いて、PIPの「アイドルをつくるアイドル」というコンセプトについて。これについては、濱野が「アイドル共産党宣言」という文章のなかで説明をしているのだが、現物を持っていないので、孫引きになる上にとても長いがリテラの記事から引用しておく。

〈このプロジェクトのコンセプトはずばり、“アイドルをつくるアイドル”というものだ。具体的には、「歌って踊るメンバー」として所属するだけでなく、たとえば、メンバーの一部には「プロデューサー候補生」としてもガンガン運営に参画してもらう。そして、将来的には独立し、新たなグループを立ち上げてもらう。(中略)それぞれのメンバーが独立したあかつきには、もちろん、新グループの経営者として然るべきお金が本人の懐に入るようにする〉
〈なぜ、そんなネットワークをつくろうとしているのか。理由は運営側による中間搾取を、なるべくゼロに近づけたいからだ。「少女たちが“悪い大人”に“やりがい搾取”されている」というブラックなイメージは、アイドル業界にどうしてもついてまわる。「ステージに立ちたい」「雑誌の表紙を飾りたい」など、憧れの舞台のためには低賃金でも重労働でも“我慢するアイドルの健気さ”につけこむ人びとがいる。実際、そうした「クソ運営」も密かに存在しているのだろうけど、僕は「クソ運営」を払拭し、「搾取されないアイドル」を実現したい〉
〈なぜそこまでするのか。僕は、本当にアイドルを「素晴らしいもの」と考えているからだ。その世界を、未来永劫サステナブル(持続可能)な形で残したい〉
〈いまこの社会は寛容さを失い、リベラルな価値観が衰退していく一方である。そんな中、僕はアイドルこそが、「自由」(リベラル)にとっての最後の希望だと、大マジで信じている〉(「「アイドルはクソ」発言で大炎上した濱野智史が「僕がクソ」と涙の公開生謝罪…アイドル共産党宣言とは何だったのか」

すでに指摘したように、テン年代のアイドルシーンにおいては、観客=オタクがそれをアイドルだといいさえすればなんでもアイドルになるという段階にまで至った。これはアイドルの可能性を大幅に拡張したが、それと同時に、アイドルという形式を単なる金儲けの道具と考えたり、あるいは安易な気持ちでアイドルのプロデュースをしたりするような「クソ運営」も生まれてしまった。「アイドルをつくるアイドル」というコンセプトは、こうした状況に対する一つの応答であった。

 また引用箇所の最後では、「リベラルな価値観」への言及があるが、これは『AKB48白熱論争』で濱野が述べていたような、アイドルと公共性という問題に関わるものだろう。改めて引用しておく。

今までは公共性といったら、ちょっと頭のいい市民たちが勉強して啓蒙されて互いに議論をすることで、公共性が実現できるんだというのがハーバーマスとかの考えだったわけですよね。でもAKBのファンは違う。必死になって「ぱるるはこれだけゴリ押しされてるのに16位に入らないのはマズい」とか議論しながら、すごい勢いでCDを買っているだけ。〔…〕その判断や行動を通じて結果的に公共性をもった投票結果で、AKBの序列が決定されるわけです。 (小林よしのり・中森明夫・宇野常寛・濱野智史『AKB48白熱論争』)

大きな物語が崩壊した現代では、啓蒙によって人々の公共性を育むといった回路はもはや機能しない。そこで濱野は、アイドルという娯楽、それを消費するオタクたちの小さな物語の中にこそ、公共性につながる回路を見出そうとした。こうしたアイドルと公共性というテーマもやはり、都市をコンセプトに掲げるドッツに引き継がれていく。

 さて以上のように、PIPの思想=コンセプトは様々な魅力を確かに備えてはいた。しかし周知のように、この思想を踏まえた実践は、結局のところ空中分解してしまった。そしてこの失敗の原因は、濱野の思想に内在していたものであるようにおもわれる。どういうことか。濱野×東対談で東は次のような指摘をしている。

