#4 「神に委ねる決心」とは何か?
こんにちは、SCAメンバーのゆうきです。
前回のBBスタディは、BB p.87, 9行目〜p.88, 15行目までを学びました。
いつも司会進行してくださるpeeさんには感謝です。
ミーティングのはじめに、前回学んだp.87, 6行目について十数分の議論がありました。
その部分については、いつか機会があれば別で記事を書きたいと思います。
第3ステップに突入
p.87, 9行目からは、いよいよ第3ステップに突入しました。
改めてじっくり読んでみると、なんとも味わい深い文章です。初めてステップ3に取り組んだ4年前の自分を思い出して、なんだか懐かしい気持ちになりました。
あの頃の僕は、問題行動がやめられず、職も失い、妻の実家に居候していて、アディクションの再発を防止するためにスマホも解約して、部屋に監視カメラを設置して、自分を外に出さないように様々な工夫を施していました。
しかし、そんな生活はいつまでも続けられるはずもないので、一刻も早く回復したかった。
だから、ステップ1・2を終えて、ステップ3の決心をすることに1ミリの躊躇もありませんでした。
僕の場合、ワリー・Pの「バック・トゥ・ベーシックス」のフォーマットに従い、素早く12ステップ全てに取り組みましたが、あのスピード感が良かったと今でも思います。
全ての人に最適かはどうかは分かりませんが、少なくともビッグブックは、ステップ10に至るまでに、随所でこのスピード感を強調しています。
古い解釈を手放す時が来る
そんなわけで、あの頃の僕にとってのステップ3は、言ってしまえば「ただ決心して祈るだけ」の簡単なステップでした。
しかし、いつまでもそのままのステップ3の理解で止まっていてはいられません。
なぜなら、ステップ12でスポンサーをやるようになると、みんながみんな僕のように素直にステップ3に進めるわけではないことに気が付くからです。
ステップ3に進めない人たちは、ステップ1・2に納得していない
まず、ステップ3の冒頭では、「Being convinced」と言っています。日本語では「この考えを踏まえて」と翻訳されていますが、これは「心から納得した上で」とか「確信して」という意味です。
何に納得した上でしょうか?
前段の(a),(b),(c)です。
ビッグブックは、はっきり言っています。
スモールabcに納得できないなら、ステップ3には進めないと(形式上はステップに取り組めるかもしれないが、効果を得られる可能性は低いでしょう)。
もしあなたが、心から納得したなら、ステップ3へ進むべきです。そして、「decided to turn our will and our life over to God(意志と生き方を神に委ねることを決意する)」のです。
神の意志に委ねるとは何か?
「委ねる(turn over)」という言葉は、あまり聞き馴染みがないかもしれませんが、わかりやすく言うと、今まで自分勝手に使ってきた「自分の自由意志(考え)」と「生き方・人生(行動)」をすべて神さまの指示通りに使う・お任せするということです。
私たちの今までの生き方は、カーナビの指示を無視し続けてきた人に例えることができると思います。
これまでの私たちは、地図もナビも見ずに好き勝手に運転してきました(自分の意志で生きていた)。
「自分の意志(our will)」に従って進んでいたため、道を間違えたり、危険な場所に迷い込んだりして、結局、行き止まりにぶつかるばかりでした。これが私たちの「生き方(our life)」でした。
ステップ1と2では、「このまま運転していたら破滅だ」と認め、「ナビ(神様の意志)の存在を信じる」という準備を整えました。
ステップ3は「ナビ」に従う決心をすること
ステップ3で私たちは、自分勝手な運転をやめ、「カーナビ=自分より偉大な力(神さま)」の指示に従う決心をします。これは大きな決心です。
ただし、ここで重要なのは、目的地を設定しても、自分がハンドルを握り続ける必要があるということ。
12ステップ界隈には、よく「認めて、信じて、お任せ」という曖昧な概念で、ステップ1・2・3を片付けてしまう人がいますが、それは例えるならば、「車が自動運転で目的地まで連れて行ってくれる」と信じるのと同じくらい無責任でバカげた理論です。
ナビ(神さま)は、ルート(人生において、次にどちらに進むべきか)を示してくれますが、その指示に従うかどうかは、私たちの次第なのです。
おわりに
しかし、忘れてはいけません。
私たちはまだ、カーナビを使うと決めただけです。
実際にはステップ3の時点では、私たちのカーナビはボタンを押しても反応せず、ノイズまみれの状態です。
…まあ、その話はいつかのお楽しみに。笑
最後までご拝読いただき、ありがとうございました。
ゆうき