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ブエノスアイレスの詩人が鋭敏にとらえた「見つめていると骨董品は怖い顔をする」あの感覚のこと【アルゼンチンオバケの話#12】

古いモノは、おそろしい。

・・・という感覚を、神秘的な筆致で描いたのが、かのボルヘスの盟友の一人にして、いかにもブエノスアイレスっ子な感受性の詩人、シルビーナ・オカンポ。彼女の『物』という短編小説がすばらしい

何がすばらしいって、日本の文化にもある「ツクモガミ」の感覚にも似た、と言いますか、

子供の頃に愛用していたオモチャとか、若い頃に大切にしていたアクセサリーとか、あるいは、父や母や、祖父や祖母が「だいじにしていた物」について、

ふいにじっと見つめると、なんだか向こうも深遠な表情で見つめ返してくるような感覚が沸き起こる、あの感覚を描いている。

あの感覚が、ラテンアメリカ人にも起こるような普遍的な感覚なのだとわかって興味深いのと同時に、でも国境を超えて人間に訴えかけてくる感覚、

「古いモノがなんだか精神を宿すように見える、あの感覚は、いったいなんなのだろう?」

とますます奇妙にも思います。

おもえば「物」というものは、骨董品として大事にされていると、生半可な人間なんかよりもずっとずっと長生きする連中なわけで、

人間よりも長い寿命を重ねた「物」には、何か精神が宿ってしまうのではないか、という感覚には、ただの錯覚で片付けられるレベルではない、何らかの真理がある・・・のかもしれない。

ともかく、シルビーナ・オカンポの言葉選びは美しく、それでいて浮遊感に溢れていて、のめりこむ。

以下の文章など、「まさに、ああ、これこれ、この感覚、わかる!」と叫びたくなるほどの、適切な表現なのでした。

そのとき、自分の部屋の窓際に、かつて夢で見たように、さまざまな物が勢揃いしているのが見えました。(中略)よく見ると、それらの物が、長い間見つめられたときにつくる、あのこわい表情をしていました。(図書刊行会『新編バベルの図書館6』所収/『物』(シルビーナ・オカンポ|内田吉彦訳)より引用)

この図書刊行会版は、内田吉彦氏による「ですます調」の翻訳がとても物語の雰囲気にマッチしていて、オカンポの日本語訳として決定版と思います。

それにしても自分が死んだ後もきっと生き続けるであろう「自分のたいせつにしている物たち」は、よくよく考えると確かにフシギな連中です。私がたいせつにしている持ち物のうちのいくつかもまた、私がもし死んだ後も、平然と別の物語を続けていってしまうのでしょうか。

うん、やはり、古いモノは、おそろしい。


子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!