濱野くんは一貫して、コンテンツというものに対して愛情を持っていない、濱野くんの考えでは、コンテンツというのはアーキテクチャが自動生成するもの。〔…〕そう考えると、そんな濱野くんがアイドルにハマったというのは、実はそこで「人間」を発見したということではないかとも思っているんです。『前田敦子はキリストを超えた』は、その衝撃を書いた本なのではないか。かつてはアーキテクチャですべて説明できると思っていたのだけれど、そこに人間が加わった。コンテンツは要らないけれど、人間は必要であることに気がついた。(濱野智史+東浩紀「アーキテクチャからアイドルへ――platonicsの新しい挑戦)

この東の指摘をもとに、PIPの失敗の原因を、濱野の思想の中に求めていきたい。

 東が述べるように、「コンテンツというのはアーキテクチャが自動生成する」というのが濱野の持論だった。だから濱野がアイドルにハマったのも、「それを支えるアーキテクチャがおもしろかったから」だった。ゆえに自らの思想を踏まえてアーキテクチャを、つまりはプラットフォームを設計してさえいれば、後はそこからコンテンツが、アイドル活動が、「自動生成」してくる、このように考えられていたのではないだろうか。あるいは、「アイドルをつくるアイドル」というコンセプトにかんしても、PIPというプラットフォームを整備しておけば、しばらくすると次々に新しいアイドルが「自動生成」してくるというような楽観的な見通しがあったのではないか。

 もちろん東が指摘するように、アイドルにハマった後の濱野は、アーキテクチャだけでなくアイドルという「人間」にも興味を持つようになっていた。とはいえ濱野は、それによってアーキテクチャへの関心を失ったわけではなかった。だからこの時点の濱野の立場は、「まずアーキテクチャありきではあるが、そのときアイドルという人間を無視することはできない。とはいえ、依然としてコンテンツへの愛情は不要」といったかたちで要約することができる。しかしながら、濱野がアイドル以前に論じていたニコニコ動画において生み出されるコンテンツとは違い、アイドルというジャンルにおいてコンテンツは、思想を持った運営だけでなく、実際にそのコンテンツの制作に関わる人間=アイドルからの影響を免れえない。というかそこでは、コンテンツとアイドルを分離して考えることなどできない。とすれば、アイドルにかんして言えば、「コンテンツは要らないけれど、人間は必要である」という立場は本来成り立たないはずなのだ。こうしたところに、PIPにおける思想=コンセプトと実践=実際のアイドル活動との乖離の原因を見出すことができる。

 加えて、ドッツとの関連からもう一点指摘しておきたい。アーキテクチャにしか興味のなかった濱野が、(再び東の言葉をかりれば)「現場的なものを嫌っていた」濱野が、なぜここまでアイドルという人間にのめり込んだのか。濱野は一貫して、「レスがあるから」だと答える。AKB48以降のアイドルは「会いに行ける」という近接性をその特徴としていたわけだが、こうした近接性の魅力とはつまるところ、現場におけるアイドルとの一対一のまなざしのやり取り(=レス)にこそあると濱野は考えていた。つまり、アイドルとのレスのやり取りにおいてこそ、アイドルは本当の意味で自らの間近に現前する。そしてこの現前こそがアイドルの魅力である、というわけだ。

 ドッツのメンバー(=・ちゃん)たちの目元が「バイザーのようなもの」で覆われていたことを考えると、そうした・ちゃんの容姿は、こうした「現前の場」としての現場を特権視する考え方に対する一つの応答になっていたのだと考えられる。詳しくは第7節で論じるが、レスのやり取りが行われるアイドル現場において、目を「バイザーのようなもの」で覆われた「都市の幽霊」=・ちゃんたちがパフォーマンスするということは、濱野における「現前の形而上学」を批判し、「脱構築」するものであったと言えるのではないだろうか。

 さて、話が少し逸れてしまったが、改めて整理しておく。PIPの失敗の原因をここでは濱野の思想に求めてきた。すなわち、思想=コンセプト/アーキテクチャ=プラットフォームという形式さえ整っていれば、実践=アイドル活動/コンテンツという内容は「自動生成」される、こうした濱野の思想こそが思想=形式と実践=内容との間の齟齬を自ずと生み出すことになってしまった。次節では、黒瀬陽平の『情報社会の情念』を取り上げ、こうした濱野のようなコンテンツやプラットフォームを重視する思想の乗り越えを、「運営の思想」から「制作の思想」へというかたちで黒瀬が主張していることを見ていく。つまり、「運営の思想」に濱野の議論を重ねながら、『情報社会の情念』を読むということであるが、これは『情報社会の情念』をアイドル論として読むということにもなる。そして実際のところ、黒瀬が打ち出した「制作の思想」は、ドッツのコンセプト=思想と大きな関わりがあるようにおもわれる。こうしたことを次節で確認していきたい。

6. 「運営の思想」から「制作の思想」へ──黒瀬陽平『情報社会の情念』

 黒瀬陽平『情報社会の情念――クリエイティブの条件を問う』は、2013年に出版された。著者の黒瀬は、東が北田暁大と共同で編集していた『思想地図』の公募論文でデビューした人物で、当然のことながら東との関わりは深い。そして黒瀬が主任講師を務める「ゲンロンアートスクール」を受講し、その受講生の成果展においてアイドルをテーマにした作品を出展して最優秀賞を獲得したのが、後にドッツのコンセプト担当となる古村雪だった。こうした事実から容易に推測されるように、黒瀬がドッツのコンセプトに与えた影響は恐らく大きい。実際、『情報社会の情念』の中では、亡霊や都市といったドッツのコンセプトと切り離せないような言葉が登場している。以下ではまず、黒瀬の議論を手短に確認していった上で、そのドッツのコンセプトとの関わりについても検討していく。

 『情報社会の情念』における黒瀬の主張は、乱暴に言えば「運営の思想」から「制作の思想」へ、となる。では、これら二つの思想はそれぞれどのようなものなのか。東による次の要約が参考になる。

「運営の思想」は、SNSや動画投稿サイトにおいて、コンテンツの投稿や生成を最大化するように仕組みを整える、文字通り「運営」の発想を意味する。他方で「制作の思想」は、そのような仕掛けに抵抗しつつ、あるいはそれを利用しつつ、独自の作品を作ろうとするクリエイターの試みを意味する(黒瀬自身はそこまで明確な定義を与えていない)。(東浩紀「運営と制作の一致、あるいは等価交換の外部について」)

「運営の思想」とは、濱野のように「プラットフォームのほうがコンテンツよりも優位だと考える立場」に他ならない。そして、黒瀬はこれを批判する。なぜならそれは、「他者の消去、多様性の消失」をもたらすからだ。より詳しく言いかえるならば、「自分とは異なるさまざま存在、つまり無数の「他者」によって構成されている世界」が、「民主主義が前提とする公共空間」が、失われてしまうからだ(ここでもまた、公共性の問題が取り上げられていることがわかる)。

 ではなぜ「運営の思想」だけではこうした事態を招来することになるのか。黒瀬はウェブサービスにおけるパーソナライゼーションの問題を取り上げて説明している。パーソナライゼーションという言葉については、例えばAmazonのおすすめ機能のことを考えるとわかりやすいだろう。Amazonで買い物をしていると、購入履歴をもとにして自分に最適化されたおすすめが表示されるようになる。しかしそれは、あくまで今までの自分の購買行動から予想される範疇をこえることはないので、既知の世界の中に留まり続けることになる。つまり、そこでは新しい出会い、他者との「偶然の出会い」が生じる余地がないのだ。そしてこうした事態は、プラットフォームを上手く設計しさえすれば創造性(=新しさ)が生まれるという「プラットフォーム万能論」=「運営の思想」への反証となっている。

 こうした「運営の思想」がもたらす袋小路から抜け出すべく、「制作の思想」の検討へと向かう。ただしこうした「運営の思想」から「制作の思想」へという道行きは、後者が前者に完全に取って代わるというような議論というよりも、東の要約からもわかるように、後者が前者に重なりつつもそこから逃れる新しい何か=「偶然の出会い」が生まれる、というような議論であるとおもわれる。そして「運営の思想」から「制作の思想」へという方向性を模索するために黒瀬は、寺山修司による「市街劇」の試みを取り上げていくのである。

 黒瀬によれば寺山は、「「偶然の出会い」を求めて、都市へ出てゆき、さまざまな演劇的介入によって、その「出会いの偶然性」を組織しようとした」。そして黒瀬はここに、「運営の思想」と「制作の思想」の交差を見る。引用しておく。

「市街劇」は、創発のプラットフォームとしての都市と、コンテンツとしての演劇を一体化させることによって誕生したのである。それはまさに、「運営の思想」と「制作の思想」が交差した結果であったのだ。〔…〕都市という現実のプラットフォームに、演劇という虚構のコンテンツを出会わせること、そして両者の混在のなかで、想像力によってさらなる出会いを増殖させてゆくプロセスこそが重要なのだ。(黒瀬陽平『情報社会の情念』)

 以上のような現実と虚構との重ね合わせは、次のように、聖と俗との重ね合わせでもあるとも述べられる。

寺山が、現実と虚構を重ね合わせることで試みたのは、聖俗の区別が不明瞭な現代の空間に介入し、そこに隠れているはずの、可能性としての聖性を呼び出すことだった。〔…〕そして、その聖性とは僧殺しの伝承や、「畳の下におふくろの死体が埋めてある」という想像のことであった。寺山はこの行為を、山口昌男の言葉を借りて「日常的現実のなかの、いたるところにひそんでいる「満たされない霊を呼び出し、それに語りかける」こと」だと述べている。(同上)

まとめよう。プラットフォーム万能論の袋小路からの脱出を模索する黒瀬が参照した寺山の「市街劇」、それは、都市という現実に演劇という虚構を重ね合わせることによって、俗なる日常の生活のなかに「満たされない霊を呼び出し」、その結果として「「満たされない霊」たちが生きたかもしれない「もう一つの歴史」や「もう一つの現実」を描」くものだった。そして、こうした試みによって、他者や多様性の消失から免れ、人々を公共性へとつなげる回路を維持することが可能になる。

 ただし、黒瀬も注意しているように、こうした「市街劇」の試みを、都市において偶然性を設計する試みとして捉えることは避けなければならない。それでは、またもや「運営の思想」へ逆戻りしてしまうことになるからだ。「創発のプラットフォームとしての都市」は、そうした設計を、計画を、絶えず逃れる。都市は、「事前の意図や計画なしで、その混沌のなかから自ら一つの秩序を生み出す」。このことこそが、都市が創発を生み出すということに他ならない。

 さて、以上の議論を改めてアイドル論として捉えてみよう。アイドルというプラットフォームは、AKB48によってその優秀さが明らかとなり、BiS以後にはそれへの参入障壁が限りなく低くなった。そうすると、メンバーのことやコンテンツのことは二の次で、とにかくそのプラットフォームを利用して自らの欲求を満たそうとするだけの「クソ運営」が生まれてきた(これは言わば、課金させることに特化して設計され、同じようなものが絶えず作られ続ける、スマホの「クソゲー」のようなものだ)。これこそが、アイドルという文脈における「運営の思想」のかたちだろう。PIPはこうした「クソ運営」を払拭しようと試みたが、依然として「運営の思想」に基づいていたがゆえに、その思想=プラットフォームと実践=コンテンツとの乖離が生まれ、その試みは空中分解した。それゆえPIP以後、模索されるべきはアイドルにおける「制作の思想」ではなかったか。そしてドッツのコンセプト=思想こそが、まさにこの「制作の思想」だったのではないか。

 こうした推測は単なる思いつきではない。「都市を劇場化する」寺山の試みに対して、「都市をアイドル化する」ドッツの試みを、次のように描くことができるはずだ。

「都市の幽霊」というコンセプトを掲げたドッツの試みは、創発のプラットフォームとしての都市と、コンテンツとしてのアイドルを一体化させることによって誕生したのである。それはまさに、「運営の思想」と「制作の思想」が交差した結果であったのだ。

一読して明らかなように、上記の文章は、先ほど引用した寺山の「市街劇」にかんする文章における演劇という要素に、アイドルを代入したものだ。ドッツの試みとはまさに、「市街劇」ならぬ「市街アイドル」であったと言える。

 とはいえ、こうした代入にどのような必然性があるのか、こじつけではないのか、とおもわれるかもしれない。しかしながら、演劇をアイドルに置き換えることにはいくつもの意味において必然性があるようにおもえる。まず容易に指摘できるのは、演劇もアイドルも演じられるものであるという点において共通している、ということだろう。でもそれだけではない。そもそもなぜ黒瀬が寺山の「市街劇」を参照することになったのかを、改めて想起しておきたい。それは、プラットフォーム全盛の時代において、Amazonのおすすめのような既知の必然性しかないなかで、「他者の消去、多様性の消失」から抜け出し、「偶然の出会い」を取り戻すためであった。ところで、アイドルとの出会いはいつも偶然だ。どんなに強い気持ちで推すことになるにせよ、最初のきっかけは偶然的なものでしかない。それに、数多いるアイドルたちのなかで、「この」アイドルでなければならない必然性など、初めのうちはない。それでもオタクは、事後的に、過去を再構成しながら、推しとの出会いを必然に、運命にしてしまう。

 しかもアイドルは、「他者」だ。どれだけライヴに通おうとも、どれだけライヴ後の物販で言葉を交わし合おうとも、結局は演者と客でしかない。どれだけ気持ちを通じ合わせようとしても、どうしてもいくらかは不発に終わる。いくら曲中で「おーれーの○○ちゃん」と叫んだところで、自分の推しが自分だけの推しではないことを、オタクは嫌というほど知っている。そんなことは百も承知で、それゆえにこそオタクは「おーれーの○○ちゃん」と叫び続ける。しかしこれは別にオタクの自己卑下なんかではない。むしろこれはアイドルとオタクの関係の美点だろう。結婚という「ふつう」のゴールが想定されている異性愛規範のもとでの関係性とは異なって、アイドルとオタクの関係にゴールはない。こうした「遠さ」にオタクは時として苦しみながらも、どこかでそれをたまらなく愛してもいるはずだ。やろうとすればどこまでも、いつまででも、際限なく「つながる」ことができるこの時代に、一分もあるかないかの限られた時間で必死に思いを伝えようとするオタクの姿は、どこか美しいとさえおもえてしまう(いや、さすがにこれは美化しすぎたか…)。

 さて、気づけばかなりドッツの話に入りこんできてしまった。書き続ければ話はどんどん拡散するばかりできりがないので、一度ここでこの節を打ち切っておく。そして次節においていよいよ、これまで紹介してきた様々な議論を適宜振り返りつつ、ドッツのコンセプトのいくつかの側面にかんして、少しばかりの指摘を行っていきたい。

7. 「テン年代のアイドル」の思想=実践──・・・・・・・・・が遺したもの

 本節では、ようやくドッツのコンセプトを、これまで取り上げてきたの議論との関わりを踏まえながら、検討していきたい。ただし、論点が多岐にわたるため、その都度キーワードを挙げて、一つのトピックごとに論じていくという形式を採用する。

都市の幽霊

 ドッツのコンセプトを一言で表すものの一つ、都市の幽霊。なぜ都市なのか。そしてなぜ幽霊なのか。まず都市にかんして言えば、すでに見てきたアイドルと公共性というテーマ、そして何よりも寺山の「市街劇」、これらを踏まえれば、「アイドル×都市」というコンセプトにも、一定の背景があったことが了解されるだろう。さらに言えば、濱野はアイドルの文脈にアーキテクチャという概念を持ち込んだわけだが、彼はこの概念をそもそも、ウェブ上のサービスを分析するための概念として用いていた。そして、都市とウェブは似ている。例えば、ヴァルター・ベンヤミンがパリについて書いた『パサージュ論』という文章について次のような指摘がある。

多くの点で、私たちの『パサージュ論』の読み方は、私たちがウェブを使うために学んだやり方を指し示している。(Kenneth Goldsmith, Uncreative Writing: Managing Language in the Digital Age)

『パサージュ論』というのは断片からできているので、それを読むとき、まさにパリのパサージュを、色々と目移りしながらあてどなく歩くかのような読み方をすることができる。つまり、都市についての文章が都市のように構成されているわけだが、ゴールドスミスによれば、その『パサージュ論』を読む仕方は、「私たちがウェブを使うために学んだやり方」、つまりはネットサーフィンと同じである。あらかじめ定められた順序なしに、あてどなく様々なアドレスを巡ること、これこそが私たちがWWW(World Wide Web)を利用するときに行っていることだ(このことを踏まえると、ドッツの1stワンマンが「Tokyo in WWW」であったことはとても興味深い)。

 こうした議論からわかるように、都市論からインターネット論へという流れがあり、濱野はその流れをさらにアイドル論へと接続させたのだと言える。しかし「アイドル×都市」にかんして指摘できることはこれにとどまらない。前節で確認したように、都市とは「事前の意図や計画なしで、その混沌のなかから自ら一つの秩序を生み出す」ような「創発のプラットフォーム」なのであった。こうした都市にかんする言明は、アイドル運営、メンバー、そしてオタクの三者が、絶えず失敗を繰り返しながらも絡み合い、時として思いもよらないような創発を生み出す、というような地下アイドル特有の力学にもそのまま当てはまるようにおもわれる。つまり、ドッツの試みは都市をアイドル化するとともに、アイドルとはそもそも都市的であったということを明らかにするというものでもあったのではないか(なお、こうした運営、メンバー、オタクの三者の相互作用という論点については、以前書いた「ドッツ9thワンマン「Tokyo in Natural Machine」について」も参照)。

 続いてなぜ幽霊なのか。これについてもすでに寺山が霊という言葉を用いているのを見た。そして、言うまでもないが、幽霊は東あるいはその参照先であるジャック・デリダの哲学における重要なキーワードでもある。ここであまり多くのことを書くことはできないが、幽霊とは、私たちの意識とは無関係に取り憑き、ありえたかもしれない別の可能性を絶えず想像することを促す、そういったものであると考えておけばいいだろう。また宇野も黒瀬も共に「拡張現実」という言葉を自らの議論で用いているが、幽霊としてのアイドルの機能の一つは、非日常や外部へといざなうというよりも、〈いま・ここ〉の現実の意味を重ね書きし、何でもない日常を拡張するところにある。

現場至上主義に抗して?

 ドッツの試みは常に、地下アイドルにおける現場至上主義に抵抗するものだと見なされてきたし、運営の側もそう受け取れる発言をしている。第5節において、濱野が現場におけるアイドルからのレスを特権視し、その点においてAKB48以後の近接性の重視というパラダイムから抜け出せていないことをすでに指摘しておいた。このことを踏まえれば、さしあたりは、ドッツは現場至上主義に抗していたとやはりいうことができる。そしてこうした文脈を念頭においてこそ、ドッツのメンバーである・ちゃんたちの素顔は、「バイザーのようなもの」で覆われていたことの意味がより深く了解されるであろう。つまりこれは、「バイザーのようなもの」によってレスのやり取りに不確定性(=本当に目が合っているのかどうかが分からない)を持ち込むことで、レスをもらうことこそが真に推しが自分の前に現前する何ものにも代えがたい至高の体験であると考える、という意味における限りでの現場至上主義を否定する試みだった。

 しかしながら、レスを送ることが不可能である・ちゃんたちは、依然としてオタクたちの心を打ち続けた。濱野が言うように、レスのやり取りこそがアイドルを推すことにおける最上の体験であるのだとすれば、このようなことは生じえなかったはずだ。ということは、そもそもレスを特権視する限りでの現場至上主義だけが誤りで、現場とはそもそももっと広範な領域を指示する概念ではないのか、という考えが浮上する。この考えについて、デリダの議論を参照しつつ論じてみたい。

 驚くべきことにデリダは、幽霊・亡霊といった言葉を多用する『マルクスの亡霊たち』という著作において、なんと「バイザー効果」というものに言及している。引用する。

眼差しを交えることがつねに不可能であり続けるような眼差しによって見つめられていると感じること、これこそわれわれがそこから法を相続しているバイザー効果なのである。(ジャック・デリダ『マルクスの亡霊たち』)

・ちゃんの、「眼差しを交えることがつねに不可能であり続けるような眼差しによって見つめられていると感じる」とき、あくまでそれは「・ちゃんが自分を見つめているかもしれない」という可能性に留まっており、それゆえに「ほんとうは自分のことを見つめてはいないかもしれない」という別の可能性が、つまりは幽霊が、絶えず取り憑く。この幽霊がいるからこそ、アイドルは他者であることをオタクは実感し、再びアイドルに会いに行くことにもなる。だから、レスにおいて真に推しが現前するという「現前の形而上学」は実は成り立たないのであり、そこには絶えず幽霊が回帰しているのである。このようにして、レスの体験を頂点として構成された現場の概念はいわば内部から崩壊させられ、「脱構築」されることになる。つまりドッツによる現場至上主義に抗するという身振りは、単に現場を否定することではなく、近接性には汲み尽くされない現場の別な側面を浮き彫りにし、現場という概念をより豊かな含意を持つものへと開くというものだったのではないか。

運営の思想に抗するアイドル運営

 再三見てきたように、ドッツの試みは運営の思想に対抗するものとして捉えることができる。これはコンセプト担当古村の次のような記述からも裏付けられる。

「なんでもあり」には大して惹かれない。・・・・・・・・・が「なんとでも呼べる」こと自体は何もすごくないし何か事態を進めているわけではない。「なんとでも呼べる性」を利用して実際に何を生み出しているかのほうが大事です。(古村雪「都市の幽霊」)

BiS以後、アイドルと呼ばれれば何でもアイドルになる時代、それはアイドルというプラットフォームにおいて「なんでもあり」が可能になったことを意味していた。しかし、プラットフォーム万能論ばかりに傾けば、たちまちそれは「クソ運営」を生み出した。こうした時代の流れのなかで、「なんでもあり」のプラットフォームを利用して、「実際に何を生み出しているか」を、すなわち実際にどんなコンテンツを制作するのかをこそ考えなければならない。そしてドッツが目指していたコンテンツの特徴を端的に表す言葉が、「王道アイドル」だったのである。

 なぜこのことをわざわざ書くのかといえば、ドッツはかなり奇異なパフォーマンスや試みを行っていたために、ただ単にアイドルというプラットフォームの「なんでもあり」性に安直に乗っかり、とにかく人目を引くためだけに変なことをやっている、というように捉えられがちだったからだ。もちろんそのような側面が全くなかったとまでは言えないかもしれないし、そう受け取ることを全て否定するつもりもないが、以上のような背景を踏まえれば、単なる炎上狙いとは一線を画していたことは、少なくとも一線を画そうとしていたことは、理解できるのではないか。

 また、反-運営の思想的立場を踏まえれば、ドッツにおけるコンセプトの位置づけも見えてくる。黒瀬が市街劇にかんして指摘していたのと同様に、もしドッツのコンセプトを、「偶然の出会い」を設計するというような強固で一貫した体系として捉えるならば、それは再び運営の思想へと逆戻りしてしまう。だから古村は次のように書くのだ。

コンテンツの後に意図がある。物語やコンセプトは何かを排除するためではなく、何かを固守することによってイメージとしての統一性を保ちつつ、それ以上に何かを巻き込む融通無碍な拡張性のためにこそ必要です。(同上)

オタクが推しとの偶然の出会いを後から物語化して運命に変えていくように、コンセプトも実際の活動=コンテンツをあとから物語化していく。そしてそのことによって、「拡張性」が確保される。この文章もまさに、古村によるドッツの活動の物語化に巻きこまれて、当初の古村の意図とは異なる部分を含みつつ拡張された新たな物語に他ならない。

アイドルとは批評である

 第5節ではPIPの失敗の原因を、PIPのコンセプト=プラットフォームとメンバーによる活動=コンテンツとの乖離に求めた。これに対しドッツはこの解離の解消を目指すもの、すなわち、思想と実践の一致を目指すものだったと言えるようにおもえる。具体的にはどういうことか。

 ここで東の議論に少しばかり戻る。東によれば、ポストモダンの到来によって大きな物語が崩壊し、思想の普遍性が失われた。すると、批評は趣味=小さな物語の一つとなった。これを東は批評の趣味化、あるいは娯楽化と呼んだ。すでに少し予告していたが、このように批評が娯楽化した時代において、反対に今度は、娯楽を批評化する試みとしても、ドッツの活動を捉えることができるのではないか。

 いや実は、話はもう少し込み入っている。アイドルという娯楽を批評化するまでもなく、そもそもアイドルは批評的だったのではないか。つまり一言で言えば、ドッツとは、「「アイドルとは〈批評〉である」ということを明らかにする批評=実践」なのである。ここで〈批評〉と批評は、しっかりと区別して用いている。〈批評〉とは、東浩紀的な意味での批評、つまり、誤配を生み出すこと=思いがけない偶然の出会いを生み出すこと、という意味での批評をここでは指すことにする。確かにアイドルは、それ自体が偶然の出会いの相手であるし、それだけでなく、その模倣を通じてオタクに新たな欲望を見出させてくれたり、それまでは考えられなかったような人との新たなつながりをもたらしてくれる存在である。

 後者の批評は、オーソドックスな意味、具体的にはカントにおける批評を指している。カントの主著の一つと言えば『純粋理性批判』だが、この批判というのは批評と訳される言葉と元は同じ言葉であり、カントは批判=批評を境界画定という意味で使っている。つまり『純粋理性批判』という書物は、別に理性はクソ、というような非難を行っているのではなくて、理性にできることはどこまででどこからは理性にできないことなのか、という境界画定の作業を行っているのだ。

 以上を踏まえて「「アイドルとは〈批評〉である」ということを明らかにする批評=実践」という言葉の意味をを改めて確認しておく。ドッツの活動は、その活動によって人と人や、人とモノや、アイドルとその他のジャンルといった様々な事柄のあいだにあらたな出会いを生み出していくことによって、アイドルとは東的な意味での〈批評〉であるということを身をもって明らかにしていく(そしてさらにはそれを拡張していく)という批評=境界画定なのである。ここでは実践=活動がそのまま批評として機能しており、その批評は、BiS以降の何でもありの時代において、「アイドルはどこまでできるのか」という問いに対して、「アイドルは〈批評〉ができる」という答えを提示しているようにおもえる。以上こそが、批評すら娯楽になる時代における、娯楽の批評化の内実である。

・・・・・・・・・を相続せよ!だが、何を?いかに?

 この長い文章もようやく終わりを迎えようとしている。不十分ではあるがなぜこうして書き連ねてきたかといえばそれは、ドッツの遺産を相続するための一助になればいいと考えたからだ。この遺産相続という言葉もデリダを意識したものだ。最後の引用となるが、再び『マルクスの亡霊たち』から。

遺産なるものはけっして一つに集約されることはなく、けっして自分自身と一体とはなっていない。それにいわゆる統一性というものがありうるとするならば、それは選択することによって再主張せよという厳命のうちにしかありえない。(同上)

ドッツの遺産が一つに集約されることはない。そもそも「東京は、あらゆる計画をいつも裏切ったまち」なのだから。だからその遺産を相続するとは、デリダが述べるように「選択することによって再主張」することに他ならない。そうでしかありえない。この文章をきっかけに遺産相続を、つまりは偶然に満ちた「計画をいつも裏切ったまち」を再び物語化し、必然へと、運命へと反転させる人が一人でも多く現れることを願う。なぜこんなことを願うのかといえば、すでに都市の幽霊に取り憑かれた人、あるいはこれから取り憑かれる人はみな、次の言葉に賛同してくれるはずだからだ。「東京に幽霊が出る――・ちゃんという幽霊である」。

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